文献読解│天香山命と久比岐のあれやこれや
考察に必要な箇所を抜粋しています(随時加筆修正)
現代語訳は浅学な素人の仕事です
原文のスペースはあれこれ参考にしながら、筆者が勝手に挿入したものです
他の資料と照らし合わせて異体字を用いている場合があります
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現代語訳は浅学な素人の仕事です
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古 天地未剖 陰陽不分 渾沌如鶏子 溟涬 而 含牙 及其 清陽者薄靡 而 為天 重濁者淹滞 而 為地 精妙 之 合搏易 重濁 之 凝竭難 故 天先成 而 地後定 然後 神聖生其中焉 故 曰 開闢之初 洲壌浮漂 譬 猶游魚 之 浮水上也
古 天地は未だ剖(さ、割)けず 陰陽は分かれず 渾沌は鶏子の如く 溟(暗い)は涬(引)きて牙(キサシ)を含む 及び其の 清陽は薄く靡(なび)く 而 天に為る 重濁は淹(とど)まり滞る 而 地に為る 精妙 之 合わせ搏(はばた)くは易しい 重濁 之 凝り竭(つ、尽)くすは難しい 故 天が先に成る 而 地が後に定まる 然後 神聖が其中に生じる焉 故 曰く 開闢の初め 洲壌(しゅうじょう、土壌)は壊れ浮き漂う 譬えば 游魚の猶(ごと)く 之 水上に浮かぶ也
于時 天地之中 生一物 状如葦牙 便化為神 號国常立尊 至貴曰 尊 自余曰 命 並訓 美挙等也 下皆效此 次国狭槌尊 次豊斟渟尊 凡三神矣 乾道独化 所以 成此 純男
于時 天地の中 生れる一物 状は葦牙(あしかび、葦の若芽)の如し 便ち神に化け為る 號は国常立(くにのとこたち)尊 至貴(しき、非常に尊い)は曰く 尊 自余(じよ、そのほか)は曰く命 並べ訓(よ)む 美挙等也 下皆效此 次は国狭槌(くにさつち)尊 次は豊斟渟(とよくむね)尊 凡て三神矣 乾道(けんどう、天の道)は独り化ける 所以 成るは此 純男
一書曰 天地初判 一物在於虚中 状貌難言 其中自有化生 之神 號国常立尊 亦曰国底立尊 次国狭槌尊 亦曰国狭立尊 次豊国主尊 亦曰豊組野尊 亦曰豊香節野尊 亦曰浮経野豊買尊 亦曰豊国野尊 亦曰豊囓野尊 亦曰葉木国野尊 亦曰見野尊
一書曰く 天地が初めに判る 一物が虚中に在る 状貌は言い難い 其中に自ずと化生する有り 之神 號は国常立尊 亦曰く国底立尊 次に国狭槌尊 亦曰く国狭立尊 次に豊国主(とよくにぬし)尊 亦曰く豊組野尊 亦曰く豊香節野尊 亦曰く浮経野豊買尊 亦曰く豊国野尊 亦曰く豊囓野尊 亦曰く葉木国野尊 亦曰く見野尊
一書曰 古 国稚地稚 之時 譬 猶浮膏而漂蕩 于時 国中生物 状如葦牙 之 抽出也 因此 有化生 之神 號可美葦牙彦舅尊 次国常立尊 次国狭槌尊 葉木国 此云播挙矩爾 可美 此云于麻時
一書曰く 古 国は稚く地は稚い 之時 譬えば 浮く膏の猶くして漂い蕩(うご)く 于時 国中の生物 状は葦牙の如し 之 抽(ぬ)き出る也 因此 化け生る有り 之神 號は可美葦牙彦舅(うましあしかびひこじ)尊 次に国常立尊 次に国狭槌尊 葉木国 此云う播挙矩爾 可美 此云う于麻時
一書曰 天地混成 之時 始有神人焉 號可美葦牙彦舅尊 次国底立尊 彦舅 此云比古尼
一書曰く 天地が混ぜ成る 之時 始めに神人有り焉 號は可美葦牙彦舅(うましあしかびひこじ)尊 次に国底立尊 彦舅 此云う比古尼
一書曰 天地初判 始有倶生 之神 號国常立尊 次国狭槌尊 又曰 高天原所生神 名曰天御中主尊 次高皇産霊尊 次神皇産霊尊 皇産霊 此云美武須毗
一書曰く 天地が初めに判る 始めに倶(とも)に生れる有り 之神 號は国常立尊 次に国狭槌尊 又曰く 高天原が生む所の神 名は曰く天御中主尊 次に高皇産霊尊 次に神皇産霊尊 皇産霊 此云う美武須毗
一書曰 天地未生 之時 譬 猶海上浮雲 無所根係 其中生一物 如葦牙 之 初生埿中也 便化為人 號国常立尊
一書曰く 天地が未だ生れず 之時 譬えば 海上の浮雲の猶(ごと)く 根係る所無し 其中に生れる一物 葦牙の如し 之 初めて埿中に生れる也 便ち人に化け為る 號は国常立尊
一書曰 天地初判 有物 若葦牙 生於空中 因此化神 號天常立尊 次可美葦牙彦舅尊 又 有物 若浮膏 生於空中 因此化神 號国常立尊
一書曰く 天地が初めに判る 有る物 葦牙の若(ごと)し 空中に生れる 因て此が神に化ける 號は天常立尊 次に可美葦牙彦舅尊 又 有る物 浮く膏の若し 空中に生れる 因て此が神に化ける 號は国常立尊
次有神 埿土煑尊 埿土 此云于毗尼 沙土煑尊 沙土 此云須毗尼 亦曰埿土根尊 沙土根尊 次有神 大戸之道尊 一云 大戸之辺 大苫辺尊 亦曰 大戸摩彦尊 大戸摩姫尊 亦曰 大富道尊 大富辺尊 次有神 面足尊 惶根尊 亦曰 吾屋惶根尊 亦曰 忌橿城尊 亦曰 青橿城根尊 亦曰 吾屋橿城尊 次有神 伊弉諾尊 伊弉冉尊
次に有る神 埿土煑(ういじに)尊 埿土 此云う于毗尼 沙土煑(すいじに)尊 沙土 此云う須毗尼 亦曰く埿土根尊 沙土根尊 次に有る神 大戸之道(おおとのじ)尊 一云う 大戸之辺 大苫辺(おおとまべ)尊 亦曰く 大戸摩彦尊 大戸摩姫尊 亦曰く 大富道尊 大富辺尊 次に有る神 面足(おもだる)尊 惶根(かしこね)尊 亦曰く吾屋惶根尊 亦曰く忌橿城尊 亦曰く青橿城根尊 亦曰吾屋橿城尊 次に有る神 伊弉諾尊 伊弉冉尊
一書曰 此二神 青橿城根尊之子也
一書曰く 此二神 青橿城根(あおかしきね)尊の子也
一書曰 国常立尊 生天鏡尊 天鏡尊 生天万尊 天万尊 生沫蕩尊 沫蕩尊 生伊弉諾尊 沫蕩 此云阿和那伎
一書曰 国常立尊 生むは天鏡(あめのかがみ)尊 天鏡尊 生むは天万(あめのよろず)尊 天万尊 生むは沫蕩(あわなぎ)尊 沫蕩尊 生むは伊弉諾尊 沫蕩 此云う阿和那伎
凡八神矣 乾坤之道 相参而化 所以 成此 男女 自国常立尊 迄伊弉諾尊伊弉冉尊 是謂 神世七代者矣
凡(すべ)て八神矣 乾坤(けんこん、天地/陰陽)の道 相参(コヒーレント、互いに干渉)して化ける 所以 成るは此 男女 国常立尊より 伊弉諾尊と伊弉冉尊まで 是謂う 神世七代の者矣
一書曰 男女耦生之神 先有 埿土煑尊 沙土煑尊 次有 角樴尊 活樴尊 次有 面足尊 惶根尊 次有 伊弉諾尊 伊弉冉尊 樴 橛也
一書曰く 男女耦生(ぐうせい、二人以上が同時に生まれる)の神 先ず有るは 埿土煑尊と沙土煑尊 次に有るは 角樴尊と活樴尊 次に有るは 面足尊と惶根尊 次に有るは 伊弉諾尊と伊弉冉尊 樴は橛也
伊弉諾尊 伊弉冉尊 立於天浮橋之上 共計曰 底下 豈 無国歟 廼以天之瓊 瓊 玉也 此云努 矛 指下而探之 是獲滄溟 其矛鋒 滴瀝之潮 凝成一嶋 名之曰磤馭慮嶋
伊弉諾尊 伊弉冉尊 天浮橋の上に立つ 共に計り曰く 底の下 豈 国無し歟 廼ち天之瓊 瓊 玉也 此云う努 矛を以て 下を指して之を探る 是が滄溟(大海原)を獲る 其矛の鋒 滴が瀝(したた)る之潮 凝りて成る一嶋 之を名づけ曰く磤馭慮(おのころ)嶋
二神 於是 降居彼嶋 因欲共為夫婦産生洲国 便以磤馭慮嶋為国中之柱 柱 此云美簸旨邏 而 陽神左旋 陰神右旋 分巡国柱 同会一面
二神 於是 降りて彼の嶋に居る 因て共に夫婦と為り洲国(しゅうこく、国)を産み生すを欲する 便ち磤馭慮嶋を以て国中の柱と為す 柱 此云う美簸旨邏 而 陽神が左旋 陰神が右旋 分かれ国柱を巡る 同じく一面に会う
時 陰神 先唱曰 喜哉 遇可美少男焉 少男 此云烏等孤 陽神 不悦曰 吾是 男子 理当先唱 如何 婦人反先言乎 事既不祥 宜以改旋
時 陰神 先ず唱え曰く 喜び哉 美少男に遇えた焉 少男 此云う烏等孤 陽神 悦ばず曰く 吾は是 男子 理は当に先ず唱えん 如何 婦人が反して先ず言う乎 事は既に不祥 改めるを以て旋るが宜しい
於是 二神 却更相遇 是行也 陽神 先唱曰 喜哉 遇可美少女焉 少女 此云烏等咩 因問陰神曰 汝身 有何成耶 対曰 吾身 有一雌元之処 陽神曰 吾身 亦有雄元之処 思 欲以吾身元処合汝身之元処 於是 陰陽 始遘合 為夫婦
於是 二神 却りて更相(相互に)遇う 是を行う也 陽神 先ず唱え曰く 喜び哉 美少女に遇えた焉 少女 此云う烏等咩 因て陰神に問い曰く 汝の身 何ぞ有りて成れる耶 対し曰く 吾身 一つ雌の元之処有り 陽神が曰く 吾身も亦 雄の元之処有り 思う 吾身の元処を以て汝身の元処に合わすを欲する 於是 陰陽 始めて遘合う 夫婦と為る
及至産 時 先以淡路洲為胞 意所不快 故 名之曰 淡路洲 廼生大日本 日本 此云耶麻騰 下皆效此 豊秋津洲 次生伊豫二名洲 次生筑紫洲 次雙生億岐洲与佐度洲 世人 或有雙生者 象此也 次生越洲 次生大洲 次生吉備子洲 由是 始起大八洲国之號焉 即対馬嶋壱岐嶋及処処小嶋 皆是 潮沫凝成者矣 亦曰 水沫凝而成也
産むに至るに及び 時 先ず淡路洲を以て胞(えな、胎内)と為す 意所不快 故 之を名づけ曰く 淡路洲 廼ち生むは大日本 日本 此云う耶麻騰 下皆效此 豊秋津洲 次に生むは伊豫二名洲 次に生むは筑紫洲 次に雙(ふた)つ生むは億岐洲と佐度洲 世人 或いは雙つ生むも有るは 此の象(かたち、有り様)也 次に生むは越洲 次に生むは大洲 次に生むは吉備子洲 由是 始めて起こるは大八洲国の號焉 即ち対馬嶋と壱岐嶋及び処処の小嶋 皆是 潮沫が凝り成る者矣 亦曰く 水沫が凝りて成る也
一書曰 天神 謂伊弉諾尊伊弉冉尊曰 有豊葦原千五百秋瑞穂之地 宜汝往脩之 廼賜天瓊戈 於是 二神 立於天上浮橋 投戈 求地 因画滄海 而 引挙之 即戈鋒 垂落之潮 結而為嶋 名曰磤馭慮嶋 二神 降居彼嶋 化作八尋之殿 又 化竪天柱
一書曰く 天神 伊弉諾尊と伊弉冉尊に謂い曰く 豊葦原千五百秋瑞穂の地有り 汝が往き之を脩(おさ)めるが宜しい 廼ち天瓊戈を賜わる 於是 二神 天上の浮橋に立つ 戈を投げ 地を求め 因て滄海を画(はか)る 而 引き挙げる之 即ち戈の鋒(きっさき) 垂れ落ちる之潮 結びて嶋と為る 名は曰く磤馭慮嶋 二神 降りて彼の嶋に居る 化け作るは八尋之殿 又 化け竪(た)つは天柱
陽神 問陰神曰 汝身有何成耶 対曰 吾身具成 而 有称陰元者一処 陽神曰 吾身亦具成 而 有称陽元者一処 思 欲以吾身陽元合汝身之陰元 云爾
陽神 陰神に問う 曰く 汝の身は何ぞ有りて成れる耶 対し曰く 吾身は具さに成れる 而 称して陰の元は一処有り 陽神が曰く 吾身も亦た具さに成れる 而 称して陽の元は一処有り 思う 吾身の陽元を以て汝身之陰元に合わすを欲する 云爾(うんじ、しかり)
即将巡天柱 約束 曰 妹自左巡 吾当右巡 既而 分巡相遇 陰神 乃先唱曰 姸哉 可愛少男歟 陽神 後和之曰 姸哉 可愛少女歟 遂為夫婦
即ち将に天柱を巡らん 約束 曰く 妹は左より巡る 吾は当に右巡り 既而 分かれ巡り相(互)いに遇う 陰神 乃ち先ず唱え曰く 姸(うつく)しい哉 可愛い少男歟 陽神 後に之に和(コタエテ)曰く 姸しい哉 可愛い少女歟 遂に夫婦と為る
先生蛭兒 便載葦船 而 流之 次生淡洲 此亦 不以充兒数 故 還復上 詣於天 具奏其状 時 天神 以太占 而 卜合之 乃教曰 婦人之辞 其 已先揚乎 宜更還去 乃卜 定時日 而 降之
先ず生むは蛭兒 便ち葦船に載せる 而 之を流す 次に生むは淡洲 此も亦た 兒数に充てるを以て不(否定) 故 上へ還復(かえ)る 天に詣でる 具に其状を奏じる 時 天神 太占を以て 而 卜は之に合わす 乃ち教え曰く 婦人の辞 其 先ず揚げるを已(や)める乎 還り去りて更(あらた)めるが宜しい 乃ち定めの日時を卜う 而 之を降らす
故 二神 改復巡柱 陽神自左 陰神自右 既遇之時 陽神 先唱曰 姸哉 可愛少女歟 陰神 後和之曰 姸哉 可愛少男歟 然後 同宮共住 而 生兒 號大日本豊秋津洲 次淡路洲 次伊豫二名洲 次筑紫洲 次億岐三子洲 次佐度洲 次越洲 次吉備子洲 由此 謂之 大八洲国矣
故 二神 改めて復た柱を巡る 陽神が左より 陰神が右より 既に遇う之時 陽神 先ず唱え曰く 姸しい哉 可愛い少女歟 陰神 後に之に和(コタエテ)曰く 姸哉 可愛い少男歟 然後 宮を同じく共に住む 而 生む兒 號は大日本豊秋津洲 次に淡路洲 次に伊豫二名(イヨノフタナ)洲 次に筑紫洲 次に億岐三子(オキノミツコ)洲 次に佐度洲 次に越洲 次に吉備子(キビノコ)洲 由は此 謂う之 大八洲国矣
瑞 此云弥図 姸哉 此云阿那而恵夜 可愛 此云哀 太占 此云布刀磨爾
瑞 此云う弥図 姸哉 此云う阿那而恵夜 可愛 此云う哀 太占 此云う布刀磨爾
一書曰 伊弉諾尊 伊弉冉尊 二神 立于天霧之中 曰 吾欲得国 乃以天瓊矛 指垂 而 探之 得磤馭慮嶋 則抜矛 而 喜之曰 善乎 国之在矣
一書曰く 伊弉諾尊 伊弉冉尊 二神 天霧之中に立つ 曰く 吾は国を得るを欲する 乃ち天瓊矛を以て 垂らし指す 而 之を探る 磤馭慮嶋を得る 則ち矛を抜く 而 之を喜び曰く 善し乎 国の在る矣
一書曰 伊弉諾 伊弉冉 二神 坐于高天原 曰 当有国耶 乃以天瓊矛 画成磤馭慮嶋
一書曰く 伊弉諾 伊弉冉 二神 高天原に坐す 曰く 当に国の有らん耶(国ができる) 乃ち天瓊矛を以て 画(はか)りて成るは磤馭慮嶋
一書曰 伊弉諾 伊弉冉 二神 相謂曰 有物若浮膏 其中 蓋 有国乎 乃以天瓊矛 探成一嶋 名曰磤馭慮嶋
一書曰く 伊弉諾 伊弉冉 二神 相(互)いに謂い曰く 浮く膏(あぶら)の若き物有り 其中 蓋 国の有らん乎 乃ち天瓊矛を以て 探りて成る一嶋 名は曰く磤馭慮嶋
一書曰 陰神先唱 曰 美哉 善少男 時 以陰神先言 故 為不祥 更復改巡 則陽神先唱 曰 美哉 善少女 遂将合交 而 不知其術 時 有鶺鴒 飛来 揺其首尾 二神 見而学之 即得交道
一書曰く 陰神が先ず唱える 曰く 美しい哉 善き少男 時 陰神を以て先ず言う 故 不祥の為 更に復た改めて巡る 則ち陽神が先ず唱える 曰く 美しい哉 善き少女 遂に将に合交わん 而 其術を知らず 時 鶺鴒(セキレイ)有り 飛び来る 其の首尾を揺らす 二神 見て之に学ぶ 即ち交道を得る
一書曰 二神 合為夫婦 先以淡路洲淡洲 為胞 生大日本豊秋津洲 次伊豫洲 次筑紫洲 次雙生億岐洲与佐度洲 次越洲 次大洲 次子洲
一書曰く 二神 合わせ夫婦と為る 先ず淡路洲と淡洲を以て 胞(にえ、胎内)と為す 生むは大日本豊秋津洲 次に伊豫洲 次に筑紫洲 次に雙(ふた)つ生むは億岐洲と佐度洲 次に越洲 次に大洲 次に子洲
一書曰 先生淡路洲 次大日本豊秋津洲 次伊豫二名洲 次億岐洲 次佐度洲 次筑紫洲 次壱岐洲 次対馬洲
一書曰く 先ず生むは淡路洲 次に大日本豊秋津洲 次に伊豫二名洲 次に億岐洲 次に佐度洲 次に筑紫洲 次に壱岐洲 次に対馬洲
一書曰 以磤馭慮嶋為胞 生淡路洲 次大日本豊秋津洲 次伊豫二名洲 次筑紫洲 次吉備子洲 次雙生億岐洲与佐度洲 次越洲
一書曰く 磤馭慮嶋を以て胞(にえ)と為す 生むは淡路洲 次に大日本豊秋津洲 次に伊豫二名洲 次に筑紫洲 次に吉備子洲 次に雙(ふた)つ生むは億岐洲と佐度洲 次に越洲
一書曰 以淡路洲為胞 生大日本豊秋津洲 次淡洲 次伊豫二名洲 次億岐三子洲 次佐度洲 次筑紫洲 次吉備子洲 次大洲
一書曰く 淡路洲を以て胞(にえ)と為す 生むは大日本豊秋津洲 次に淡洲 次に伊豫二名洲 次に億岐三子洲 次に佐度洲 次に筑紫洲 次に吉備子洲 次に大洲
一書曰 陰神先唱 曰 姸哉 可愛少男乎 便握陽神之手 遂為夫婦 生淡路洲 次蛭兒
一書曰く 陰神が先ず唱える 曰く 姸(うつく)しい哉 可愛い少男乎 便ち陽神之手を握る 遂に夫婦と為る 生むは淡路洲 次に蛭兒
国生みを終えた伊弉諾と伊弉冉は、蛭子と三貴子を生む。蛭子は立てないので船に乗せて棄て、輝かしい天照と月読は天へ送り、素戔嗚は無情なので根国へ逐う。
次生海 次生川 次生山 次生木祖句句廼馳 次生草祖草野姫 亦名野槌 既而 伊弉諾尊 伊弉冉尊 共議曰 吾已生大八洲国及山川草木 何不生天下之主者歟
次に海を生む 次に川を生む 次に山を生む 次に木の祖の句句廼馳(クグノチ)を生む 次に草の祖の草野姫を生む 亦の名は野槌 既而 伊弉諾尊 伊弉冉尊 共に議(はか)り曰く 吾は已に大八洲国及び山川草木を生む 何んぞ天下之主たる者を生まず歟
於是 共生日神 號大日孁貴 大日孁貴 此云於保比屢咩能武智 孁音力丁反 一書云天照大神 一書云天照大日孁尊 此子 光華明彩 照徹於六合之内 故 二神喜曰 吾息雖多 未有若此霊異之兒 不宜久留此国 自当早送于天 而 授以天上之事 是時 天地 相去未遠 故 以天柱挙於天上也
於是 共に日神を生む 號は大日孁貴 大日孁貴 此れ云う於保比屢咩能武智 孁の音は力丁(リヨクテイ)の反(かえし) 一書に云う天照大神 一書に云う天照大日孁尊 此子 光華明彩 六合(くに、天地と四方で全世界)之内に照徹(てりとお)る 故 二神は喜び曰く 吾が息(子)は多いと雖も 未だ此の若く霊異之兒は有らず 久しく此国に留めるは宜しからず 自ずと当に早く天に送らん 而 以て天上之事を授けん 是時 天地 相(互)いに去るは未だ遠からず 故 天柱(アメノミハシラ)を以て天上に挙げる也
次生月神 一書云 月弓尊 月夜見尊 月読尊 其光彩亞日 可以配日而治 故 亦送之于天 次生蛭兒 雖已三歲 脚猶不立 故 載之於天磐櫲樟船 而 順風放棄
次に月神を生む 一書に云う 月弓尊 月夜見尊 月読尊 其の光彩は日に亞(つ)ぐ 以て日に配して治める可し 故 亦た之を天に送る 次に蛭兒を生む 已に三歲と雖も 脚は猶も立たず 故 之を天磐櫲樟船に載せる 而 順風に放ち棄てる
次生素戔嗚尊 一書云 神素戔嗚尊 速素戔嗚尊 此神有勇悍 以安忍 且 常以哭泣為行 故 令国内人民多以夭折 復使青山変枯 故 其父母二神 勅素戔嗚尊 汝甚無道 不可以君臨宇宙 固当遠 適之於根国矣 遂逐之
次に素戔嗚尊を生む 一書に云う 神素戔嗚尊 速素戔嗚尊 此神は勇悍(ゆうかん、勇ましく強い)有り 以て忍(むご)きに安い 且 常に哭泣を以て行(ワサ)と為す 故 国内の人民の多くを以て夭折(ようせつ、若死に)せ令める 復た青山を変え枯ら使める 故 其の父母二神 素戔嗚尊に勅す 汝は甚だ無道 以て宇宙(アメノシタ)に君臨する可からず 固く当に遠ざけん 之に適うは根国に於いて矣 遂に之を逐(お)う
一書曰 伊弉諾尊曰 吾欲生御宇之珍子 乃以左手持白銅鏡 則有化出之神 是謂大日孁尊 右手持白銅鏡 則有化出之神 是謂月弓尊 又 廻首 顧眄之間 則有化神 是謂素戔嗚尊 即大日孁尊及月弓尊並 是質性明麗 故 使照臨天地 素戔嗚尊 是性好残害 故 令下治根国
珍 此云于図 顧眄之間 此云美屢摩沙可梨爾
一書に曰く 伊弉諾尊は曰く 吾は御宇の珍しい子を生むを欲する 乃ち左手を以て白銅鏡を持つ 則ち化け出る之神有り 是は大日孁尊と謂う 右手に白銅鏡を持つ 則ち化け出る之神有り 是は月弓尊と謂う 又 首を廻し 顧眄(こべん、振り返って見る)之間 則ち化ける神有り 是は素戔嗚尊と謂う 即ち大日孁尊及び月弓尊は並び 是の質性は明麗 故 天地を照臨(しょうりん、神仏が人々を見守る)せ使む 素戔嗚尊 是の性好は残害 故 根国に下し治め令める
珍 此れ云う于図 顧眄之間 此れ云う美屢摩沙可梨爾
一書曰 日月既生 次生蛭兒 此兒年満三歳 脚尚不立 初 伊弉諾伊弉冉尊 巡柱之時 陰神先発喜言 既違陰陽之理 所以今 生蛭兒 次生素戔嗚尊 此神性悪 常好哭恚 国民多死 青山為枯 故 其父母勅曰 假 使汝治此国 必 多所残傷 故 汝可以馭極遠之根国
一書に曰く 日月は既に生む 次に蛭兒を生む 此兒は年が満三歲 脚は尚も立たず 初 伊弉諾伊弉冉尊 柱を巡る之時 陰神が先に喜言を発する 既に陰陽の理を違える 所以(ゆえん)にて今 蛭兒を生む 次に素戔嗚尊を生む 此神の性は悪 常に哭き恚く(ふつく、憤る)を好む 国民は多く死ぬ 青山は枯に為る 故 其の父母は勅し曰く 仮に 汝に此国を治め使む 必ず 傷を残す所が多い 故 汝は以て極めて遠い之根国を馭(す)べる可し
次生鳥磐橡船 輙以此船載蛭兒 順流放棄 次生火神軻遇突智 時 伊弉冉尊 為軻遇突智所焦 而 終矣 其且 終之間 臥生土神埴山姫及水神罔象女 即軻遇突智娶埴山姫 生稚産霊 此神 頭上生蚕与桑 臍中生五穀
罔象 此云美都波
次に鳥磐櫲樟橡船を生む 輙(すなわ)ち此船を以て蛭兒を載せる 順流に放ち棄てる 次に火神の軻遇突智を生む 時 伊弉冉尊 軻遇突智を為す所が焦げる 而 終わる矣 其且 終わりの間 臥せ生むは 土神の埴山姫 及び 水神の罔象女 即ち軻遇突智は埴山姫を娶る 稚産霊を生む 此神 頭上に蚕と桑を生やす 臍中に五穀を生やす
罔象 此れ云う美都波
一書曰 伊弉冉尊 生火産霊時 為子所焦 而 神退矣 亦云神避 其且 神退之時 則生水神罔象女及土神埴山姫 又 生天吉葛
天吉葛 此云阿摩能与佐図羅 一云与曽豆羅
一書に曰く 伊弉冉尊 火産霊を生む時 子を為す所を焦がす 而 神退る矣 亦た云う神避 其且 神退りの時 則ち水神の罔象女及び土神の埴山姫を生む 又 天吉葛を生む
天吉葛 此れ云う阿摩能与佐図羅 一に云う与曽豆羅
一書曰 伊弉冉尊 且 生火神軻遇突智之時 悶熱懊悩 因為吐 此化為神 名曰金山彦 次小便 化為神 名曰罔象女 次大便 化為神 名曰埴山媛
一書に曰く 伊弉冉尊 且 火神の軻遇突智を生む之時 熱に悶え懊悩する 因て吐き為す 此が神に化け為る 名は曰く金山彦 次に小便 神に化け為る 名は曰く罔象女 次に大便 神に化け為る 名は曰く埴山媛
一書曰 伊弉冉尊 生火神時 被灼 而 神退去矣 故 葬於紀伊国熊野之有馬村焉 土俗祭此神之魂者 花時 亦以花祭 又 用鼓吹幡旗歌舞而祭矣
一書に曰く 伊弉冉尊 火神を生む時 灼を被る 而 神退去る矣 故 紀伊国熊野の有馬村に葬る焉 土俗が此神の魂を祭るは 花の時 亦た花を以て祭る 又 鼓吹(こすい、鉦鼓(しょうこ)と笛)幡旗(はた)歌舞を用いて祭る矣
一書曰 伊弉諾尊与伊弉冉尊 共生大八洲国 然後 伊弉諾尊曰 我所生之国 唯 有朝霧 而 薫満之哉 乃吹撥之気 化為神 號曰級長戸辺命 亦曰級長津彦命 是風神也 又 飢時生兒 號倉稲魂命 又 生海神等 號少童命 山神等號山祇 水門神等號速秋津日命 木神等號句句廼馳 土神號埴安神
一書に曰く 伊弉諾尊と伊弉冉尊 共に大八洲国を生む 然後 伊弉諾尊は曰く 我の生む所の之国 唯だ朝霧有りて薫り満ちる之哉 乃ち吹き撥ねた之気 神に化け為る 號は曰く級長戸辺命 亦た曰く級長津彦命 是は風神也 又 飢える時に生む兒 號は倉稲魂命 又 海神等を生む 號は少童(ワタツミ)命 山神等の號は山祇 水門神等の號は速秋津日命 木神等の號は句句廼馳 土神の號は埴安神
然後 悉生万物焉 至於火神軻遇突智之生也 其母伊弉冉尊 見焦 而 化去 于時 伊弉諾尊恨之曰 唯以一兒 替我愛之妹者乎 則匍匐頭辺 匍匐脚辺 而 哭泣流涕焉 其涙堕而為神 是即畝丘樹下所居之神 號啼澤女命矣 遂抜所帯十握剱 斬軻遇突智為三段 此各化成神也
然後 悉く万物を生む焉 火神の軻遇突智の生に至る也 其の母の伊弉冉尊 焦見(ヤカミ)れる 而 化け去る 于時 伊弉諾尊は恨み之を曰く 唯だ一兒を以て 我の愛しい之妹者に替える乎 則ち頭の辺りを匍匐する 脚の辺りを匍匐する 而 哭泣し涕を流す焉 其の涙は堕ちて神に為る 是は即ち畝丘の樹下の所に居る之神 號は啼澤女命矣 遂に所帯する十握剱を抜く 軻遇突智を斬り三段に為す 此は各(おのおの)神に化け成る也
復剱刃垂血 是為天安河辺所在五百箇磐石也 即此経津主神之祖矣 復剱鐔垂血 激越為神 號曰甕速日神 次熯速日神 其甕速日神 是武甕槌神之祖也 亦曰甕速日命 次熯速日命 次武甕槌神 復剱鋒垂血 激越為神 號曰磐裂神 次根裂神 次磐筒男命 一云磐筒男命及磐筒女命 復剱頭垂血 激越為神 號曰闇龗 次闇山祇 次闇罔象
復た剱の刃に垂れる血 是は天安河辺に所在する五百箇磐石に為る也 即ち此は経津主神の祖矣 復た剱の鐔(つば、鍔)に垂れる血 激越(フイテ)神に為る 號は曰く甕速日神 次に熯速日神 其の甕速日神 是は武甕槌神の祖也 亦た曰く甕速日命 次に熯速日命 次に武甕槌神 復た剱の鋒に垂れる血 激越(フイテ)神に為る 號は曰く磐裂神 次に根裂神 次に磐筒男命 一に云う磐筒男命及び磐筒女命 復た剱の頭に垂れる血 激越(フイテ)神に為る 號は曰く闇龗(クラオカミ) 次に闇山祇(クラヤマツミ) 次に闇罔象(クラミツハ)
然後 伊弉諾尊 追伊弉冉尊 入於黃泉 而 及之共語 時 伊弉冉尊曰 吾夫君尊 何来之晩也 吾已湌泉之竈矣 雖然 吾当寝息 請 勿視之 伊弉諾尊不聴 陰取湯津爪櫛 牽折其雄柱 以為秉炬 而 見之者 則膿沸蟲流 今世人 夜忌一片之火 又 夜忌擲櫛 此其縁也
然後 伊弉諾尊 伊弉冉尊を追う 黃泉に入る 而 之共に語るに及ぶ 時 伊弉冉尊は曰く 吾が夫君(ナセ)尊 何ぞ之晩に来る也 吾は已に泉の竈(かまど)を湌(く)う矣 雖然 吾は当に寝て息(やす)まん 請う 之を視る勿れ 伊弉諾尊は聴かず 陰に湯津爪櫛を取る 其の雄柱を牽き折る 以て秉炬(タビ、ひんこ、火葬で棺に火をつける儀式)と為す 而 見た之は 則ち膿みが沸き蟲が流れる 今世の人 夜に一片の火を忌む 又 夜に擲(な、投)げ櫛を忌む 此は其の縁也
故 伊弉諾尊 大驚之曰 吾不意 到於不須也凶目汚穢之国矣 乃急走廻帰 于時 伊弉冉尊恨曰 何不用要言 令吾恥辱 乃遣泉津醜女八人 一云 泉津日狭女 追留之 故 伊弉諾尊 抜剱背揮 以逃矣 因投黒鬘 此即化成蒲陶 醜女見 而 採噉之 噉了則更追
故 伊弉諾尊 大いに驚き之を曰く 吾は意せず 不須也凶目汚穢(イナシコメキキタナキ)国に到る矣 乃ち急ぎ走り廻り帰る 于時 伊弉冉尊は恨み曰く 何ぞ要言を用いず 吾を恥辱(はずか)令める 乃ち泉津醜女の八人を遣わす 一に云う泉津日狭女 之を追い留める 故 伊弉諾尊 剱を抜き背を揮い 以て逃げる矣 因て黒い鬘(かずら、つる草の髪飾り)を投げる 此れ即ち蒲陶(えびかずら、山葡萄)に化け成る 醜女は見る 而 之を採り噉(く)らう 噉らい了(お)え則ち更に追う
伊弉諾尊 又 投湯津爪櫛 此即化成筍 醜女 亦 以抜噉之 噉了則更追 後 則伊弉冉尊 亦自来追 是時 伊弉諾尊 已到泉津平坂 一云 伊弉諾尊 乃向大樹放尿 此即化成巨川 泉津日狭女 将渡其水之間 伊弉諾尊 已至泉津平坂
伊弉諾尊 又 湯津爪櫛を投げる 此は即ち筍に化け成る 醜女は亦た以て之を抜き噉(く)らう 噉らい了(お)え 則ち更に追う 後 則ち伊弉冉尊 亦た自ら追い来る 是時 伊弉諾尊 已に泉津平坂に到る 一に云う 伊弉諾尊 乃ち大樹に向け尿を放つ 此は即ち巨川に化け成る 泉津日狭女 将に其水を渡らんとする間 伊弉諾尊 已に泉津平坂に至る
故 便以千人所引磐石 塞其坂路 与伊弉冉尊 相向而立 遂建絶妻之誓 時 伊弉冉尊曰 愛也吾夫君 言如此者 吾当縊殺汝所治国民 日将千頭 伊弉諾尊 乃報之曰 愛也吾妹 言如此者 吾則当産 日将千五百頭 因曰 自此莫過
故 便(すなわ)ち千人所引磐石(ちびきのいわ)を以て 其の坂路を塞ぐ 伊弉冉尊と 相い向いて立つ 遂に妻を絶つ之誓いを建てる 時 伊弉冉尊は曰く 愛しや吾が夫君 此の如く言うなら 吾は当に汝が治める所の国民を縊り殺さん 日に将に千頭を 伊弉諾尊 乃ち之に報い曰く 愛しや吾が妹 此の如く言うなら 吾は則ち当に産まん 日に将に千五百頭を 因て曰く 此より過ぎる莫(なか)れ
即投其杖 是謂岐神也 又 投其帯 是謂長道磐神 又 投其衣 是謂煩神 又 投其褌 是謂開囓神 又 投其履 是謂道敷神
即ち其杖を投げる 是を岐神(フナトノカミ)と謂う也 又 其の帯を投げる 是を長道磐神と謂う 又 其の衣を投げる 是を煩神と謂う 又 其の褌を投げる 是を開囓神と謂う 又 其の履を投げる 是を道敷神と謂う
其於泉津平坂 或 所謂泉津平坂者 不復 別有処所 但 臨死 気絶之際 是之謂歟 所塞磐石 是謂泉門塞之大神也 亦名道返大神矣
其の泉津平坂に於いて 或るいは 泉津平坂と謂う所は 復せず 別けて有る処所 但し 死に臨み 気の絶つ際 是の謂(いわ)れ歟 磐石で塞ぐ所 是れを泉門塞の大神と謂う也 亦たの名は道返大神矣
伊弉諾尊 既還 乃追悔之曰 吾 前到於不須也凶目汚穢之処 故 当滌去吾身之濁穢 則往 至筑紫日向小戸橘之檍原 而 秡除焉 遂将盪滌身之所汚 乃興言曰 上瀬 是太疾 下瀬 是太弱 便濯之於中瀬也 因以 生神 號曰八十枉津日神 次将矯其枉 而 生神 號曰神直日神 次大直日神
伊弉諾尊 既に還る 乃ち追って之を悔み曰く 吾 前に不須也凶目汚穢(イナシコメキキタナキ)処に到る 故 当に吾身の濁穢を滌(すす)ぎ去らん 則ち往き 筑紫の日向小戸橘の檍原(あはぎはら)に至る 而 秡い除く焉 遂に将に身の汚れた所を盪滌(とうでき、洗い濯ぐ)せん 乃ち興し言い曰く 上瀬 是は太く疾い 下瀬 是は太く弱い 便(すなわ)ち之の中瀬に濯ぐ也 因以 生む神 號は曰く八十枉津日神 次に将に其の枉(おう、無実の罪)を矯(ただ)さん 而 生む神 號は曰く神直日神 次に大直日神
又 沈濯於海底 因以 生神 號曰底津少童命 次底筒男命 又 潜濯於潮中 因以 生神 號曰中津少童命 次中筒男命 又 浮濯於潮上 因以 生神 號曰表津少童命 次表筒男命 凡有九神矣 其底筒男命 中筒男命 表筒男命 是即住吉大神矣 底津少童命 中津少童命 表津少童命 是阿曇連等所祭神矣
又 海底に沈み濯ぐ 因以 生む神 號は曰く底津少童命 次に底筒男命 又 潮中に潜り濯ぐ 因以 生む神 號は曰く中津少童命 次に中筒男命 又 潮上に浮かび濯ぐ 因以 生む神 號は曰く表津少童命 次に表筒男命 凡(すべ)て九神有り矣 其の底筒男命 中筒男命 表筒男命 是れ即ち住吉大神矣 底津少童命 中津少童命 表津少童命 是は阿曇連等の祭る所の神矣
然後 洗左眼 因以 生神 號曰天照大神 復洗右眼 因以 生神 號曰月読尊 復洗鼻 因以 生神 號曰素戔嗚尊 凡三神矣 已而 伊弉諾尊 勅任三子曰 天照大神者 可以治高天原也 月読尊者 可以治滄海原潮之八百重也 素戔嗚尊者 可以治天下也
然後 左眼を洗う 因以 生む神 號は曰く天照大神 復た右眼を洗う 因以 生む神 號は曰く月読尊 復た鼻を洗う 因以 生む神 號は曰く素戔嗚尊 凡(すべ)て三神矣 已而 伊弉諾尊 勅して三子を任じ曰く 天照大神は 以て高天原を治める可し也 月読尊は 以て滄海原の潮の八百重(やおえ)を治める可し也 素戔嗚尊は 以て天下を治める可し也
是時 素戔嗚尊 年已長矣 復生八握鬚髯 雖然 不治天下 常以啼泣恚恨 故 伊弉諾尊問之曰 汝 何故恒啼如此耶 対曰 吾欲従母於根国 只為泣耳 伊弉諾尊悪之曰 可 以任情行矣 乃逐之
是時 素戔嗚尊 年は已に長じる矣 復た八握の鬚髯(しゅぜん、顎ひげと頬ひげ)を生やす 雖然 天下を治めず 常に啼泣を以て恚(いか)り恨む 故 伊弉諾尊は問い之を曰く 汝 何故恒(つね)に此の如く啼く耶 対し曰く 吾は根国に於いて母に従うを欲す 只為(ただそのため)に泣くのみ 伊弉諾尊は悪(にく)み之を曰く 可 情に任せるを以て行え矣 乃ち之を逐(お)う
一書曰 伊弉諾尊 抜剱斬軻遇突智 為三段 其一段是為雷神 一段是為大山祇神 一段是為高龗 又曰 斬軻遇突智時 其血激越 染於天八十河中所在五百箇磐石 而 因化成神 號曰磐裂神 次根裂神 兒磐筒男神 次磐筒女神 兒経津主神
一書に曰く 伊弉諾尊 剱を抜き軻遇突智を斬る 三段に為す 其の一段是は雷神に為る 一段是は大山祇神に為る 一段是は高龗に為る 又曰く 軻遇突智を斬る時 其の血は激越(フイテ) 天八十河の中に所在する五百箇磐石を染める 而 因て神に化け成る 號は曰く磐裂神 次に根裂神 兒は磐筒男神 次に磐筒女神 兒は経津主神
倉稲魂 此云宇介能美拕磨 少童 此云和多都美 頭辺 此云摩苦羅陛 脚辺 此云阿度陛 熯火也 音而善反 龗 此云於箇美 音力丁反 吾夫君 此云阿我儺勢 湌泉之竈 此云誉母都俳遇比 秉炬 此云多妣 不須也凶目汚穢 此云伊儺之居梅枳枳多儺枳
倉稲魂 此れ云う宇介能美拕磨 少童 此れ云う和多都美 頭辺 此れ云う摩苦羅陛 脚辺 此れ云う阿度陛 熯火也 音は而善(ジゼン)の反し 龗 此れ云う於箇美(ヲカミ) 音は力丁(リョクテイ)の反し 吾夫君 此れ云う阿我儺勢 湌泉之竈 此れ云う誉母都俳遇比(ヨモツヘグイ) 秉炬 此れ云う多妣(タビ) 不須也凶目汚穢 此れ云う伊儺之居梅枳枳多儺枳(イナシコメキキタナキ)
醜女 此云志許賣 背揮 此云志理幣提爾布倶 泉津平坂 此云餘母都比羅佐可 尿 此云愈磨理 音乃弔反 絶妻之誓 此云許等度 岐神 此云布那斗能加微 檍 此云阿波岐
醜女 此れ云う志許賣 背揮 此れ云う志理幣提爾布倶(シリエテニフク) 泉津平坂 此れ云う餘母都比羅佐可(ヨモツヒラサカ) 尿 此れ云う愈磨理(ユマリ) 音は乃弔(ダイチョウ)の反し 絶妻之誓 此れ云う許等度(ユトト) 岐神 此れ云う布那斗能加微(フナトノカミ) 檍 此れ云う阿波岐(アハキ)
一書曰 伊弉諾尊 斬軻遇突智命 為五段 此各化成五山祇 一則首 化為大山祇 二則身中 化為中山祇 三則手 化為麓山祇 四則腰 化為正勝山祇 五則足 化為䨄山祇 是時 斬血激灑 染於石礫樹草 此草木沙石 自含火之縁也
麓 山足曰麓 此云簸耶磨 正勝 此云麻沙柯㝹 一云麻左柯豆 䨄 此云之伎 音鳥含反
一書に曰く 伊弉諾尊 軻遇突智命を斬る 五段に為す 此れ各(おのおの)五の山祇に化け成る 一は則ち首 大山祇に化け為る 二は則ち身中 中山祇に化け為る 三は則ち手 麓山祇に化け為る 四は則ち腰 正勝山祇に化け為る 五は則ち足 䨄山祇に化け為る 是時 斬血を激しく灑(まきちらす) 石礫樹草を染める 此の草木沙石 自ずと火を含むは之縁也
麓 山の足を麓と曰く 此れ云う簸耶磨(ハヤマ) 正勝 此れ云う麻沙柯㝹(マサカツ) 一に云う麻左柯豆 䨄 此れ云う之伎(シキ) 音は鳥含(ヲウガン)の反し
一書曰 伊弉諾尊 欲見其妹 乃到殯斂之処 是時 伊弉冉尊 猶如生平 出迎共語 已而 謂伊弉諾尊曰 吾夫君尊 請 勿視吾矣 言訖 忽然不見 于時闇也 伊弉諾尊 乃挙一片之火 而 視之 時 伊弉冉尊 脹満太高 上有八色雷公 伊弉諾尊 驚而走還 是時 雷等皆起 追来 時 道辺有大桃樹 故 伊弉諾尊 隠其樹下 因採其実 以擲雷者 雷等皆退走矣 此 用桃避鬼之縁也
一書に曰く 伊弉諾尊 其妹を見るを欲する 乃ち殯斂(ひんれん、埋葬まで遺体を安置すること)の処に到る 是時 伊弉冉尊 猶も生ける如く平らぐ 出迎え共に語る 已而 伊弉諾尊に謂い曰く 吾が夫君尊 請う 吾を視る勿れ矣 言い訖(お)え 忽然と見えず 時に闇也 伊弉諾尊 乃ち一片の火を挙げる 而 之を視る 時 伊弉冉尊 太く高く脹(ふく)れ満ちる 上に八色雷公(やくさのいかづち)有り 伊弉諾尊 驚いて走り還る 是時 雷等は皆が起き、追い来る 時 道辺に大桃樹有り 故 伊弉諾尊 其の樹下に隠れる 因て其の実を採る 以て雷者に擲(な)げる 雷等は皆が走り退く矣 此 桃を用い鬼を避けるは之の縁也
時 伊弉諾尊 乃投其杖曰 自此 以還 雷不敢来 是謂岐神 此本號曰来名戸之祖神焉 所謂 八雷者 在首曰大雷 在胸曰火雷 在腹曰土雷 在背曰稚雷 在尻曰黒雷 在手曰山雷 在足上曰野雷 在陰上曰裂雷
時 伊弉諾尊 乃ち其の杖を投げ曰く 自ずと此 以て還す 雷は敢えて来ず 是は岐神と謂う 此の本の號は曰く来名戸之祖(くなどのさえ)神焉 所謂(いはゆる)八雷は 首に在るを大雷と曰く 胸に在るを火雷と曰く 腹に在るを土雷と曰く 背に在るを稚雷と曰く 尻に在るを黒雷と曰く 手に在るを山雷と曰く 足上に在るを野雷と曰く 陰上に在るを裂雷と曰く
一書曰 伊弉諾尊 追至伊弉冉尊所在処 便語之曰 悲汝 故 来 答曰 族也 勿看吾矣 伊裝諾尊 不従猶看之 故 伊弉冉尊 恥恨之曰 汝 已見我情 我 復見汝情 時 伊弉諾尊 亦慙焉 因将出返 于時 不直黙 帰而盟之曰 族離 又曰 不負於族 乃所唾之神 號曰速玉之男 次掃之神 號泉津事解之男 凡二神矣
一書に曰く 伊弉諾尊 伊弉冉尊の所在する処に追い至る 便ち語り之を曰く 汝を悲しむ 故 来る 答え曰く 族(ウカラ、身内)也 吾を看る勿れ矣 伊裝諾尊 従わず猶も之を看る 故 伊弉冉尊 恥じ之を恨み曰く 汝 我の情(心)を見るを已(や)める 我 汝の情を見るを復(繰り返す) 時 伊弉諾尊 亦た慙(は)じる焉 因て将に出て返さん 于時 不直(正直でない)に黙る 帰りて之を盟(ちか)い曰く 族は離れる 又曰く 族に負けず 乃ち唾(ツワク)所之神 號は曰く速玉之男 次に掃う之神 號は泉津事解之男 凡(すべ)て二神
及其 与妹相闘於泉平坂也 伊弉諾尊曰 始為族悲 及思哀者 是吾之怯矣 時 泉守道者白云 有言矣 曰 吾与汝已生国矣 奈何更求生乎 吾則当留此国 不可共去 是時 菊理媛神 亦 有白事 伊弉諾尊 聞而善之 乃散去矣 但 親見泉国 此既不祥 故 欲濯除其穢悪
及びたる其れ 妹と泉平坂にて相闘う也 伊弉諾尊は曰く 始めは族の為に悲しむ 思い哀しむに及ぶなら 是は吾の怯え矣 時 泉守道(ヨモツチモリ)の者は白し云う 言有り矣 曰く 吾と汝は已に国を生む矣 奈何ぞ更に生むを求める乎 吾は則ち当に此国に留らん 共に去る可からず 是時 菊理媛神 亦た 白す事有り 伊弉諾尊 聞きて之を善とする 乃ち散り去る矣 但し 親(みずか)ら泉国を見る 此は既に不祥 故 其の穢悪(あいあく)を濯ぎ除くを欲する
乃往 見粟門及速吸名門 然 此二門 潮既太急 故 還向於橘之小門 而 拂濯也 于時 入水吹生磐土命 出水吹生大直日神 又 入吹生底土命 出吹生大綾津日神 又 入吹生赤土命 出吹生大地海原之諸神矣
不負於族 此云宇我邏磨穊茸
乃ち往き粟門及び速吸名門を見る 然 此の二門 潮は既に太く急ぐ 故 橘之小門に還り向かう 而 払い濯ぐ也 于時 水に入り吹き磐土命を生む 水を出て吹き大直日神を生む 又 入り吹き底土命を生む 出て吹き大綾津日神を生む 又 入り吹き赤土命を生む 出て吹き大地海原の諸神を生む矣
不負於族 此れ云う宇我邏磨穊茸(ウカラマケシ)
一書曰 伊弉諾尊 勅任三子曰 天照大神者 可以御高天之原也 月夜見尊者 可以配日而知天事也 素戔嗚尊者 可以御滄海之原也 既而 天照大神 在於天上 曰 聞葦原中国有保食神 宜爾月夜見尊就候之 月夜見尊 受勅而降 已到于保食神許
一書に曰く 伊弉諾尊 勅して三子を任じ曰く 天照大神は 以て高天之原を御す可し也 月夜見尊は 以て日に配して天の事を知らす可し也 素戔嗚尊は 以て滄海之原を御す可し也 既而 天照大神は天上に在り曰く 葦原中国には保食神有りと聞く 爾(イマシ、汝)月夜見尊は之を候(さぐ)りに就くが宜しい 月夜見尊 勅を受けて降る 已に保食神の許(もと)に到る
保食神 乃廻首嚮国 則自口出飯 又 嚮海 則鰭廣鰭狭亦自口出 又 嚮山 則毛麁毛柔亦自口出 夫品物悉備貯之百机 而 饗之 是時 月夜見尊 忿然作色曰 穢哉 鄙矣 寧可以口吐之物敢養我乎 廼抜剱撃殺 然後 復命 具言其事 時 天照大神 怒甚之曰 汝是悪神 不須相見 乃与月夜見尊 一日一夜 隔離而住
保食神 乃ち首を廻し国へ嚮(む)く 則ち口より飯を出す 又 海へ嚮(む)く 則ち鰭廣(ハタノヒロモノ、ひれの広い大魚)鰭狭(ハタノサモノ、ひれの狭い小魚)が亦た口より出る 又 山へ嚮(む)く 則ち毛麁(ケノアラモノ、毛の硬い大きな獣)毛柔(ケノニコモノ、毛の柔い小さな獣)が亦た口より出る 夫(それ)の品物は悉く之百机(モモトリノツクヘ)に備貯(溜)まる 而 之を饗する 是時 月夜見尊 忿然と色を作り曰く 穢哉 鄙(いや)しき矣 寧(いずく)んぞ 口が吐く之物を以て敢えて我を養うことが可(できる)乎 廼ち剱を抜き撃ち殺す 然後 復命する 具に其の事を言う 時 天照大神 怒り甚しく之を曰く 汝は是れ悪神 須(しばら)く相見ず 乃ち月夜見尊と 一日一夜 隔たり離れて住む
是後 天照大神 復遣天熊人往看之 是時 保食神 実已死矣 唯有其神 之頂化為牛馬 顱上生粟 眉上生蠒 眼中生稗 腹中生稲 陰生麦及大豆小豆 天熊人 悉取持去 而 奉進之 于時 天照大神喜之曰 是物者 則顕見蒼生可食 而 活之也
是後 天照大神 復た天熊人を遣わし之を看に往く 是時 保食神 実に已に死ぬ矣 唯だ有る其神 之頂が牛馬に化け為る 顱(ヒタイ、頭部)の上が粟に生る 眉の上が蠒(カイコ、繭)に生る 眼の中が稗(ひえ)に生る 腹の中が稲に生る 陰が麦及び大豆小豆に生る 天熊人 悉く取り持ち去る 而 之を奉り進む 于時 天照大神は喜び之を曰く 是の物は 則ち顕見蒼生(ウツシキアオヒトクサ、現青人草、民衆) 食べる可し 而 之を活(い)かす也
乃以粟稗麦豆為陸田種子 以稲為水田種子 又 因定天邑君 即以其稲種 始殖于天狭田及長田 其秋垂穎 八握莫莫然 甚快也 又 口裏含蠒 便得抽絲 自此始 有養蚕之道焉
保食神 此云宇気母知能加微 顕見蒼生 此云宇都志枳阿鳥比等久佐
乃ち粟稗麦豆を以て陸田の種子と為す 稲を以て水田の種子と為す 又 因て天邑君(アメノムラキミ、村の代表者)を定める 即ち其の稲種を以て 始めに天狭田及び長田に殖える 其の秋の垂穎(たりほ、実り垂れた稲穂) 八握莫莫然(ヤツカラニシナイテ) 甚(いた)く快い也 又 口裏に蠒(繭)を含む 便ち絲を抽(ひ)き得る 此より始まり 養蚕の道が有り焉
保食神 此れ云う宇気母知能加微 顕見蒼生 此れ云う宇都志枳阿鳥比等久佐
根国へ行く前に姉に会おうと素戔嗚は高天原を訪れるが、天照は高天原を奪いに来たのではと疑う。素戔嗚に悪意がないと証明するため誓約を行い、宗像三女神と五男神が誕生する。
於是 素戔嗚尊請曰 吾今奉教 将就根国 故 欲暫 向高天原 与姉相見 而後 永退矣 勅許之 乃昇詣之於天也
於是 素戔嗚尊は請い曰く 吾は今教えを奉る 将に根国に就かん 故 暫し高天原へ向かうを欲する 姉と相い見(まみ)える 而後 永く退く矣 勅は之を許す 乃ち之天に昇り之を詣でる也
是後 伊弉諾尊 神功既畢 霊運当遷 是以 構幽宮於淡路之洲 寂然 長隠者矣 亦曰 伊弉諾尊 功既至矣 徳亦大矣 於是 登天報命 仍留宅於日之少宮矣 少宮 此云倭柯美野
是後 伊弉諾尊 神功を既に畢(終)える 霊(みたま)の運(さだめ)は当に遷らん 是以 淡路之洲に幽宮(かくれみや)を構える 寂然(じゃくねん、ひっそり静かに) 長く隠者たる矣 亦た曰く 伊弉諾尊 功は既に至る矣 徳も亦た大なる矣 於是 天に登り報命する 仍(よ)りて日之少宮(ひのわかみや)に留まり宅(住)む矣 少宮 此れ云う倭柯美野
始 素戔嗚尊 昇天之時 溟渤 以之鼓盪 山岳 為之鳴呴 此則神性雄健 使之然也 天照大神 素知其神暴悪 至聞来詣之状 乃勃然 而 驚曰 吾弟之来 豈以善意乎 謂 当有奪国之志歟 夫父母 既任諸子各 有其境 如何棄置 当就之国 而 敢窺窬此処乎
始め 素戔嗚尊 天に昇る之時 溟渤(めいぼつ、広大な海) 之を以て鼓盪(ことう、打ち震わせる)する 山岳 之の為に鳴呴(鳴き吼える)する 此れ則ち神性の雄健 之然ら使む也 天照大神 素(もと)より其神の暴悪を知る 詣で来る之状を聞くに至る 乃ち勃然(ぼつぜん、顔色を変える) 驚き曰く 吾が弟の之来る 豈(あに)善意を以て乎 謂(おも)うに 当に国を奪う之志が有らん歟 夫れの父母 既に諸(もろもろ)を子各(おのおの)に任せる 其の境は有る 如何ぞ棄て置き当に之国に就かん 而 敢えて此処を窺窬(きゆ、隙を窺い狙う)する乎
乃結髮為髻 縛裳為袴 便以八坂瓊之五百箇御統 御統 此云美須磨屢 纒其髻鬘及腕 又 背負千箭之靫 千箭 此云知能梨 与五百箭之靫 臂著稜威之高鞆 稜威 此云伊都 振起弓彇 急握剱柄 踏堅庭 而 陥股 若沫雪 以蹴散 蹴散 此云倶穢簸邏邏箇須 奮稜威之雄誥 雄誥 此云鳥多稽眉 発稜威之嘖譲 嘖譲 此云挙廬毗 而 径詰問焉
乃ち髮を結い髻を為す 裳を縛り袴と為す 便ち八坂瓊の五百箇御統以て 御統 此れ云う美須磨屢 其の髻鬘(ミイナダキ、ミツラ)及び腕に纒う 又 千箭(ちのり、千本の矢)の靫(ゆぎ) 千箭 此れ云う知能梨 と五百箭(いおのり、、五百本の矢)の靫を背負う 臂(タダムキ、腕・肘)に稜威(いつ)の高鞆(たかとも、弓手の手首内側につける)を著(着)る 稜威 此れ云う伊都 弓彇(ゆはず、弓の両端)を振り起て 急ぎ剱の柄を握る 堅庭を踏む 而 股(ムカモモ)に陥(おちい)る 沫雪の若し 以て蹴散らす 蹴散 此れ云う倶穢簸邏邏箇須 稜威(イツ)の雄誥(おたけび)を奮い 雄誥 此れ云う鳥多稽眉 稜威の嘖譲(コロビ)を発し 嘖譲 此れ云う挙廬毗 而 径(タタ、まっすぐ)に詰問する焉
素戔嗚尊対曰 吾元無黒心 但 父母已有厳勅 将永就乎 根国 如不与姉相見 吾 何能敢去 是以 跋渉雲霧 遠自来参 不意 阿姉翻起厳顏 于時 天照大神復問曰 若然者 将何以 明爾之赤心也 対曰 請 与姉共誓 夫誓約之中 誓約之中 此云宇気譬能美儺箇 必当生子 如吾所生 是女者 則可以為有濁心 若是男者 則可以為有清心
素戔嗚尊は対し曰く 吾の元は黒心無し 但し 父母が厳勅有る已(のみ) 将に永く就かん乎 根国 如(も)し姉と相い見(まみ)えず 吾は 何ぞ敢えて去るに能う 是以 雲霧を跋(ふ)み渉(わた)る 遠く自ら参じ来る 意せず 阿姉(あし)は厳顏を翻えし起(た)つ 于時 天照大神は復た問い曰く 若し然らば 将に何を以て 爾(なんじ)の赤心を明かさん也 対し曰く 請う 姉と共に誓う 夫(そ)の誓約の中 誓約之中 此れ云う宇気譬能美儺箇 必ず当に子を生さん 如(も)し吾が生む所 是が女なら 則ち以て濁心有りと為す可し 若し是が男なら 則ち以て清心有りと為す可し
於是 天照大神 乃索取素戔嗚尊十握剱 打折為三段 濯於天真名井 𪗾然咀嚼 𪗾然咀嚼 此云佐我弥爾加武 而 吹棄気噴之狭霧 吹棄気噴之狭霧 此云浮枳于都屢伊浮岐能佐擬理 所生神 號曰田心姫 次湍津姫 次市杵嶋姫 凡三女矣
於是 天照大神 乃ち素戔嗚尊の十握剱を索(もと)め取る 打ち折り三段に為す 天真名井に濯ぐ 𪗾然(サカミ)に咀嚼(そしゃく)する 𪗾然咀嚼 此れ云う佐我弥爾加武 而 吹き棄てる気噴(イフキ)の狭霧(さぎり) 吹棄気噴之狭霧 此れ云う浮枳于都屢伊浮岐能佐擬理 生む所の神 號は曰く田心姫 次に湍津姫 次に市杵嶋姫 凡(すべ)て三女矣
既而 素戔嗚尊 乞取天照大神髻鬘及腕所纒八坂瓊之五百箇御統 濯於天真名井 𪗾然咀嚼 而 吹棄気噴之狭霧 所生神 號曰正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 次天穂日命 是出雲臣土師連等祖也 次天津彦根命 是凡川内直山代直等祖也 次活津彦根命 次熊野櫲樟日命 凡五男矣
既而 素戔嗚尊 天照大神の髻鬘及び腕の所に纏う八坂瓊之五百箇御統を乞い取る 天真名井に濯ぐ 𪗾然(サカミ)に咀嚼(そしゃく)する 而 吹き棄てる気噴の狭霧 生む所の神 號は曰く正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 次に天穂日命 是は出雲臣土師連等の祖也 次に天津彦根命 是は凡川内直山代直等の祖也 次に活津彦根命 次に熊野櫲樟日命 凡(すべ)て五男矣
是時 天照大神勅曰 原其物根 則八坂瓊之五百箇御統者 是吾物也 故 彼五男神 悉是吾兒 乃取而子養焉 又 勅曰 其十握剱者 是素戔嗚尊物也 故 此三女神 悉是爾兒 便授之素戔嗚尊 此則筑紫胸肩君等所祭神 是也
是時 天照大神は勅し曰く 其の物の根ざす原 則ち八坂瓊之五百箇御統は 是は吾の物也 故 彼の五男神 悉く是は吾兒 乃ち取りて子養う焉 又 勅し曰く 其の十握剱は 是は素戔嗚尊の物也 故 此の三女神 悉く是は爾(なんじ)の兒 便ち素戔嗚尊に之を授ける 此れ則ち筑紫の胸肩君等の祭る所の神 是也
一書曰 日神本知 素戔嗚尊有武健凌物之意 及其上至 便謂 弟所以来者 非是善意 必当奪我天原 乃設大夫武備 躬帯十握剱九握剱八握剱 又 背上負靫 又 臂著稜威高鞆 手捉弓箭 親迎防禦
一書に曰く 日神は本より知る 素戔嗚尊に武健(タケウシテ)物を凌ぐ(あなどる)の意有り 其の上り至るに及び 便ち謂(おも)う 弟の来る所以は 是は善意に非ず 必ず当に我の天原を奪わん 乃ち大夫の武備を設ける 躬は十握剱九握剱八握剱を帯びる 又 背上は靫を負う 又 臂(ただむき)は稜威高鞆(たかとも)を著(着)る 手は弓箭(弓矢)を捉える 親(みずか)ら迎え防御する
是時 素戔嗚尊告曰 吾元 無悪心 唯欲与姉相見 只為暫来耳 於是 日神共素戔嗚尊相対 而 立誓曰 若汝心明浄 不有凌奪之意者 汝所生兒 必当男矣 言訖先 食所帯十握剱 生兒 號瀛津嶋姫 又 食九握剱生兒 號湍津姫 又 食八握剱生兒 號田心姫 凡三女神矣
是時 素戔嗚尊は告げ曰く 吾の元 悪心無し 唯だ姉と相い見(まみ)えるを欲する 只だ暫らく来るを為すのみ 於是 日神は共に素戔嗚尊と相対する 而 誓いを立て曰く 若し汝の心が明浄 凌ぎ奪う之意が有らざるなら 汝の生む所の兒 必ず当に男矣 言い訖(お)え先(ま)ず 所帯する十握剱を食む 生む兒 號は瀛津嶋(ヲキツシマ)姫 又 九握剱を食み生む兒 號は湍津姫 又 八握剱を食み生む兒 號は田心姫 凡(すべ)て三女神矣
已而 素戔嗚尊 以其頸所嬰五百箇御統之瓊 濯于天渟名井亦名去来之真名井 而 食之 乃生兒 號正哉吾勝勝速日天忍骨尊 次天津彦根命 次活津彦根命 次天穂日命 次熊野忍蹈命 凡五男神矣 故 素戔嗚尊 既得勝験 於是 日神 方知素戔嗚尊固無悪意 乃以日神所生三女神 令降於筑紫洲 因教之曰 汝 三神 宜降居道中 奉助天孫 而 為天孫所祭也
已而 素戔嗚尊 其の首が嬰(めぐ)らす所の五百箇御統の瓊を以て 天渟名井亦の名を去来之真名井(イサノマナイ)に濯ぐ 而 之を食む 乃ち生む兒 號は正哉吾勝勝速日天忍骨尊 次に天津彦根命 次に活津彦根命 次に天穂日命 次に熊野忍蹈命 凡(すべ)て五男神矣 故 素戔嗚尊 既に勝験を得る 於是 日神 方に素戔嗚尊の固く悪意の無さを知る 乃ち日神の生む所の三女神を以て 筑紫洲に降ら令める 因て之を教え曰く 汝 三神 降りて道中に居るが宜しい 奉りて天孫を助ける 而 天孫の為に所祭(イツカレヨ)也
一書曰 素戔嗚尊 将昇天 時 有一神 號羽明玉 此神奉迎 而 進以瑞八坂瓊之曲玉 故 素戔嗚尊 持其瓊玉 而 到之於天上也 是時 天照大神 疑弟有悪心 起兵詰問 素戔嗚尊 対曰 吾所以来者 実欲与姉相見 亦 欲献珍宝瑞八坂瓊之曲玉耳 不敢別有意也 時 天照大神 復問曰 汝言虚実 将何以為験 対曰 請 吾与姉 共立誓約 誓約之間 生女為黒心 生男為赤心
一書に曰く 素戔嗚尊 将に天へ昇らん 時 一神有り 號は羽明玉 此の神が迎え奉る 而 瑞八坂瓊之曲玉を以て進む 故 素戔嗚尊 其の瓊玉を持つ 而 天上に到る之也 是時 天照大神 弟に悪心有るを疑う 兵を起こし詰問する 素戔嗚尊 対し曰く 吾の来る所以は 実に姉と相い見(まみ)えるを欲する 亦た 珍宝の瑞八坂瓊之曲玉を献じるを欲するのみ 別に意が有るを不敢(滅相もない)也 時 天照大神 復た問い曰く 汝の言の虚実 将に何を以て験と為さん 対し曰く 請う 吾と姉 共に誓約を立てる 誓約の間 女を生むは黒心の為 男を生むは赤心の為
乃掘天真名井三処 相与対立 是時 天照大神 謂素戔嗚尊曰 以吾所帯之剱 今当奉汝 汝 以汝所持八坂瓊之曲玉 可以授予矣 如此約束 共相換取 已而 天照大神 則以八坂瓊之曲玉 浮寄於天真名井 囓断瓊端 而 吹出気噴之中化生神 號市杵嶋姫命 是居于遠瀛者也 又 囓断瓊中 而 吹出気噴之中化生神 號田心姫命 是居于中瀛者也 又 囓断瓊尾 而 吹出気噴之中化生神 號湍津姫命 是居于海浜者也 凡三女神
乃ち天真名井を三処に掘る 相与(アイトモ)に対し立つ 是時 天照大神 素戔嗚尊に謂い曰く 吾の所帯する剱を以て 今当に汝に奉らん 汝 汝の所持する八坂瓊之曲玉を以て 以て予に授ける可し矣 此の如く約束する 共に相い換え取る 已而 天照大神 則ち八坂瓊之曲玉を以て 天真名井に浮き寄せ 瓊の端を齧り断つ 而 吹き出す気噴の中に化生する神 號は市杵嶋姫命 是は遠い瀛(海や沢池沼)に居る者也 又 瓊の中を齧り断つ 而 吹き出す気噴の中に化生する神 號は田心姫命 是は中瀛に居る者也 又 瓊の尾を齧り断つ 而 吹き出す気噴の中に化生する神 號は湍津姫命 是は海浜(浜)に居る者也 凡(すべ)て三女神
於是 素戔嗚尊 以所持剱 浮寄於天真名井 囓断剱末 而 吹出気噴之中化生神 號天穂日命 次正哉吾勝勝速日天忍骨尊 次天津彦根命 次活津彦根命 次熊野櫲樟日命 凡五男神 云爾
於是 素戔嗚尊 所持する剱を以て 天真名井に浮き寄せ 剱の末を齧り断つ 而 吹き出す気噴の中に化生する神 號は天穂日命 次に正哉吾勝勝速日天忍骨尊 次に天津彦根命 次活津彦根命 次に熊野櫲樟日命 凡(すべ)て五男神 云爾(シカリ、うんじ)
一書曰 日神与素戔嗚尊 隔天安河而相対 乃立誓約曰 汝 若不有奸賊之心者 汝所生子必男矣 如生男者 予以為子 而 令治天原也 於是 日神 先食其十握剱 化生兒瀛津嶋姫命 亦名市杵嶋姫命 又 食九握剱 化生兒湍津姫命 又 食八握剱 化生兒田霧姫命
一書に曰く 日神と素戔嗚尊 天安河を隔てて相対する 乃ち誓約を立て曰く 汝 若し奸賊の心が有らざるなら 汝の生む所の子は必ず男矣 如(も)し男を生すなら 予は以て子と為す 而 天原を治め令める也 於是 日神 先ず其の十握剱を食む 化生する兒は瀛津嶋姫命 亦たの名は市杵嶋姫命 又 九握剱を食む 化生する兒は湍津姫命 又 八握剱を食む 化生する兒は田霧姫命
已而 素戔嗚尊 含其左髻所纒五百箇御統之瓊 而 著於左手掌中 便化生男矣 則称之曰 正哉吾勝 故 因名之曰勝速日天忍穂耳尊 復 含右髻之瓊 著於右手掌中 化生天穂日命 復 含嬰頸之瓊 著於左臂中 化生天津彦根命 又 自右臂中 化生活津彦根命 又 自左足中 化生熯之速日命 又 自右足中 化生熊野忍蹈命 亦名熊野忍隅命 其素戔嗚尊所生之兒 皆已男矣
已而 素戔嗚尊 其の左髻の所に纏う五百箇御統の瓊を含む 而 左手の掌中に著す 便ち男に化生する矣 則ち称え之を曰く 正哉吾勝 故 因て名は之に曰く勝速日天忍穂耳尊 復 右髻の瓊を含む 右手の掌中に著す 天穂日命に化生する 復 首に嬰(めぐ)らす之瓊を含む 左臂(タダムキ、かいな)の中に著す 天津彦根命に化生する 又 右臂の中より 活津彦根命に化生する 又 左足の中より 熯之速日命に化生する 又 右足の中より 熊野忍蹈命に化生する 亦の名は熊野忍隅命 其の素戔嗚尊の生む所の之兒 皆が男のみ矣
故 日神 方知 素戔嗚尊元有赤心 便取其六男 以為日神之子 使治天原 即以日神所生三女神者 使降 居于葦原中国之宇佐嶋矣 今在海北道中 號曰道主貴 此筑紫水沼君等祭神 是也
熯干也 此云備
故 日神は方に知る 素戔嗚尊の元は赤心有り 便ち其の六男を取る 以て日神の子と為す 天原を治め使む 即ち日神を以て生む所の三女神は 降ら使む 葦原中国の宇佐嶋に居る矣 今は海の北道の中に在る 號は曰く道主貴 此は筑紫の水沼君等が祭る神 是也
熯は干也 此れ云う備
誓約に勝利した素戔嗚が働く数々の狼藉を、はじめ天照は受容していたが、遂に耐えられなくなり岩戸に籠る。闇に閉ざされた世界を憂える諸神は策を講じて天照を引きだし、素戔嗚を罰して放逐する。
是後 素戔嗚尊之為行也 甚無状 何則 天照大神 以天狭田長田為御田 時 素戔嗚尊 春則重播種子 重播種子 此云璽枳磨枳 且 毀其畔 毀 此云波那豆 秋則放天斑駒 使伏田中
是後 素戔嗚尊の為す行い也 甚だ無状(無作法) 何則(なんとなればすなはち) 天照大神 天狭田(さなだ)長田(ながた)を以て御田(おんだ)と為す 時 素戔嗚尊 春は則ち重播種子(しきまき、種蒔のあと重ねて種を蒔く) 重播種子 此れ云う璽枳磨枳 且 其の畔を毀(こわ)す 毀 此れ云う波那豆 秋は則ち天斑駒(ふちこま)を放つ 田の中に伏せ使む
復 見天照大神当新嘗 時 則陰 放屎於新宮 又 見天照大神方 織神衣 居斎服殿 則剥天斑駒 穿殿甍而投納
復 天照大神の新嘗に当たるを見る 時 則ち陰に 新宮に糞を放つ 又 天照大神が方(まさ)に神衣(かんみそ)を織り斎服殿(いむはたどの)に居るを見る 則ち天斑駒を剥ぎ 殿甍を穿ちて投納(投げ入れ)る
是時 天照大神 驚動 以梭傷身 由此発慍 乃入于天石窟閉磐戸 而 幽居焉 故 六合之内常闇 而 不知晝夜之相代
是時 天照大神 驚き動じる 梭(かび、機織の横糸を通す舟形の器具)を以て身を傷つける 此の由に慍(怒)りを発する 乃ち天石窟に入り磐戸を閉ざす 而 幽居する(引籠る)焉 故 六合(くに、天地と四方で全世界)の内は常闇 而 昼夜の相代わるを知らず
于時 八十万神 会合於天安河辺 計其可祷之方 故 思兼神 深謀遠慮 遂 聚常世之長鳴鳥 使互長鳴 亦 以手力雄神 立磐戸之側
于時 八十万神 天安河辺に会合する 其の祷(いの)る可(べ)き方(サマ)を計る 故 思兼神 深謀遠慮 遂げる 常世の長鳴鳥を聚(集)め 互いに長鳴きせ使む 亦 手力雄神を以て磐戸の側に立てる
而 中臣連遠祖天兒屋命 忌部遠祖太玉命 掘天香山之五百箇真坂樹 而 上枝懸八坂瓊之五百箇御統 中枝懸八咫鏡 一云 真経津鏡 下枝懸青和幣 和幣 此云尼枳底 白和幣 相与致其祈祷焉
而 中臣連遠祖の天兒屋命 忌部遠祖の太玉命 天香山の五百箇真坂樹(いをつのまさかき)を掘る 而 上枝に八坂瓊之五百箇御統(みすまる、数珠状につないだ玉)を懸ける 中枝に八咫鏡 一云 真経津鏡 を懸ける 下枝に青和幣と 和幣 此れ云う尼枳底(にぎて) 白和幣を懸ける 相与(あいとも)に其の祈祷を致す焉
又 猿女君遠祖天鈿女命 則手持茅纒之矟 立於天石窟戸之前 巧作俳優 亦 以天香山之真坂樹為鬘 以蘿 蘿 此云此舸礙 為手繦 手繦 此云多須枳 而 火処焼 覆槽置 覆槽 此云于該 顕神明之憑談 顕神明之憑談 此云歌牟鵝可梨
又 猿女君遠祖の天鈿女命 則ち手に茅纏之矟(ちまきのほこ)を持つ 天石窟戸の前に立つ 巧に作俳優(ワザナス) 亦 天香山の真坂樹を以て鬘(かつら)と為す 蘿(ひかげ、つたかずら)を以て 蘿 此れ云う此舸礙 手繦(たすき)と為す 手繦 此れ云う多須枳 而 火処焼(シメホトコロヤキ、火を灯し) 覆槽置(ウケフネトドロカシ、桶を伏せ置き) 覆槽 此れ云う于該 顕神明之憑談(カンカカリス、神明憑談(しんめいひょうだん、神懸)を顕す) 顕神明之憑談 此れ云う歌牟鵝可梨(かんがかり)
是時 天照大神聞之 而 曰 吾比閉 居石窟 謂当豊葦原中国必為長夜 云何 天鈿女命 㖸楽如此者乎 乃以御手細開磐戸 窺之
是時 天照大神が之を聞く 而 曰く 吾は比(コノゴロ)閉ざし 石窟に居る 謂(おもう)に当に豊葦原中国は必ず長夜と為らん 云何(イカンゾ) 天鈿女命 㖸楽(エラク、楽しみ笑う)する此の如く者乎 乃ち御手を以て磐戸を細く開け 之を窺う
時 手力雄神 則奉承天照大神之手 引 而 奉出 於是 中臣神忌部神 則界以端出之縄 縄 亦云左縄端出 此云斯梨倶梅儺波 乃請曰 勿復還幸
時 手力雄神 則ち天照大神の手を承(うけ)奉り 引く 而 出し奉る 於是 中臣神忌部神 則ち端出之縄(しりくへなわ、注連)を以て界(さかい)とする 縄 亦た云う左縄端出 此れ云う斯梨倶梅儺波 乃ち請い曰く 復た還幸する勿れ
然後 諸神 帰罪過於素戔嗚尊 而 科之 以千座置戸 遂促徴矣 至使抜髮 以贖其罪 亦曰 抜其手足之爪 贖之 已而 竟逐降焉
然後 諸神 罪過を素戔嗚尊に帰す 而 科すは之 千座置戸を以て 遂に徴を促(せま)る矣 髮を抜か使むに至る 以て其の罪を贖う 亦た曰く 其の手足の爪を抜き之を贖う 已而 竟(つい)に逐降焉(カンヤライニヤライキ)
一書曰 是後 稚日女尊 坐于斎服殿 而 織神之御服也 素戔嗚尊 見之 則逆剥斑駒 投入之殿内 稚日女尊 乃驚 而 堕機 以所持梭傷体 而 神退矣 故 天照大神 謂素戔嗚尊曰 汝 猶有黒心 不欲与汝相見 乃入于天石窟 而 閉著磐戸焉
一書に曰く 是後 稚日女尊 斎服殿に坐す 而 神の御服を織る也 素戔嗚尊 之を見る 則ち斑駒(ふちこま)を逆剥ぐ(皮を尾の方から剝ぐ、古代では禁忌) 之を殿内に投げ入れる 稚日女尊 乃ち驚く 而 機(はた)より堕ちる 以て所持する梭が体を傷つける 而 神退る矣 故 天照大神は素戔嗚尊に謂い曰く 汝 猶も黒心有り 汝と相見えるを欲さず 乃ち天石窟に入る 而 磐戸を閉め著ける(つける、くっつける)焉
於是 天下恒闇 無復晝夜之殊 故 会八十万神於天高市 而 問之 時 有高皇産霊之息思兼神 云者 有思慮之智 乃思 而 白曰 宜図造彼神之象 而 奉招祷也 故 即以石凝姥為冶工 採天香山之金 以作日矛 又 全剥真名鹿之皮 以作天羽韛 用此 奉造之神 是即 紀伊国所坐日前神也
石凝姥 此云伊之居梨度咩 全剥 此云宇都播伎
於是 天下は恒に闇 昼夜の殊(別)も復た無し 故 八十万神を天高市(アメノタケチ)に会する 而 之を問う 時 高皇産霊の息(子)の思兼神と有り 云う者 思慮の智有り 乃ち思う 而 白し曰く 彼の神の象(かたち)を図り造るが宜しい 而 奉り招き祈る也 故 即ち石凝姥を以て冶工(やこう、鍛冶屋)と為す 天香山の金(かね)を採る 以て日矛(ひぼこ)を作る 又 真名鹿(まなか)の皮を全て剥ぐ 以て天羽韛(あめのはぶき、ふいご)を作る 此れを用い 造り奉る之神 是れ即ち 紀伊国に坐す所の日前神(ひのくまのかみ)也
石凝姥 此れ云う伊之居梨度咩 全剥 此れ云う宇都播伎
一書曰 日神尊 以天垣田為御田 時 素戔嗚尊 春 則塡渠毀畔 又秋 穀已成 則冐以絡縄 且 日神居織殿 時 則生剥斑駒 納其殿内 凡此諸事 盡是無状 雖然 日神 恩親之意 不慍不恨 皆 以平心容焉
一書に曰く 日神尊(ヒノカミノミコト) 天垣田(あめのかきた)を以て御田と為す 時 素戔嗚尊 春 則ち渠(みぞ)を埋め畔を毀す 又た秋 穀が已に成る 則ち絡縄(あぜなわ)を以て冒す 且 日神が織殿に居る 時 則ち斑駒(ふちこま)を生剥ぐ 其の殿内に納(ナゲイル) 凡そ此の諸事 尽く是は無状(無作法) 雖然(しかれども) 日神 恩親之意(睦まじき心)で 慍(怒)らず恨まず 皆 平かな心を以て容(ゆる)す焉
及至 日神 当新嘗之時 素戔嗚尊 則於新宮御席之下 陰自送糞 日神不知 俓 坐席上 由是 日神 挙体不平 故 以恚恨 廼居于天石窟 閉其磐戸
及至 日神 当に新嘗せん之時 素戔嗚尊 則ち新宮の御席の下に 陰(ひそか)に自ら送糞(クソマル) 日神は知らず 俓(まっすぐに) 席上に坐る 由是 日神 挙(振舞い)体は平がず 故 恚る(ふしくる、憤る)恨むを以て 廼(すなわ)ち天石窟に居る 其の磐戸を閉める
于時 諸神憂之 乃使鏡作部遠祖天糠戸者造鏡 忌部遠祖太玉者造幣 玉作部遠祖豊玉者造玉 又 使山雷者採五百箇真坂樹八十玉籤 野槌者採五百箇野薦八十玉籤 凡此諸物 皆 来聚集
于時 諸神は之を憂う 乃ち鏡作部遠祖の天糠戸に鏡を造ら使む 忌部遠祖の太玉は幣を造る 玉作部遠祖の豊玉は玉を造る 又 山雷には五百箇真坂樹八十玉籤(やそたまくし)を採ら使む 野槌は五百箇野薦(のすすの)八十玉籤を採る 凡そ此の諸物 皆 聚集(あつ)め来る
時 中臣遠祖天兒屋命 則以神祝祝之 於是 日神 方開磐戸 而 出焉 是時 以鏡入其石窟者 触戸 小瑕 其瑕 於今猶存 此即 伊勢崇秘 之大神也 已而 科罪於素戔嗚尊 而 責 其秡具 是以有 手端吉棄物 足端凶棄物 亦 以唾為白和幣 以洟為青和幣 用此解除竟 遂以神逐之理 逐之
時 中臣遠祖の天兒屋命 則ち以て神祝祝之(カンホサキホサキキ、神へ祝い言を述べる) 於是 日神 方(まさ)に磐戸を開ける 而 出る焉 是時 鏡を以て其の石窟に入るは 戸に触れ 小さく瑕(傷)つく 其の瑕 今に於いて猶も存る 此れ即ち 伊勢に崇め秘す 之大神也 已而 罪を素戔嗚尊に科す 而 責める 其の秡具(はらいぐ) 有るものを以て是とする 手端(タナスヘ)の吉棄物(ヨシキライモノ) 足端(アナスヘ)の凶棄物(アシキライモノ) 亦 唾を以て白和幣と為す 洟を以て青和幣と為す 此を用い解除し竟(お)える 遂に神逐(かんやらい)の理を以て 之を逐(お)う
送糞 此云倶蘇摩屢 玉籤 此云多摩倶之 秡具 此云波羅閉都母能 手端吉棄 此云多那須衞能余之岐羅毗 神祝祝之 此云加武保佐枳保佐枳枳 遂之 此云波羅賦
送糞 此れ云う倶蘇摩屢 玉籤 此れ云う多摩倶之 秡具 此れ云う波羅閉都母能 手端吉棄 此れ云う多那須衞能余之岐羅毗 神祝祝之 此れ云う加武保佐枳保佐枳枳 遂之 此れ云う波羅賦
一書曰 是後 日神之田有三処焉 號曰天安田 天平田 天邑并田 此皆良田 雖経霖旱無所損傷 其素戔嗚尊之田 亦有三処 號曰天樴田 天川依田 天口銃田 此皆磽地 雨則流之 旱則焦之
一書に曰く 是後 日神の田は三処有り焉 號は曰く天安田 天平田 天邑并田 此れ皆な良田 霖(長雨)や旱(日照り)を経ると雖も損傷する所は無し 其の素戔嗚尊の田 亦た三処有り 號は曰く天樴田 天川依田 天口銃田 此れ皆な磽地(こうかく、小石の多い痩せ地) 雨には則ち流れる之 旱(ひでり)には則ち焦げる之
故 素戔嗚尊 妬害姉田 春則廃渠槽 及埋溝 毀畔 又 重播種子 秋則捶籤 伏馬 凡此悪事 曽無息時 雖然 日神不慍 恒以平恕相容焉 云々
故 素戔嗚尊 姉の田を妬み害する 春は則ち渠槽を廃す 及び溝を埋める 畔を毀(こわ)す 又 種子を重播(しきまき、種蒔のあと重ねて種を蒔く)する 秋は則ち捶籤(くしざし、他人の土地に所有権を示す串を刺して奪う)する 馬を伏す 凡そ此の悪事 曽(かつ)て息つく時も無し 雖然 日神は慍(怒)らず 恒に平らかな恕(思いやり)を以て相容れる焉 云々
至於日神閉 居于天石窟也 諸神 遣中臣連遠祖興台産霊兒天兒屋命 而 使祈焉 於是 天兒屋命 握天香山之真坂木 而 上枝懸 以鏡作遠祖天抜戸兒石凝戸辺所作八咫鏡 中枝懸 以玉作遠祖伊弉諾尊兒天明玉所作八坂瓊之曲玉 下枝懸 以粟国忌部遠祖天日鷲所作木綿
日神は閉じる至り 天石窟に居る也 諸神 中臣連遠祖の興台産霊(ココトムスビ)の兒の天兒屋命を遣わす 而 祈ら使む焉 於是 天兒屋命 天香山の真坂木を握る 而 上枝に掛ける 以て鏡作遠祖の天抜戸の兒の石凝戸辺が作る所の八咫鏡 中枝に掛ける 以て玉作遠祖の伊弉諾尊の兒の天明玉が作る所の八坂瓊之曲玉 下枝に掛ける 以て粟国(阿波国)忌部遠祖の天日鷲が作る所の木綿
乃使忌部首遠祖太玉命執取 而 廣厚称辞祈啓矣 于時 日神聞之曰 頃者 人雖多請 未有若此言之麗美者也 乃細開磐戸 而 窺之 是時 天手力雄神 侍磐戸側 則引開之者 日神之光 満於六合 故 諸神大喜
乃ち忌部首遠祖の太玉命に執取(トリモタ)使む 而 広く厚く称辞(たたえごと)を祈り啓(もう)す矣 于時 日神は之を聞き曰く 頃(このごろ)は 人が多く請うと雖も 未だ此の言の若(ごと)き之麗美な者は有らず也 乃ち細く磐戸を開ける 而 之を窺う 是時 天手力雄神 磐戸の側に侍る 則ち之を引き開けるなら 日神の光 六合(くに、天地と四方で全世界)を満たす 故 諸神は大いに喜ぶ
即科素戔嗚尊千座置戸 之解除 以手爪為吉爪棄物 以足爪為凶爪棄物 乃使天兒屋命掌其解除之太諄辞 而 宣之焉 世人慎収己爪者 此其縁也 既而 諸神 嘖素戔嗚尊曰 汝所行甚無頼 故 不可住於天上 亦 不可居於葦原中国 宜急適於底根之国 乃共逐降去
即ち素戔嗚尊に千座置戸を科す 之解除(ハラエ)は 手爪を以て吉爪棄物(ヨシキライモノ)と為す 足爪を以て凶爪棄物(アシキライモノ)と為す 乃ち天兒屋命に其の解除(ハラエ)の太諄辞(フトノリ)を掌(ツカサト)ら使む 而 之を宣う焉 世人が慎み己の爪を収めるは 此れ其の縁也 既而 諸神 素戔嗚尊を嘖(さいな)み曰く 汝の所行は甚だ無頼 故 天上に住む可からず 亦 葦原中国にも居る可からず 急ぎ底(ソコツ)根之国に適(ゆ)くが宜しい 乃ち共に逐降去(ヤライヤリキ)
于時 霖也 素戔嗚尊 結束青草 以為笠蓑 而 乞宿於衆神 衆神曰 汝是 躬行濁悪 而 見逐謫者 如何乞宿於我 遂同距之 是以 風雨雖甚 不得留休 而 辛苦降矣 自爾以来 世諱著笠蓑以入他人屋内 又 諱負束草以入他人家内 有犯此者必債解除 此太古之遺法也
于時 霖(長雨)也 素戔嗚尊 青草を結い束ね 以て笠蓑と為す 而 衆神に宿を乞う 衆神は曰く 汝は是れ 躬(身)の行いが濁り悪し 而 逐いの謫(たく、罪科による配流)の者と見る 如何(いかんぞ)宿を我に乞う 遂に同距(トモニフセグ)之 是以 風雨甚しと雖も 留まり休むを得ず 而 辛く苦しみ降る矣 爾(それ)より以来 世に笠蓑を着るを以て他人の屋内に入るを諱む(憚る) 又 束草を負うを以て他人の家内に入るを諱む 此を犯す者には必ず解除(ハラエ)の債(返すべき負い目)有り 此れ太古の遺法也
是後 素戔嗚尊曰 諸神逐我 我今 当永去 如何 不与我姉相見 而 擅自 俓去歟 廼復扇天扇国 上詣于天 時 天鈿女見之 而 告言於日神也 日神曰 吾弟所以上来 非復好意 必欲奪我之国者歟 吾雖婦女 何当避乎 乃躬裝武備 云々
是後 素戔嗚尊は曰く 諸神は我を逐う 我は今 当に永く去らん 如何(いかんぞ) 我と姉が相見えず 而 擅自(勝手に) 俓(まっすぐ)去る歟 廼ち復た天を扇ぎ国を扇ぐ 天に上り詣でる 時 天鈿女が之を見る 而 日神に告げ言う也 日神は曰く 吾が弟の上り来る所以は 復た好意に非ず 必ず我の国を奪おうと欲する者歟 吾は婦女と雖も 何ぞ当に避けん乎 乃ち身に武備を装う 云々
於是 素戔嗚尊誓之曰 吾 若懐不善而復上来者 吾今 齧玉生兒 必当為女矣 如此 則可以降女於葦原中国 如有清心者 必当生男矣 如此 則可以使男御天上 且 姉之所生 亦同此誓 於是 日神先囓十握剱 云々
於是 素戔嗚尊は之を誓い曰く 吾 若し懐が善からずして復た上り来るなら 吾が今 玉を齧り生む子 必ず当に女と為さん矣 如此(かくのごとし) 則ち以て葦原中国に女を降す可し 如(も)し清心が有るなら 必ず当に男を生まん矣 如此 則ち以て男に天上を御(ぎょ)さ使む可し 且 姉の生む所 亦た此に同じく誓う 於是 日神は先に十握剱を齧る 云々
素戔嗚尊 乃轠轤然 解其左髻所纒五百箇統之瓊綸 而 瓊響瑲瑲 濯浮於天渟名井 囓其瓊端 置之左掌 而 生兒正哉吾勝勝速日天忍穂根尊 復囓右瓊 置之右掌 而 生兒天穂日命 此出雲臣 武蔵国造 土師連等遠祖也 次 天津彦根命 此茨城国造額田部連等遠祖也 次活目津彦根命 次熯速日命 次熊野大隅命 凡六男矣
素戔嗚尊 乃ち轠轤然(オモクルルニ) 其の左の髻の所に纏う五百箇統(いおつのみすまる)の瓊の綸(りん、緒)を解く 而 瓊は瑲瑲(ヲヌナトモモユラニ、玉が触れて鳴る擬音)と響く 天の渟名井に浮かべ濯ぐ 其の瓊の端を齧る 之を左掌に置く 而 生む兒は正哉吾勝勝速日天忍穂根尊 復た右の瓊を齧る 之を右掌に置く 而 生む兒は天穂日命 此は出雲臣 武蔵国造 土師連等の遠祖也 次に天津彦根命 此は茨城国造額田部連らの遠祖也 次に活目津彦根命 次に熯速日命 次に熊野大隅命 凡そ六男矣
於是 素戔嗚尊 白日神曰 吾所以更昇来者 衆神処我以根国今 当就去 若不与姉相見終 不能忍離 故 実以清心 復上来耳 今 則奉覲已訖 当随衆神之意 自此永帰根国矣 請 姉照臨天国 自可平安 且 吾以清心所生兒等 亦奉於姉 已而 復還降焉
於是 素戔嗚尊 日神に白し曰く 吾の更に昇り来る所以は 衆神が根国を以て我を処す今 当に就去せん 若し姉と相見えず終えるなら 離れるを忍ぶに能わず 故 実(まこと)に清心を以て 復た上り来るのみ 今 則ち奉覲(お目にかかる)は已に訖(いた)る 当に衆神の意の随(まま)に 此より永く根国に帰らん矣 請う 姉は天つ国を照らし臨む 自ずと平らぎ安まる可し 且 吾が清心を以て生む所の兒等 亦た姉に奉る 已而 復た還り降る焉
廃渠槽 此云秘波鵝都 捶籤 此云久斯社志 興台産霊 此云許語等武須毗 太諄辞 此云布斗能理斗 轠轤然 此云乎謀苦留留爾 瑲瑲 此云乎奴儺等母母由羅爾
廃渠槽 此れ云う秘波鵝都 捶籤 此れ云う久斯社志 興台産霊 此れ云う許語等武須毗 太諄辞 此れ云う布斗能理斗 轠轤然 此れ云う乎謀苦留留爾 瑲瑲 此れ云う乎奴儺等母母由羅爾(ヲヌナトモモユラニ)
高天原を出て地上に降った素戔嗚は簸之川上に着く。八岐大蛇に呑まれる予定の奇稲田姫を思って泣く両親に出会い、退治を決意して、酒を用意させる。そして酒に酔わせた八岐大蛇を切り、尾から出てきた草薙剣を天照に献上する。奇稲田姫を娶り清に住む。
是時 素戔嗚尊 自天 而 降 到於出雲国簸之川上 時 聞川上 有啼哭之聲 故 尋聲覓往者 有一老公与老婆 中間置一少女 撫而哭之 素戔嗚尊問曰 汝等誰也 何為哭之如 此耶
是時 素戔嗚尊 天より 而 降る 出雲国簸之川上(ひのかわかみ)に到る 時 川上に聞く 啼哭(ていこく)の声有り 故 声を尋ね覓め(もとめる、探し求める)往くなら 一老公と老婆有り 中間に一少女を置く 撫でて之に哭く 素戔嗚尊は問い曰く 汝等は誰也 何の為に之の如く哭く 此耶
対曰 吾是国神 號脚摩乳 我妻號手摩乳 此童女是 吾兒也 號奇稲田姫 所以哭者 往時吾兒 有八箇少女 毎年 為八岐大蛇所呑 今 此少童且臨被呑 無由脱免 故 以哀傷 素戔嗚尊勅曰 若然者 汝 当以女奉吾耶 対曰 随勅奉矣
対し曰く 吾 是は国神 號は脚摩乳 我が妻の號は手摩乳 此の童女 是は吾が兒也 號は奇稲田姫 哭く所以は 往時には吾が兒 八箇の少女有り 毎年 八岐大蛇が呑む所の為 今 此の少童も且つ呑まれに臨む 脱け免れる由し無し 故 以て哀傷する 素戔嗚尊は勅し曰く 若し然らば 汝 当に女を以て吾に奉らん耶 対し曰く 勅の随(まま)に奉る矣
故 素戔嗚尊立 化奇稲田姫為湯津爪櫛 而 挿於御髻 乃使脚摩乳手摩乳釀八醞酒 幷作假庪 假庪 此云佐受枳 八間 各置一口槽 而 盛酒 以待之也 至期果 有大蛇 頭尾各有八岐 眼如赤酸醤 赤酸醤 此云阿箇箇鵝知 松柏生於背上 而 蔓延於八丘八谷之間
故 素戔嗚尊は立つ 奇稲田姫を化かし湯津爪櫛と為す 而 御髻(みずら)に挿す 乃ち脚摩乳手摩乳に八醞酒(やしおおりのさけ、繰返し醸した強い酒)を醸さ使める 幷せて假庪(さずき、桟敷) 假庪 此れ云う佐受枳 八間を作る 各(おのおの)に槽を一口置く 而 酒を盛る 以て之を待つ也 果たす期に至る 大蛇有り 頭尾は各八岐有り 眼は赤酸醤(ほおずき)の如し 赤酸醤 此れ云う阿箇箇鵝知 松と柏が背上に生える 而 八丘八谷の間に蔓延る
及至得酒 頭各一槽飲 酔而睡 時 素戔嗚尊 乃抜所帯十握剱 寸斬其蛇 至尾 剱刃少缺 故 割裂其尾視之 中有一剱 此所謂草薙剱也 草薙剱 此云倶娑那伎能都留伎 一書曰 本名天叢雲剱 蓋 大蛇所居之上 常有雲気 故 以名歟 至日本武皇子 改名曰草薙剱 素戔嗚尊曰 是神剱也 吾 何敢私 以安乎 乃上献於天神也
酒を得るに至り及ぶ 頭は各(おのおの)一槽を飲む 酔って睡む 時 素戔嗚尊 乃ち所帯する十握剱を抜く 寸(細か)に其の蛇を斬る 尾に至る 剱の刃が少し欠ける 故 其の尾を割り裂き之を視る 中に一剱有り 此れは所謂(いはゆる)草薙剱也 草薙剱 此れ云う倶娑那伎能都留伎 一書に曰く 本名を天叢雲剱 蓋 大蛇の居る所の上 常に雲気有り 故 以て名づく歟 日本武皇子に至り 名を改め曰く草薙剱 素戔嗚尊は曰く 是は神の剱也 吾 何ぞ敢えて私にして 以て安い乎 乃ち天神に献上する也
然後 行覓将婚之処 遂到出雲之清地焉 清地 此云素鵝 乃言曰 吾心清清之 此今 呼此地曰清 於彼処建宮 或云 時武素戔嗚尊歌之曰 夜句茂多菟 伊都毛夜覇餓岐 菟磨語昧爾 夜覇餓枳菟倶盧 贈廼夜覇餓岐廻 乃相与遘合 而 生兒大己貴神 因勅之曰 吾兒宮首者 即脚摩乳手摩乳也 故 賜號於二神曰 稲田宮主神 已而 素戔嗚尊 遂就於根国矣
然後 将に婚(くなが)わん処を覓(さがしもと)め行く 遂に出雲の清地に到る焉 清地 此れ云う素鵝 乃ち言い曰く 吾の心は清清し之 此れ今 此地を呼んで曰く清(すが) 彼処に於いて宮を建てる 或るいは云う 時に武素戔嗚尊は之を歌い曰く 八雲立つ 出雲八重垣 妻ごめに 八重垣作る その八重垣を 乃ち相与(あいとも)に遘合う 而 生む兒は大己貴神 因て勅し之を曰く 吾が子の宮の首は 即ち脚摩乳手摩乳也 故 二神に號を賜り曰く 稲田宮主神 已而 素戔嗚尊 遂に根国に就く矣
一書曰 素戔嗚尊 自天 而 降 到於出雲簸之川上 則見 稲田宮主簀狭之八箇耳女子 號稲田媛 乃於奇御戸為起 而 生兒 號清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠 一云清之繋名坂軽彦八嶋手命 又云清之湯山主三名狭漏彦八嶋野 此神五世孫 即大国主神 篠小竹也 此云斯奴
一書に曰く 素戔嗚尊 天より 而 降る 出雲簸之川上(ひのかわかみ)に到る 則ち見る 稲田宮主簀狭之八箇耳の女子 號は稲田媛 乃ち奇し御戸(みと、神有地)にて為(つく)り起こす 而 生む兒 號は清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠 一云に清之繋名坂軽彦八嶋手命 又云に清之湯山主三名狭漏彦八嶋野 此の神の五世孫 即ち大国主神 篠は小竹也 此れ云う斯奴(しの)
一書曰 是時 素戔嗚尊 下到於安藝国可愛之川上也 彼処有神 名曰脚摩手摩 其妻名曰稲田宮主簀狭之八箇耳 此神正在姙身 夫妻共愁 乃告素戔嗚尊曰 我生兒雖多 毎生輙 有八岐大蛇 来呑 不得一存 今 吾且産 恐亦見呑 是以哀傷 素戔嗚尊 乃教之曰 汝 可以衆菓釀酒八甕 吾 当為汝殺蛇 二神 随教設酒 至産時 必彼大蛇 当戸 将呑兒焉
一書に曰く 是時 素戔嗚尊 安芸国可愛之川上に下り到る也 彼処に神有り 名は曰く脚摩手摩 其の妻の名は曰く稲田宮主簀狭之八箇耳 此の神は正に姙む身に在り 夫妻は共に愁う 乃ち素戔嗚尊に告げ曰く 我の生む兒は多いと雖も 生む毎に輙(すなわ)ち 八岐大蛇有り 来て呑む 一存も得ず 今 吾は且つ産む 亦た呑むを見るを恐れる 是以(この故に)哀傷 素戔嗚尊 乃ち教え之を曰く 汝 衆(もろもろ)の菓(か、果物)を以て八甕の酒を醸す可し 吾 当に汝の為に蛇を殺さん 二神 教えの随に酒を設ける 産む時に至る 必ず彼の大蛇 戸を当て 将に兒を呑まん焉
素戔嗚尊 勅蛇曰 汝是 可畏之神 敢不饗乎 乃以八甕酒 毎口沃入 其蛇飲酒而睡 素戔嗚尊 抜剱斬之 至斬尾 時 剱刃少缺 割而視之 則剱在尾中 是號草薙剱 此今 在尾張国吾湯市村 即熱田祝部所掌之神 是也 其断蛇剱 號曰蛇之麁正 此今 在石上也
素戔嗚尊 蛇に勅し曰く 汝は是 畏む可き神 敢えて饗さざる乎 乃ち八甕酒を以て 口毎に沃(そそ)ぎ入れる 其の蛇は酒を飲んで睡む 素戔嗚尊 剱を抜き之を斬る 尾を斬るに至る 時 剱刃が少し欠ける 割って之を視る 則ち剱が尾中に在る 是の號は草薙剱 此は今 尾張国吾湯市村に在る 即ち熱田祝部の所掌(しょしょう、つかさどる)の神 是也 其の蛇を断つ剱 號は曰く蛇之麁正 此は今 石上に在る也
是後 以稲田宮主簀狭之八箇耳生兒真髮触奇稲田媛 遷置於出雲国簸川上 而 長養焉 然後 素戔嗚尊 以為妃 而 所生兒之六世孫 是曰大己貴命
大己貴 此云於褒婀娜武智
是後 稲田宮主簀狭之八箇耳の生む兒の真髮触奇稲田媛を以て 出雲国簸川上に遷し置く 而 長く養う焉 然後 素戔嗚尊 以て妃と為す 而 生む所の兒の六世孫 是は曰く大己貴命
大己貴 此れ云う褒婀娜武智
一書曰 素戔嗚尊 欲幸奇稲田媛而乞之 脚摩乳手摩乳 対曰 請先殺彼蛇 然後幸者宜也 彼大蛇 毎頭各有石松 両脇有山 甚可畏矣 将何以殺之 素戔嗚尊 乃計 釀毒酒 以飲之 蛇酔而睡 素戔嗚尊 乃以蛇韓鋤之剱 斬頭斬腹 其斬尾之時 剱刃少缺 故 裂尾而看 即別有一剱焉 名為草薙剱 此剱 昔在素戔嗚尊許 今在於尾張国也 其素戔嗚尊断蛇之剱 今在吉備神部許也 出雲簸之川上山 是也
一書に曰く 素戔嗚尊 奇稲田媛との幸を欲して之を乞う 脚摩乳手摩乳 対し曰く 請(う)けるに先ず彼の蛇を殺す 然る後の幸は宜しい也 彼の大蛇 頭毎の各(それぞれ)に石松有り 両脇に山有り 甚だ畏る可し矣 将に何を以て之を殺さん 素戔嗚尊 乃ち計る 毒酒を醸す 以て之を飲ます 蛇は酔って睡む 素戔嗚尊 乃ち蛇韓鋤(おろちのからさび)之剱を以て 頭を斬り腹を斬る 其の尾を斬る之時 剱刃が少し欠ける 故 尾を裂いて看る 即ち別(コトニ)一剱有り焉 名を草薙剱と為す 此の剱 昔は素戔嗚尊の許に在り 今は尾張国に在る也 其の素戔嗚尊が蛇を断つ之の剱 今は吉備神部の許に在る也 出雲簸之川上の山 是也
一書曰 素戔嗚尊所行無状 故 諸神 科以千座置戸 而 遂逐之 是時 素戔嗚尊 帥其子五十猛神 降到於新羅国 居曽尸茂梨之処 乃興言曰 此地 吾不欲居 遂以埴土作舟 乗之東渡 到出雲国簸川上所在鳥上之峯 時 彼処有呑人大蛇
一書に曰く 素戔嗚尊の所行は無状(無作法) 故 諸神 千座の置戸(ちくらのおきど、償いとして出す多くの品物)を以て科す 而 遂に之を逐(はら)う 是時 素戔嗚尊 其の子の五十猛神を帥い(率い) 新羅国に降り到る 曽尸茂梨(ソシモリ)の居る之処 乃ち興を言い曰く 此の地 吾は居るを欲さず 遂に埴土を以て舟を作る 之に乗り東へ渡る 出雲国簸川上に所在する鳥上の峯に到る 時 彼処に人を呑む大蛇有り
素戔嗚尊 乃以天蠅斫之剱 斬彼大蛇 時 斬蛇尾而刃缺 即擘而視之 尾中有一神剱 素戔嗚尊曰 此不可以吾私用也 乃遣五世孫天之葺根神 上奉於天 此今 所謂草薙剱矣
素戔嗚尊 乃ち天蠅斫(あめのははきり)之剱を以て 彼の大蛇を斬る 時 蛇の尾を斬って刃が欠ける 即ち擘(裂)きて之を視る 尾中に一神剱有り 素戔嗚尊は曰く 此は吾を以て私用する可からず也 乃ち五世孫の天之葺根神を遣わす 天に奉り上げる 此は今 所謂(いはゆる)草薙剱矣
初 五十猛神 天降之時 多将樹種而下 然 不殖韓地盡 以持帰 遂始自筑紫 凡大八洲国之内 莫不播殖 而 成青山焉 所以 称五十猛命 為有功之神 即紀伊国所坐大神 是也
初め 五十猛神 天降る之時 多くの樹種を率いて下る 然 韓地に殖えぬ盡(まま) 以て持ち帰る 遂に筑紫より始め 凡(すべ)て大八洲国の内 播き殖えずは莫(無)し 而 青山に成る焉 所以 五十猛命を称え 有功の神と為す 即ち紀伊国に所坐(ましま)す大神 是也
一書曰 素戔嗚尊曰 韓鄕之嶋 是有金銀 若使 吾兒所御之国 不有浮宝者 未是佳也 乃抜鬚髯散之 即成杉 又 抜散胸毛 是成檜 尻毛是成柀 眉毛是成櫲樟 已而 定其当用 乃称之 曰 杉及櫲樟 此両樹者 可以為浮宝 檜可以為瑞宮之材 柀可以為顕見蒼生奧津棄戸将臥之具
一書に曰く 素戔嗚尊は曰く 韓鄕の嶋 金銀是有り 若使(もしも)吾が兒の御(治)める所の国 浮宝(舟)有らずは 未だ是佳(よ)からず也 乃ち鬚髯(ひげ)を抜き之を散らす 即ち杉に成る 又 胸毛を抜き散らす 檜に是成る 尻毛は柀(まき)に是成る 眉毛は櫲樟(くすのき)に是成る 已而 其の当用(さしあたっての用事)を定める 乃ち之を称する 曰く 杉及び櫲樟 此の両樹は 浮宝に以て為す可し 檜は瑞宮の材に以て為す可し 柀(まき、槙)は顕見蒼生(ウツシキアオイトクサ、現青人草、この世の民)の奧津棄戸(おきつすたへ、棺、墓)に将臥之具(モチフサンソナエ)に以て為す可し
夫須噉八十木種 皆能播生 于時 素戔嗚尊之子 號曰五十猛命 妹大屋津姫命 次枛津姫命 凡此三神 亦能分布木種 即奉渡於紀伊国也 然後 素戔嗚尊 居熊成峯 而 遂入於根国者矣
棄戸 此云須多杯 柀 此云磨紀
夫の須(すべから)く噉(食)らう八十木種 皆な能く播き生える 于時 素戔嗚尊の子 號は曰く五十猛命 妹の大屋津姫命 次に枛津姫命 凡そ此の三神 亦た能く木種を分布する 即ち紀伊国に渡り奉る也 然後 素戔嗚尊 熊成峯に居る 而 遂に根国者に入る矣
棄戸 此れ云う須多杯(スタエ) 柀 此れ云う磨紀(マキ)
一書曰 大国主神 亦名大物主神 亦號国作大己貴命 亦曰葦原醜男 亦曰八千戈神 亦曰大国玉神 亦曰顕国玉神 其子凡有一百八十一神 夫大己貴命与少彦名命 戮力一心 経営天下 復 為顕見蒼生及畜産 則定其療病之方 又 為攘鳥獣昆虫之灾異 則定其禁厭之法 是以 百姓至今 咸蒙恩頼
一書に曰く 大国主神 亦の名を大物主神 亦の號は国作大己貴命 亦曰く葦原醜男 亦曰く八千戈神 亦曰く大国玉神 亦曰く顕国玉神 其の子は凡(すべ)て一百八十一神有り 夫(そ)の大己貴命と少彦名命 戮力(りくりょく、力を合わせる)一心 経営天下 復 顕見蒼生(うつしきあおひとくさ、現青人草、この世の民)及び畜産(ケモノ)の為 則ち其の療病の方を定める 又 鳥獣昆虫の灾異(災い)を譲(はら)う為 則ち其の禁厭(きんよう、災いを払う呪い)の法を定める 是を以て 百姓は今に至るも 咸(あまねく)恩頼(おんらい、みたまのふゆ、恩徳)を蒙(こう)むる
嘗 大己貴命謂少彦名命曰 吾等所造之国 豈謂善成之乎 少彦名命 対曰 或有所成 或有不成 是談也 蓋 有幽深之致焉 其後 少彦名命行 至熊野之御碕 遂適於常世鄕矣 亦曰 至淡嶋 而 縁粟莖者 則彈渡 而 至常世鄕矣
嘗て 大己貴命は少彦名命に謂い曰く 吾等が造る所の之国 豈に善成と謂う之乎 少彦名命 対し曰く 或いは成せる所も有り 或いは成せざるも有り 是の談也 蓋(けだし) 幽深の致り有り焉 其後 少彦名命は行く 熊野の御碕に至る 遂に常世鄕に適う矣 亦た曰く 淡嶋に至る 而 粟の茎に縁(ノホリシカハ、登りしかば)者 則ち弾かれ渡る 而 常世鄕に至る矣
自後 国中所未成者 大己貴神 獨能巡造 遂到出雲国 乃興言曰 夫葦原中国 本自荒芒 至及磐石草木 咸能強暴 然 吾已摧伏 莫不和順 遂因言 今 理此国 唯 吾一身 而已其 可与吾共理天下者 蓋 有之乎
自後 国中の未だ成せざる所は 大己貴神 独り能く巡り造る 遂に出雲国に到る 乃ち興言(きょうげん、興に乗って言う)し曰く 夫(そもそも)葦原中国 本より荒芒(荒れて広い) 磐石や草木に至り及ぶ 咸(あまねく)能(はたら)きは強暴 然 吾は已に摧(くだ)き伏す 不和順(マツロワズ)は莫(無)し 遂に因て言う 今 此の国を理(おさ)める 唯 吾の一身 而已其(其れにすぎない) 吾と共に天下を理(おさ)める可き者 蓋 之に有る乎
于時 神光照海 忽然有浮来者 曰 如吾不在者 汝 何能平此国乎 由吾在 故 汝得建其大造之績矣 是時 大己貴神問曰 然則汝是 誰耶 対曰 吾是 汝之幸魂奇魂也 大己貴神曰 唯然 廼知汝是 吾之幸魂奇魂 今 欲何処住耶 対曰 吾欲住於日本国之三諸山 故 即営宮彼処 使就而居 此大三輪之神也
于時 神光が海を照らす 忽然と浮き来る者有り 曰く 如(も)し吾が在らずば 汝 何ぞ能く此国を平らぐ乎 由(理由)は吾が在る 故 汝は其の大造の績を建て得る矣 是時 大己貴神は問い曰く 然らば則ち汝は是 誰耶 対し曰く 吾は是 汝の幸魂奇魂也 大己貴神は曰く 唯然り 廼(すなわ)ち汝は是と知る 吾の幸魂奇魂 今 何処に住むを欲する耶 対し曰く 吾は日本国の三諸山に住むを欲する 故 即ち彼処に宮を営む 就き居ませ使める 此は大三輪の神也
此神之子 即甘茂君等 大三輪君等 又 姫踏鞴五十鈴姫命 又曰 事代主神 化為八尋熊鰐 通三嶋溝樴姫 或云玉櫛姫 而 生兒姫踏鞴五十鈴姫命 是為神日本磐余彦火火出見天皇之后也
此の神の子 即ち甘茂君等 大三輪君等 又 姫踏鞴五十鈴姫命 又曰く 事代主神 八尋の熊鰐(くまわに)に化け為る 三嶋溝樴姫と通じる 或いは玉櫛姫と云う 而 生む子は姫踏鞴五十鈴姫命 是は神日本磐余彦火火出見天皇の后と為る也
初 大己貴神 之 平国也 行到出雲国五十狭々小汀 而且 当飲食 是時 海上忽有人聲 乃驚而求之 都無所見 頃時 有一箇小男 以白蘞皮為舟 以鷦鷯羽為衣 随潮水以浮到 大己貴神 即取置掌中 而 翫之 則跳囓其頬
初め 大己貴神 之 国を平らげる也 出雲国の五十狭々の小汀に行き到る 而且 当に飲み食いせん 是時 海上に忽ち人の声有り 乃ち驚きて之を求める 都に(ふつに、ことごとく)見る所に無し 頃時(シバラクアリテ) 一箇の小男有り 白蘞(びゃくれん、ブドウ科の蔓植物)の皮を以て舟と為す 鷦鷯(みそさざい)の羽を以て衣と為す 潮水の随に浮かぶを以て到る 大己貴神 即ち掌中に取り置く 而 之を翫(もてあそ)ぶ 則ち跳び其の頬を齧る
乃怪其物色 遣使白於天神 于時 高皇産霊尊 聞之而曰 吾所産兒 凡有一千五百座 其中一兒最悪 不順教養 自指間漏堕者 必彼矣 宜愛而養之 此即少彦名命 是也
顕 此云于都斯 踏鞴 此云多多羅 幸魂 此云佐枳弥多摩 奇魂 此云倶斯美拕磨 鷦鷯 此云娑娑岐
乃ち其の物の色(カタチ)を怪しむ 使いを遣わし天神に白す 于時 高皇産霊尊 之を聞いて曰く 吾が産む所の兒 凡そ一千五百座有り 其の中の一兒は最悪(イトサカナク) 教え養うにも順(したが)わず 指の間より漏れ堕ちる者 必ず彼矣 愛でて之を養うが宜しい 此れは即ち少彦名命 是也
顕 此れ云う于都斯(ウツシ) 踏鞴 此れ云う多多羅(タタラ) 幸魂 此れ云う佐枳弥多摩(サキミタマ) 奇魂 此れ云う倶斯美拕磨(クシミタマ) 鷦鷯 此れ云う娑娑岐(ササキ)
瓊瓊杵に先立ち豊葦原中国へ降りた天穂日からの報せがなく、次いで天稚彦を降ろす。天稚彦は現地女性を娶り、自ら国を治める野望を抱くも、催促に来た雉を射た矢が返し矢となって死ぬ。葬儀に来た友人の味耜高彦根が、遺族から故人に間違われ怒って喪屋を破壊する。経津主と建御雷が降り、大己貴に退去を要求すると、子の意見を聞いてからと答える。美保関で遊ぶ事代主へ二神が稲背脛を差し向ければ、事代主は要求を呑み隠れる。大己貴も隠れる。
天照大神之子 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 娶高皇産霊尊之女𣑥幡千千姫 生天津彦彦火瓊瓊杵尊 故 皇祖高皇産霊尊 特鍾憐愛 以崇養焉
天照大神の子 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 高皇産霊尊の娘の𣑥幡千千姫を娶る 天津彦彦火瓊瓊杵尊を生む 故 皇祖の高皇産霊尊 特に憐愛(れんあい)を鍾(あつ)める 以て崇(たっと)び養う焉
遂欲立皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊 以為葦原中国之主 然 彼地 多有螢火光神及蠅聲邪神 復有草木 咸能言語 故 高皇産霊尊 召集八十諸神 而 問之曰 吾欲令撥平葦原中国之邪鬼 当遣誰者宜也 惟爾諸神 勿隠所知
遂に皇孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊を立てるを欲する 以て葦原中国の主と為す 然 彼の地 螢火の光る神及び蠅聲邪神(サワエナスアシキカミ)が多く有り 復た草木有り 咸(みな)言語を能くする 故 高皇産霊尊 八十諸神を召集する 而 問い之を曰く 吾は葦原中国の邪鬼を撥(は)ね平らげ令めるを欲す 当に誰者を遣わさんが宜し也 惟爾(ネカワクハイマシ)諸神 所知を隠す勿(なか)れ
僉曰 天穂日命 是神 之傑也 可不試歟 於是 俯順衆言 即以天穂日命往平之 然 此神侫媚於大己貴神 比及三年 尚不報聞 故 仍遣其子大背飯三熊之大人 大人 此云于志 亦名武三熊之大人 此亦還順其父 遂不報聞
僉(みな)は曰く 天穂日命 是の神 之は傑(けつ、傑物)也 試みざる可し歟 於是 俯き衆言に順(したが)う 即ち天穂日命を以て往き之を平げる 然 此神は大己貴神に侫媚(ねいび、媚び諂う)する 比れ三年に及ぶ 尚も報聞せず 故 仍ち其の子の大背飯三熊之大人を遣わす 大人 此れ云う于志 亦の名を武三熊之大人 此も亦た還(ふたたび)其の父に順(なら)う 遂に報聞せず
故 高皇産霊尊 更会諸神問当遣者 僉曰 天国玉之子天稚彦 是壯士也 宜試之 於是 高皇産霊尊 賜天稚彦天鹿兒弓及天羽羽矢 以遣之 此神亦不忠誠也 来到 即娶顕国玉之女子下照姫 亦名高姫 亦名稚国玉 因留住之曰 吾亦欲馭葦原中国 遂不復命 是時 高皇産霊尊 怪其久不来報 乃遣無名雉伺之
故 高皇産霊尊 更に諸神を会し当に遣わさん者を問う 僉(みな)は曰く 天国玉の子の天稚彦 是は壮士(そうし、血気盛ん)也 之を試すが宜しい 於是 高皇産霊尊 天稚彦に天鹿兒弓及び天羽羽矢を賜る 以て之に遣わす 此の神も亦た不忠誠也 来て到る 即ち顕国玉の女子の下照姫を娶る 亦の名は高姫 亦の名は稚国玉 因て留まり之に住み曰く 吾も亦た葦原中国を馭(統)べるを欲する 遂に復命せず 是時 高皇産霊尊 久しく報せの来ぬ其れを怪しむ 乃ち無名雉(ナナシキジ)を遣わし之を伺う
其雉飛降止 於天稚彦門前所植 植 此云多底婁 湯津杜木之杪 杜木 此云可豆邏也 時 天探女 天探女 此云阿麻能左愚謎 見而謂天稚彦曰 奇鳥来 居杜杪 天稚彦 乃取高皇産霊尊所賜天鹿兒弓天羽羽矢 射雉 斃之 其矢 洞達雉胸 而 至高皇産霊尊之座前也 時 高皇産霊尊見其矢曰 是矢 則昔我賜天稚彦之矢也 血染其矢 蓋 与国神相戰而然歟 於是 取矢還投下之
其の雉は飛び降り止まる 天稚彦の門前の所に植わる 植 此れ云う多底婁 湯津杜木(桂の木)の杪(こずえ、梢)に 杜木 此れ云う可豆邏也 時 天探女 天探女 此れ云う阿麻能左愚謎 見て天稚彦に謂い曰く 奇鳥が来た 杜(桂)の杪(梢)に居る 天稚彦 乃ち高皇産霊尊が賜わる所の天鹿兒弓と天羽羽矢を取る 雉を射る 之を斃す 其の矢 雉の胸を洞(つらぬ)き達する 而 高皇産霊尊の座前に至る也 時 高皇産霊尊は其の矢を見て曰く 是の矢 則ち昔に我が天稚彦に賜う之矢也 血に染まる其の矢 蓋 国つ神と相い戦いて然る歟 於是 取りし矢を還し投下する之
其矢落下 則中天稚彦之胸上 于時 天稚彦 新嘗休臥 之時也 中矢立死 此世人所謂反矢 可畏之縁也
其の矢が落下する 則ち天稚彦の胸上に中る 于時 天稚彦 新嘗(にいなめ)し休み臥せる 之の時也 矢に中り立(タチトコロ)に死ぬ 此れ世人の謂う所の反矢(かえしや) 畏る可き之の縁也
天稚彦之妻下照姫 哭泣悲哀 聲達于天 是時 天国玉 聞其哭聲 則知夫天稚彦已死 乃遣疾風 挙尸致天 便造喪屋而殯之 即以川鴈 為持傾頭者及持帚者 一云 以鶏為持傾頭者 以川鴈為持帚者 又 以雀為舂女 一云 乃以川鴈為持傾頭者 亦為持帚者 以鴗為尸者 以雀為春女 以鷦鷯為哭者 以鵄為造綿者 以烏為宍人者 凡以衆鳥任事 而 八日八夜 啼哭悲歌
天稚彦の妻の下照姫 哭泣(こっきゅう)悲哀 声は天に達する 是時 天国玉 其の哭声を聞く 則ち夫の天稚彦の已に死ぬを知る 乃ち疾風を遣わす 尸(しかばね、屍)を挙げ天に致す 便ち喪屋を造りて殯する之 即ち川鴈(雁、かり、がん)を以て 持傾頭者(きさりもち)及び持帚者(ははきもち)と為す 一に云う 鶏を以て持傾頭者と為す 川鴈を以て持帚者と為す 又 雀を以て舂女(つきめ)と為す 一に云う 乃ち川鴈を以て持傾頭者と為す 亦た持帚者と為す 鴗を以て尸者(ものまさ)と為す 雀を以て春女と為す 鷦鷯(みそさざい)を以て哭者と為す 鵄(とび)を以て造綿者(わたつくり)と為す 烏を以て宍人者(ししひとべ)と為す 凡そ衆(もろもろ)の鳥を以て事を任せる 而 八日八夜 啼哭し悲しみ歌う
先是 天稚彦 在於葦原中国也 与味耜高彦根神友善 味耜 此云婀膩須岐 故 味耜高彦根神 昇天弔喪 時 此神容貌 正類天稚彦平生之儀 故 天稚彦親屬妻子皆謂 吾君猶在 則攀牽衣帯 且喜且慟
先是 天稚彦 葦原中国に在る也 味耜高彦根神と友善(ウルハシ) 味耜 此れ云う婀膩須岐 故 味耜高彦根神 天へ昇り喪に弔う 時 此の神の容貌 正に天稚彦の平生の儀に類する 故 天稚彦の親属妻子は皆が謂う 吾が君は猶も在り 則ち衣帯を挙げ牽く 且つ喜び且つ慟(なげ)く
時 味耜高彦根神 忿然作色曰 朋友之道理 宜相弔 故 不憚汚穢 遠自赴哀 何為誤我於亡者 則抜其帯剱大葉刈 刈 此云我里 亦名神戸剱 以斫仆喪屋 此即落而為山 今在美濃国藍見川之上喪山 是也 世人 悪以生誤死 此其縁也
時 味耜高彦根神 忿然し色を作り曰く 朋友の道理 宜(むべ)相い弔う 故 汚穢(けがれ)を憚らず 遠くより赴き哀しむ 何為(ナニスレゾ)我を亡者に誤る 則ち其の帯剱の大葉刈を抜く 刈 此れ云う我里 亦の名を神戸剱 以て喪屋を斫仆(キリフセ)る 此れ即ち落ちて山と為る 今に在る美濃国藍見川の上喪山 是也 世人 生けるを以て死せると誤るを悪(イ)む 此れは其の縁也
是後 高皇産霊尊 更会諸神 選当遣於葦原中国者 曰 磐裂 磐裂 此云以簸娑窶 根裂神之子 磐筒男磐筒女所生之子経津 経津 此云賦都 主神 是将佳也 時 有天石窟所住神 稜威雄走神之子甕速日神 甕速日神之子熯速日神 熯速日神之子武甕槌神 此神進曰 豈唯経津主神獨為丈夫而吾非丈夫者哉 其辞気慷慨 故 以即配経津主神 令平葦原中国
是後 高皇産霊尊 更に諸神を会する 当に葦原中国へ遣わさん者を選ぶ 曰く 磐裂 磐裂 此れ云う以簸娑窶 根裂神の子 磐筒男と磐筒女が生む所の之子が経津 経津 此れ云う賦都 主神 是の将は佳(すぐ)れる也 時 天石窟に所住む神有り 稜威雄走神の子の甕速日神 甕速日神の子の熯速日神 熯速日神の子の武甕槌神 此の神が進み曰く 豈(あに)唯だ経津主神独りを丈夫と為して吾は丈夫に非ざる者哉 其の辞気(じき、言いぶり)は慷慨(こうがい、激しく憤る) 故 以て即ち経津主神に配する 葦原中国を平らげ令める
二神 於是 降到出雲国五十田狭之小汀 則抜十握剱 倒植於地 踞其鋒端 而 問大己貴神曰 高皇産霊尊 欲降皇孫君臨此地 故 先遣我二神驅除平定 汝意何如 当須避 不 時 大己貴神対曰 当問我子 然後将報 是時 其子事代主神 遊行在於出雲国三穂 三穂 此云美保 之碕 以釣魚為楽 或曰 遊鳥為楽
二神 於是 出雲国五十田狭の小汀に降り到る 則ち十握剱を抜く 倒(サカシマ)に地に植(ツキタ)てる 其の鋒端(ほうたん、矛先)に踞(おご)る 而 大己貴神に問い曰く 高皇産霊尊 降りし皇孫が此の地に君臨するを欲する 故 先に我ら二神を遣わし駆除平定する 汝の意は何如(いかん) 当に須(すべか)らく避けるか 不(否)か 時 大己貴神は対し曰く 当に我子に問わん 然る後に将報(カヘリコト申サン) 是時 其の子の事代主神 遊行し出雲国三穂 三穂 此れ云う美保 の碕に在り 以て釣魚を楽しみと為す 或るいは曰く 遊鳥を楽しみと為す
故 以熊野諸手船 亦名天鴿船 載使者稲背脛 遣之 而 致高皇産霊尊勅於事代主神 且問将報之辞 時 事代主神 謂使者曰 今 天神有此 借問之勅 我父 宜当奉避 吾 亦不可違 因於海中造八重蒼柴 柴 此云府璽 籬 踏船枻 船枻 此云浮那能倍 而 避
故 熊野諸手船を以て 亦の名を天鴿船 使者の稲背脛を載せる 之に遣わす 而 事代主神に高皇産霊尊の勅を致す 且つ将報の辞を問う 時 事代主神 使者に謂い曰く 今 天神は此に有る 借問(しゃくもん、試しに問う)は之勅 我が父 当に奉り避けるが宜しい 吾 亦た違う可からず 因て海中に八重の蒼柴 柴 此れ云う府璽 籬を造る 船枻(せがい、舷に渡した板)を踏む 船枻 此れ云う浮那能倍 而 避ける
之 使者既還報命 故 大己貴神 則以其子之辞 白於二神曰 我怙之子 既避去矣 故 吾亦当避 如吾防禦者 国内諸神 必当同禦 今 我奉避 誰復敢有不順者 乃以平国時所杖之廣矛 授二神曰 吾 以此矛卒有治功 天孫若用此矛治国者 必当平安 今 我当於百不足之八十隅 将隠去矣 隅 此云矩磨泥 言訖遂隠
之 使者は既に還り報命する 故 大己貴神 則ち其の子の辞を以て 二神に白し曰く 我の怙(たの)む之子 既に避け去る矣 故 吾も亦た当に避けん 如(も)し吾が防ぎ禦(こば)むなら 国内の諸神 必ず当に同じく禦(こば)まん 今 我は奉り避ける 誰ぞ復た敢えて順(したが)わぬ者が有らん 乃ち平国の時に所杖(ツケリシ)の広矛を以て 二神に授け曰く 吾 此の矛を以て卒(つい)に治める功有り 天孫が若し此の矛を用い国を治めるなら 必ず当に平安 今 我が百足らず之八十隅(ヤソクマチ)に当たる 将(ひき)い隠れ去らん矣 隅 此れ云う矩磨泥 言い訖(終)え遂に隠れる
於是 二神 誅諸不順鬼神等 一云 二神 遂誅邪神及草木石類 皆已平了 其所不服者 唯 星神香香背男耳 故 加遣倭文神建葉槌命者 則服 故 二神登天也 倭文神 此云斯図梨俄未 果以復命
於是 二神 諸(もろもろ)の順(したが)わぬ鬼神等を誅する 一に云う 二神 遂に邪神及び草木石類を誅する 皆已に平げ了(終)わる 其所の不服者 唯 星神香香背男のみ 故 倭文神(しとりがみ)建葉槌命なる者を加え遣わす 則ち服する 故 二神は天に登る也 倭文神 此れ云う斯図梨俄未 果たして以て復命(ふくめい、報告)する
高千穂の峯に降り立ったのち吾田(鹿児島県西部)に住みついた瓊瓊杵は鹿葦津姫(木花之開耶姫)と一夜を共にする。一夜で懐妊したので瓊瓊杵は自分の種か疑い、怒った鹿葦津姫は、偽りなら焼け死ぬが真なら害されぬと言って産屋に火を点ける。火事のなかで火闌降、彦火火出見、火明が無事に生まれる。それから瓊瓊杵は久しく居たのちに崩御する。
于時 高皇産霊尊 以真床追衾 覆於皇孫天津彦彦火瓊瓊杵尊 使降之 皇孫 乃離天磐座 天磐座 此云阿麻能以簸矩羅 且排分天八重雲 稜威之道別 道別 而 天降於日向襲之高千穂峯矣 既而 皇孫遊行之状也者則自槵日二上天浮橋 立於浮渚在平処 立於浮渚在平処 此云羽企爾磨梨陀毗邏而陀陀志 而 膂宍之空国 自頓丘覓国行去 頓丘 此云毗陀烏 覓国 此云矩貳磨儀 行去 此云騰褒屢 到於吾田長屋笠狭之碕矣
于時 高皇産霊尊 真床追衾(まとこおうふすま、床を覆う夜具)を以て 皇孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊を覆う 之を降ら使める 皇孫 乃ち天磐座を離れる 天磐座 此れ云う阿麻能以簸矩羅 且つ天八重雲を排し分ける 稜威(いつ、神聖)の道が別かれ 道が別かれ 而 日向襲の高千穂の峯に天降る矣 既而 皇孫の遊行の状(さま)也は 則ち槵日二上天浮橋より 平らな処に在る浮渚に立つ 立於浮渚在平処 此れ云う羽企爾磨梨陀毗邏而陀陀志 而 膂宍之空国(ソシシノムナクニ、肥沃でない土地) 頓丘(ヒタヲ、ひたすら続く丘)より国を覓(さが)し行き去る 頓丘 此れ云う毗陀烏 覓国 此れ云う矩貳磨儀 行去 此れ云う騰褒屢 吾田の長屋の笠狭之碕に到る矣
其地有一人 自號事勝国勝長狭 皇孫問曰 国在耶 以不 対曰 此焉有国 請任意遊之 故 皇孫就而留住 時 彼国有美人 名曰鹿葦津姫 亦名神吾田津姫 亦名木花之開耶姫 皇孫問此美人曰 汝誰之女子耶 対曰 妾是 天神娶大山祇神 所生兒也 皇孫因而幸之 即一夜 而 有娠 皇孫未信之曰 雖復天神 何能一夜之間 令人有娠乎 汝所懐者 必非我子歟
其の地に一人有り 自ら事勝国勝長狭と號する 皇孫は問い曰く 国は在る耶 以不(否や) 対し曰く 此焉(ここに)国有り 意に任せ之に遊ぶを請う 故 皇孫は就いて留まり住む 時 彼の国に美人有り 名は曰く鹿葦津姫 亦の名を神吾田津姫 亦の名を木花之開耶姫 皇孫は此の美人に問い曰く 汝は誰の女子耶 対し曰く 妾は是 天神が大山祇神を娶る 生む所の兒也 皇孫は因りて幸之(メス、召す) 即ち一夜 而 娠(はらむ)有り 皇孫は未だ之を信じず曰く 復た天神と雖も 何ぞ能く一夜の間に 人を娠有(はら)ませ令める乎 汝が所の懐は 必ず我子に非ず歟
故 鹿葦津姫忿恨 乃作無戸室 入居其内 而 誓之曰 妾所娠 非天孫之胤 必当𤓪滅 如実天孫之胤 火不能害 即放火焼室 始起烟末 生出之兒 號火闌降命 是隼人等始祖也 火闌降 此云褒能須素里 次避熱而居 生出之兒 號彦火火出見尊 次生出之兒 號火明命 是尾張連等始祖也 凡三子矣 久之 天津彦彦火瓊瓊杵尊崩 因葬筑紫日向可愛 可愛 此云埃 之山陵
故 鹿葦津姫は忿(怒)り恨む 乃ち無戸室を作る 其の内に入り居る 而 誓い之を曰く 妾が娠む所 天孫の胤に非ずは 必ず当に焦げ滅さん 如(も)し実(まこと)に天孫の胤は 火は害するに能わず 即ち火を放ち室を焼く 始め煙の起こる末 生まれ出る之兒 號は火闌降命(ほのすそり) 是は隼人等の始祖也 火闌降 此れ云う褒能須素里 次に熱を避けて居る 生まれ出る之兒 號は彦火火出見尊 次に生まれ出る之兒 號は火明命 是は尾張連等の始祖也 凡(すべ)て三子矣 久しく之(マシマシテ) 天津彦彦火瓊瓊杵尊は崩じる 因て筑紫日向可愛 可愛 此れ云う埃 の山陵に葬る
一書曰 天照大神 勅天稚彦曰 豊葦原中国 是吾兒可王之地也 然慮 有殘賊強暴横悪之神者 故 汝先往平之 乃賜天鹿兒弓及天真鹿兒矢遣之 天稚彦 受勅来降 則多娶国神女子 経八年 無以報命
一書に曰く 天照大神 天稚彦に勅し曰く 豊葦原中国 是は吾が兒が王たる可き之地也 然るに慮る 残賊(ざんぞく)は強暴横悪の神者有り 故 汝が先に往き之を平らげる 乃ち天鹿兒弓及び天真鹿兒矢を賜り之に遣わす 天稚彦 勅を受け来降する 則ち多く国神の女子を娶る 八年経る 以て報命無し
故 天照大神 乃召思兼神 問其不来之状 時 思兼神 思而告曰 宜且遣雉問之 於是 従彼神謀 乃使雉往候之 其雉飛下 居于天稚彦門前湯津杜樹之杪 而 鳴之曰 天稚彦 何故八年之間未有復命 時 有国神 號天探女 見其雉曰 鳴聲悪鳥在此樹上 可射之
故 天照大神 乃ち思兼神を召す 其の来ぬ之状(さま)を問う 時 思兼神 思いて告げ曰く 且(ひとまず)雉を遣わし之を問うが宜しい 於是 彼の神の謀に従う 乃ち雉を往(ゆ)かせ使め之を候(うかが)う 其の雉は飛び下る 天稚彦の門前の湯津杜樹の杪(梢)に居る 而 鳴き之を曰く 天稚彦 何故八年の間も未だ復命有らず 時 国神有り 號は天探女 其の雉を見て曰く 鳴声の悪い鳥が此の樹上に在る 之を射る可し
天稚彦 乃取天神所賜天鹿兒弓天真鹿兒矢 便射之 則矢達雉胸 遂至天神所処 時 天神見其矢曰 此昔我賜天稚彦之矢也 今何故来 乃取矢而呪之曰 若以悪心射者 則天稚彦必当遭害 若以平心射者 則当無恙 因還投之 即其矢落下 中于天稚彦之高胸 因以立死 此世人所謂返矢 可畏縁也
天稚彦 乃ち天神の賜わる所の天鹿兒弓と天真鹿兒矢を取る 便(すなわ)ち之を射る 則ち矢は雉の胸に達する 遂に天神の所処に至る 時 天神は其の矢を見て曰く 此は昔に我が天稚彦之に賜る矢也 今何故来る 乃ち矢を取りて之を呪い曰く 若し悪心を以て射るなら 則ち天稚彦に必ず当に害に遭わん 若し平心を以て射るなら 則ち当に恙無し 因て之を投げ還す 即ち其の矢は落下する 天稚彦の高胸に中る 因て以て立(タチトコロ)に死ぬ 此は世人の謂所(いはゆる)返矢 畏る可し縁也
時 天稚彦之妻子 従天降来 将柩上去 而 於天作喪屋 殯哭之 先是 天稚彦与味耜高彦根神友善 故 味耜高彦根神 登天弔喪大臨焉 時 此神形貎 自与天稚彦恰然相似 故 天稚彦妻子等 見而喜之曰 吾君猶在 則攀持衣帯 不可排離 時 味耜高彦根神忿曰 朋友喪亡故吾即来弔 如何誤死人於我耶 乃抜十握剱 斫倒喪屋 其屋堕而成山 此則美濃国喪山 是也 世人悪以死者誤己 此其縁也
時 天稚彦の妻子 天より降り来る 柩を将(も)ち上り去る 而 天に喪屋を作る 殯し哭く之 先是 天稚彦と味耜高彦根神は友善(ウルハシ) 故 味耜高彦根神 天に登り弔喪に大いに臨む焉 時 此の神の形貎 自と天稚彦は恰(あたか)も然り相い似る 故 天稚彦の妻子等 見て喜び之を曰く 吾が君は猶も在り 則ち衣帯を挙げ持つ 排し離れられず 時 味耜高彦根神は忿(怒)り曰く 朋友の亡き喪ゆえ吾は即ち弔いに来る 如何ぞ死人を我に誤る耶 乃ち十握剱を抜く 喪屋を斫(き)り倒す 其の屋が堕ちて山と成る 此れ則ち美濃国の喪山 是也 世人の死者を以て己と誤るを悪(にく)む 此は其の縁也
時 味耜高彦根神 光儀花艶 映于二丘二谷之間 故 喪会者歌之曰 或云 味耜高彦根神之妹下照媛 欲令衆人知 映丘谷者是 味耜高彦根神 故 歌之曰
時 味耜高彦根神 光儀(テリ)花艶(ウルワシ) 二丘二谷の間に映える 故 喪に会する者は歌い之を曰く 或いは云う 味耜高彦根神の妹の下照媛 衆人に知ら令めるを欲する 丘谷に映える者は是 味耜高彦根神 故 歌い之を曰く
阿妹奈屢夜 乙登多奈婆多廼 汚奈餓勢屢 多磨廼祢素磨屢廼 阿奈陀磨波夜 祢多爾 輔柁和柁邏須 阿泥素企多伽避顧禰 ――天(あめ)なるや 弟織女(おとたなはた)の 頸(うな)がせる 玉(たま)の御統(みすまる)の 穴玉(あなたま)はや み谷(たに) 二渡(ふたわた)らす 味耜高彦根
又 歌之曰
又 歌い之を曰く
阿磨佐箇屢 避奈菟謎廼 以和多邏素西渡 以嗣箇播箇柁輔智 箇多輔智爾 阿祢播利和柁嗣 妹慮豫嗣爾 豫嗣豫利據禰 以嗣箇播箇柁輔智 ――天離(あまさか)る 夷(ひな)つ女(め)の い渡(わた)らす追門(せと) 石川片淵(いしかはかたふち) 片淵に 網張(あみは)り渡し 目(め)ろ寄(よ)しに 寄し寄り来(こ)ね 石川片淵
此両首歌辞 今號夷曲
此の両首の歌の辞は 今の號は夷曲(ヒナブリ)
既而 天照大神 以思兼神妹万幡豊秋津媛命 配正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊為妃 令降之於葦原中国 是時 勝速日天忍穂耳尊 立于天浮橋而臨睨之曰 彼地未平矣 不須也頗傾凶目杵之国歟 乃更還登 具陳不降之状 故 天照大神 復遣武甕槌神及経津主神 先行駈除
既而 天照大神 思兼神の妹の万幡豊秋津媛命を以て 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊に配し妃と為す 葦原中国に降ら令める 是時 勝速日天忍穂耳尊 天浮橋に立ちて之を臨み睨み曰く 彼の地は未だ平らがず矣 不須也頗傾(イナカブシ、嫌悪して首を傾ける)凶目杵之国(シコメキクニ)歟 乃ち更に還り登る 具に降らぬ之状を陳(つら)ねる 故 天照大神 復た武甕槌神及び経津主神を遣わす 先ず行き駆除する
時二神 降到出雲 便問大己貴神曰 汝将此国 奉天神耶 以不 対曰 吾兒事代主 射鳥遨遊 在三津之碕 今 当問以報之 乃遣使人訪焉 対曰 天神所求 何不奉歟 故 大己貴神 以其子之辞 報乎二神
時に二神 出雲に降り到る 便(すなわ)ち大己貴神に問い曰く 汝が将(ひき)いる此の国 天神に奉る耶 以不(否や) 対し曰く 吾が兒の事代主 鳥を射て遨遊(ごうゆう、盛んに遊ぶ)する 三津之碕に在り 今 当に問い以報之(カヘリコト申サン) 乃ち遣使人が訪れる焉 対し曰く 天神の求める所 何ぞ奉らず歟 故 大己貴神 其の子の辞を以て 二神に報乎する
二神乃昇天 復命而告之曰 葦原中国 皆已平竟 時 天照大神勅曰 若然者 方当降吾兒矣 且 将降間 皇孫已生 號曰天津彦彦火瓊瓊杵尊 時 有奏曰 欲以此皇孫代降
二神は乃ち天へ昇る 復命(報告)して告げ之を曰く 葦原中国 皆は已に平らげ竟(終)える 時 天照大神は勅し曰く 若し然らば 方(まさ)に当に吾が兒が降らん矣 且 将に降らん間 皇孫を已に生む 號は曰く天津彦彦火瓊瓊杵尊 時 奏有り曰く 此の皇孫を以て代わりに降ろすを欲する
故 天照大神 乃賜天津彦彦火瓊瓊杵尊 八坂瓊曲玉及 八咫鏡 草薙剱 三種宝物 又 以中臣上祖天兒屋命忌部上祖太玉命猿女上祖天鈿女命鏡作上祖石凝姥命玉作上祖玉屋命凡五部神 使配侍焉 因勅皇孫曰 葦原千五百秋之瑞穂国 是吾子孫可王之地也 宜爾皇孫就而治焉 行矣 宝祚之隆 当与天壤無窮者矣
故 天照大神 乃ち天津彦彦火瓊瓊杵尊に賜る 八坂瓊曲玉及び 八咫鏡 草薙剱 三種の宝物 又 中臣上祖の天兒屋命と忌部上祖の太玉命と猿女上祖の天鈿女命と鏡作上祖の石凝姥命と玉作上祖の玉屋命の凡(すべ)て五部神を以て 配し侍ら使む焉 因て皇孫に勅し曰く 葦原の千五百秋(ちいおあき)の瑞穂国 是は吾が子孫が王たる可し之地也 爾(その)皇孫が就いて治めるが宜しい焉 行け矣 宝祚(ほうそ、皇位)の隆 当に天壤(てんじょう、天と地)を与え窮する者無し矣
已而且 降之間 先驅者還白 有一神 居天八達之衢 其鼻長七咫 背長七尺餘 当言七尋 且口尻明耀 眼如八咫鏡而赩然似赤酸醤也 即遣従神往問 時 有八十万神 皆不得目勝相問 故 特勅天鈿女曰 汝是 目勝於人者 宜往問之
已而且 降りる之間 先駆者が還り白す 一神有り 天八達(あまのやちまた)の衢(分かれ道)に居る 其の鼻の長さ七咫 背の長さ七尺余り 当に七尋と言う 且つ口尻が明るく耀(かがや)く 眼は八咫鏡の如くして赩(赤)然と赤酸醤(ほおずき)に似る也 即ち遣わしし従神が往き問う 時 八十万神有り 皆が目勝(まかつ、気後れせず睨む)ち得ず相い問う 故 特に天鈿女に勅し曰く 汝は是 人に目勝する者 往き之を問うが宜しい
天鈿女 乃露其胸乳 抑裳帯於臍下 而 咲㖸向立 是時 衢神問曰 天鈿女 汝為之何故耶 対曰 天照大神之子所幸道路 有如此居 之者誰也 敢問之 衢神対曰 聞天照大神之子今当降行 故 奉迎相待 吾名 是猿田彦大神 時 天鈿女復問曰 汝将先我行乎 将抑我先汝行乎 対曰 吾先啓行 天鈿女復問曰 汝何処到耶 皇孫何処到耶 対曰 天神之子 則当到筑紫日向高千穂槵触之峯 吾則應 到伊勢之狭長田五十鈴川上 因曰 発顕我者汝也 故 汝可以送我 而 致之矣
天鈿女 乃ち其の胸乳を露す 裳帯(もひも)を臍下に抑える 而 咲㖸(フサワライテ)向かい立つ 是時 衢(分かれ道)の神は問い曰く 天鈿女 汝が為す之は何故耶 対し曰く 天照大神の子が所幸(イテマ)する道路に 此の如く居る有る 之者は誰也 敢えて之を問う 衢の神は対し曰く 天照大神の子が今当に降り行くと聞く 故 迎え相い待り奉る 吾の名 是は猿田彦大神 時 天鈿女は復た問い曰く 汝は将に我の先を行かん乎 将抑(ハタハタ)我が汝の先に行かん乎 対し曰く 吾が先に啓行(先導)する 天鈿女は復た問い曰く 汝は何処に到る耶 皇孫は何処に到る耶 対し曰く 天神の子 則ち当に筑紫日向高千穂槵触(くしふる)の峯に到らん 吾は則ち応え 伊勢の狭長田(さながた)五十鈴川上に到る 因て曰く 我を発顕(はつげん、アラハシツルハ)するは汝也 故 汝は以て我を送る可し 而 之を致す矣
天鈿女 還詣報状 皇孫 於是 脱離天磐座 排分天八重雲 稜威道別道別 而 天降之也 果如先期 皇孫則到筑紫日向高千穂槵触之峯 其猿田彦神者 則到伊勢之狭長田五十鈴川上 即天鈿女命 随猿田彦神所乞遂 以侍送焉 時 皇孫勅天鈿女命 汝 宜 以所顕神 名為姓氏焉 因賜猿女君之號 故 猿女君等男女 皆呼為君 此其縁也
高胸 此云多歌武娜娑歌 頗傾也 此云歌矛志
天鈿女 詣で還り状(さま)を報せる 皇孫 於是 天磐座を脱し離れる 天八重雲を排し分け 稜威(いつ、神聖)の道を別け道を別ける 而 天降る之也 果たして先の期の如く 皇孫は則ち筑紫日向高千穂槵触(くしふる)の峯に到る 其の猿田彦神なる者 則ち伊勢の狭長田(さながた)五十鈴川上に到る 即ち天鈿女命 猿田彦神が乞う所の随(まま)に遂げ 侍るを以て送る焉 時 皇孫は天鈿女命に勅する 汝 神を顕す所を以て名は姓氏を為すが宜しい焉 因て猿女君の號を賜る 故 猿女君ら男女 皆が君と呼び為す 此は其の縁也
高胸 此れ云う多歌武娜娑歌 頗傾也 此れ云う歌矛志
一書曰 天神 遣経津主神武甕槌神 使平定葦原中国 時 二神曰 天有悪神 名曰天津甕星 亦名天香香背男 請 先誅此神 然後 下撥葦原中国 是時 斎主神 號斎之大人 此神今在于東国檝取之地也
一書に曰く 天神 経津主神と武甕槌神を遣わす 葦原中国を平定せ使む 時 二神は曰く 天に悪神有り 名は曰く天津甕星 亦の名は天香香背男 先に此の神を誅する 然後 下り葦原中国を撥するを請う 是時 斎主神 號は斎之大人 此の神は今は東国檝取(香取)の地に在る也
既而 二神降 到出雲五十田狭之小汀 而 問大己貴神曰 汝 将以此国奉天神耶 以不 対曰 疑 汝二神 非是吾処来者 故 不須許也 於是 経津主神 則還昇報告
既而 二神は降る 出雲五十田狭(イソタサ)の小汀に到る 而 大己貴神に問い曰く 汝 将に此の国を以て天神に奉らん耶 以不(否や) 対し曰く 疑う 汝ら二神 是を非(そし)り吾の処に来る者 故 許し須(もと)めず也 於是 経津主神 則ち還り昇り報告する
時 高皇産霊尊 乃還遣二神 勅大己貴神曰 今者 聞汝所言 深有其理 故 更條而勅 之 夫汝所治 顕露之事 宜是 吾孫治 之 汝則可以治神事 又 汝應住天日隅宮者 今当供造 即以千尋𣑥縄結為百八十紐 其造宮之制者 柱則高大 板則廣厚 又 将田供佃 又 為汝往来 遊海之具 高橋浮橋及天鳥船 亦将供造 又 於天安河 亦造打橋 又 供造百八十縫之白楯 又 当主汝祭祀者 天穂日命 是也
時 高皇産霊尊 乃ち二神を還し遣わす 大己貴神に勅し曰く 今は 汝が言う所を聞く 深く其の理有り 故 更に條(条)して勅する 之 汝が治める所の夫(それ) 顕露(けんろ、あらわ)の事 宜是 吾の孫が治める 之 汝は則ち以て神事を治める可し 又 汝が天日隅宮に住むに応じるなら 今当に供え造らん 即ち千尋𣑥縄(たくなわ)を以て結い百八十紐と為す 其の造宮の制は 柱は則ち高く大きく 板は則ち広く厚く 又 田を将(やしな)い佃(耕作地)を供える 又 汝が往き来る為 遊海の具(そなえ) 高橋浮橋及び天鳥船 亦た将に造り供えん 又 天安河に 亦た打橋を造る 又 百八十縫の白楯を造り供える 又 汝の祭祀に当たる主は 天穂日命 是也
於是 大己貴神報曰 天神勅教 慇懃如此 敢不従命乎 吾所治 顕露事者 皇孫当治 吾将退治幽事 乃薦岐神於二神曰 是当代我而奉従也 吾将自此避去 即躬披瑞之八坂瓊 而 長隠者矣 故 経津主神 以岐神為鄕導 周流削平 有逆命者 即加斬戮 帰順者 仍加褒美
於是 大己貴神は報せ曰く 天神の勅教(教勅、教え戒め) 此の如く慇懃(真心があり礼儀正しい) 敢えて命に従わず乎 吾が治める所 顕露(あらわ)な事は 皇孫は当に治めん 吾は将に退き幽事を治める 乃ち岐神(くなどのかみ)を二神に薦め曰く 是は当に我に代わりて奉り従わん也 吾は将に此より避け去る 即ち躬(身)に瑞之八坂瓊を披(ひろ)げる 而 長く隠者となる矣 故 経津主神 岐神(くなどのかみ)を以て鄕の導きと為す 周り流れ削り平らぐ 命に逆(さから)い有るなら 即ち斬戮を加える 帰順なら 仍ち褒美を加える
是時 帰順之首渠者 大物主神及事代主神 乃合八十万神於天高市 帥以昇天 陳其誠款之至 時 高皇産霊尊 勅大物主神 汝若以国神為妻 吾猶謂汝有疏心 故 今 以吾女三穂津姫 配汝為妻 宜領八十万神 永為皇孫奉護 乃使還降之
是時 帰順の首渠者(ヒトコノカミ) 大物主神及び事代主神 乃ち八十万神を天高市に合わせる 以て帥(率)い天に昇る 其の誠款(誠と真心)の至りを陳する 時 高皇産霊尊 大物主神に勅する 汝が若し国神を以て妻と為すなら 吾は猶も汝に疎心(そしん)有りと謂(おも)う 故 今 吾が娘の三穂津姫を以て 汝に配し妻と為す 八十万神を領(統)べるが宜しい 永く皇孫の為に奉り護れ 乃ち還り降ら使める之
即以紀国忌部遠祖手置帆負神 定為作笠者 彦狭知神為作盾者 天目一箇神為作金者 天日鷲神為作木綿者 櫛明玉神為作玉者 乃使太玉命 以弱肩被太手繦 而 代御手 以祭此神者 始起於此矣 且 天兒屋命 主神事之宗源者也 故 俾以太占之卜事而奉仕焉
即ち紀国忌部遠祖の手置帆負神を以て 定め作笠者と為す 彦狭知神を作盾者と為す 天目一箇神を作金者と為す 天日鷲神を作木綿者と為す 櫛明玉神を作玉者と為す 乃ち太玉命を使う 以て弱肩に太手繦(たすきの美称)を被う 而 代御手(御手代、みてしろ、天皇に代わり御幣を持って神事を行う者) 以て此の神を祭るは 始め此に起こる矣 且 天兒屋命 主に神事の宗源(万法の源)の者也 故 太占(ふとまに)の卜(占い)事を以て俾(たす)けて奉仕する焉
高皇産霊尊 因勅曰 吾 則起樹天津神籬及天津磐境 当為吾孫奉斎矣 汝 天兒屋命太玉命 宜持天津神籬降於葦原中国 亦為吾孫奉斎焉 乃使二神陪従天忍穂耳尊 以降之
高皇産霊尊 因て勅し曰く 吾 則ち天津神籬(ひもろき、神の宿るもの)及び天津磐境(いわさか、神域や祭壇)に樹を起(た)てる 当に吾が孫の奉斎と為さん矣 汝 天兒屋命と太玉命 天津神籬を持ち葦原中国に降るが宜しい 亦た吾が孫の奉斎と為す焉 乃ち二神を天忍穂耳尊に陪従(べいじゅう、貴人の供)せ使める 以て降ろす之
是時 天照大神 手持宝鏡 授天忍穂耳尊而祝之曰 吾兒 視此宝鏡 当猶視吾 可与同床共殿 以為斎鏡 復勅天兒屋命太玉命 惟爾二神 亦同侍殿内 善為防護 又 勅曰 以吾高天原所御斎庭之穂 亦当御於吾兒
是時 天照大神 手に宝鏡を持ち 天忍穂耳尊に授けて祝い之を曰く 吾が兒 此の宝鏡を視る 当に猶も吾を視る 与(とも)に同床共殿す可し 以て斎鏡と為す 復た天兒屋命と太玉命に勅す 惟(これ)爾(なんじ)二神 亦た同じく殿内に侍る 善き防護と為す 又 勅し曰く 吾が高天原が御(おさ)める所の斎庭(ゆにわ)の穂を以て 亦 当に吾兒に於いても御(おさ)めん
則以高皇産霊尊之女 號万幡姫 配天忍穂耳尊為妃 降之 故 時居於虚天而生兒 號天津彦火瓊瓊杵尊 因欲以此皇孫代親而降 故 以天兒屋命太玉命及諸部神等 悉皆相授 且 服御之物一依前授 然後 天忍穂耳尊 復還於天
則ち高皇産霊尊の女を以て 號は万幡姫 天忍穂耳尊に配し妃と為す 之に降る 故 虚天に居る時に生む兒 號は天津彦火瓊瓊杵尊 因て此の皇孫を以て親に代わりて降ろすを欲する 故 以て天兒屋命と太玉命及び諸部神等 悉く皆を相い授ける 且 服御之物一(ミソヅモヒトツ)前(さき)に依り授ける 然後 天忍穂耳尊 天に復還する
故 天津彦火瓊瓊杵尊 降到於日向槵日高千穂之峯 而 膂宍胸副国 自頓丘覓国行去 立於浮渚在平地 乃召国主事勝国勝長狭而訪之 対曰 是有国也 取捨 随勅
故 天津彦火瓊瓊杵尊 日向槵日(クシヒ)高千穂の峯に降り到る 而 膂宍(そしし、背中の肉)の胸に副(そ)う国 頓丘(ヒタヲ、ひたすら続く丘)より国を覓(さが)し行き去る 浮渚(浮島)に在る平地に立つ 乃ち国主の事勝国勝長狭を召して之を訪ねる 対し曰く 是に国有り也 取る捨てる 勅の随(まにま)に
時 皇孫因立宮殿 是焉 遊息後遊幸海浜 見一美人 皇孫問曰 汝 是誰之子耶 対曰 妾是 大山祇神之子 名神吾田鹿葦津姫 亦名木花開耶姫 因白 亦吾姉磐長姫在 皇孫曰 吾欲以汝為妻 如之何 対曰 妾父大山祇神在請 以垂問
時 皇孫は因て宮殿を立つ 是焉 遊息後に海浜に遊幸する 一美人を見る 皇孫は問い曰く 汝 是は誰の子耶 対し曰く 妾は是 大山祇神の子 名を神吾田鹿葦津姫 亦の名は木花開耶姫 因て白す 亦た吾が姉に磐長姫在り 皇孫は曰く 吾は汝を以て妻と為すを欲する 如之何(イカン) 対し曰く 妾の父の大山祇神に在請(ハンヘリコフ) 以て垂問(トヒタマエ)
皇孫因謂大山祇神曰 吾見汝之女子 欲以為妻 於是 大山祇神 乃使二女持百机飲食奉進 時 皇孫謂 姉為醜不御而罷 妹有国色引而幸之 則一夜有身
皇孫は因て大山祇神に謂い曰く 吾は汝の女子を見る 以て妻と為すを欲する 於是 大山祇神 乃ち二女に百机の飲食を持た使(し)めて奉り進む 時 皇孫は謂(おも)う 姉は醜い為に御さずして罷(しりぞ)ける 妹は国色(こくしょく、国一番の美貌)の引き有りて之に幸する 則ち一夜を身に有り
故 磐長姫 大慙而詛之曰 假使 天孫不斥妾而御者 生兒永壽 有如磐石 之常存 今既不然 唯弟獨見御 故 其生兒 必如木花之移落 一云 磐長姫恥恨而唾泣之曰 顕見蒼生者 如木花之 俄遷轉当衰去矣 此世人短折 之緑也
故 磐長姫 大いに慙(は)じて詛(呪)い之を曰く 假使(もしも) 天孫が妾を斥(しりぞ)けずして御(おさ)めるなら 生む兒は永く寿ぐ 磐石の如く有る 之は常に存る 今は既に然らず 唯だ弟(妹)独り見えて御(おさ)める 故 其の生む兒 必ず木花の移ろい落ちるが如し 一に云う 磐長姫は恥じ恨みて唾泣き曰く 顕見蒼生(うつしきあおひとくさ、人民)は 木花の如し之 俄に遷(うつ)り転がり当に衰え去らん矣 此の世の人の短折(たんせつ、早死に) 之の緑也
是後 神吾田鹿葦津姫 見皇孫曰 妾孕天孫之子 不可私以生也 皇孫曰 雖復天神之子 如何一夜使人娠乎 抑非吾之兒歟 木花開耶姫 甚以慙恨 乃作無戸室 而 誓之曰 吾所娠是 若他神之子者 必不幸矣 是実天孫之子者 必当全生 則入其室中 以火焚室 于時 燄初起時 共生兒 號火酢芹命 次火盛時生兒 號火明命 次生兒 號彦火火出見尊 亦號火折尊
斎主 此云伊播毗 顕露 此云阿羅播貳 斎庭 此云踰貳波
是後 神吾田鹿葦津姫 皇孫に見(まみ)え曰く 妾は天孫の子を孕む 私(私事)に以て生む可からず也 皇孫は曰く 復た天神の子と雖も 如何ぞ一夜に人を娠ませ使む乎 抑(そもそも)吾の兒に非ず歟 木花開耶姫 甚だ以て慙恨 乃ち無戸室を作る 而 誓い之を曰く 吾の所に娠める是 若し他神の子なら 必ず不幸なる歟 是が実(真)に天孫の子なら 必ず当に全て生まん 則ち其の室の中に入る 火を以て室を焚(た)く 于時 焔の初め起こる時 共に生む兒 號は火酢芹命 次に火の盛りの時に生む兒 號は火明命 次に生む兒 號は彦火火出見尊 亦の號は火折尊
斎主 此れ云う伊播毗 顕露 此れ云う阿羅播貳 斎庭 此れ云う踰貳波
一書曰 初火燄明時生兒 火明命 次火炎盛時生兒 火進命 又曰火酢芹命 次避火炎時生兒 火折彦火火出見尊 凡此三子 火不能害 及母亦無所少損 時 以竹刀截其兒臍 其所棄竹刀 終成竹林 故 號彼地曰竹屋 時 神吾田鹿葦津姫 以卜定田 號曰狭名田 以其田稲 釀天甜酒嘗之 又 用淳浪田稲 為飯嘗之
一書に曰く 初め火焔の明かる時に生む兒 火明命 次に火炎の盛る時に生む兒 火進命 又曰く火酢芹命 次に火炎の避(さ)る時に生む兒 火折彦火火出見尊 凡(すべ)て此の三子 火は害するに能わず 及び母も亦た少しも損う所無し 時 竹刀を以て其の兒の臍を截(き)る 其所に棄てる竹刀 終いに竹林に成る 故 彼の地の號は曰く竹屋 時 神吾田鹿葦津姫 卜定田(うらえた、神に供える稲をつくる田)を以て 號を狭名田と曰く 其の田の稲を以て 天甜酒(たむさけ、美味い酒)を釀し之を嘗(ニハナイス) 又 淳浪田稲を用い 飯と為し之を嘗(ニハナイス)
一書曰 高皇産霊尊 以真床覆衾 裹天津彦国光彦火瓊瓊杵尊 則引開天磐戸 排分天八重雲 以奉降之 于時 大伴連遠祖天忍日命 帥来目部遠祖天槵津大来目 背負天磐靫 臂著稜威高鞆 手捉天梔弓天羽羽矢 及副持八目鳴鏑 又 帯頭槌剱 而 立天孫之前 遊行降来
一書に曰く 高皇産霊尊 真床覆衾(まとこおうふすま)を以て 天津彦国光彦火瓊瓊杵尊を裹(まと)う 則ち天磐戸を引き開ける 天八重雲を排し分ける 以て奉降する之 于時 大伴連遠祖の天忍日命 来目部遠祖の天槵津大来目を帥(率)いる 天磐靫(いわゆき)を背負う 臂(腕・肘)に稜威(いつ、神聖)の高鞆(たかとも、音高くひびく鞆(左手首につける))を著(き)る 手に天梔弓(はじゆみ)と天羽羽矢を捉(つか)む 及び八目鳴鏑を副え持つ 又 頭槌剱を帯びる 而 天孫の前に立つ 遊行し降り来る
到於日向襲之高千穂槵日二上峯天浮橋 而 立於浮渚在之平地 膂宍空国 自頓丘覓国行去 到於吾田長屋笠狭之御碕 時 彼処有一神 名曰事勝国勝長狭 故 天孫問其神曰 国在耶 対曰 在也 因曰 随勅奉矣 故 天孫留住於彼処 其事勝国勝神者 是伊弉諾尊之子也 亦名鹽土老翁
日向襲の高千穂槵日(クシヒ)二上峯天浮橋に到る 而 浮渚(浮島)に在る之の平地に立つ 膂宍(そしし、背中の肉)の空国(むなくに) 頓丘(ヒタヲ、ひたすら続く丘)より国を覓(さが)し行き去る 吾田長屋笠狭之御碕に到る 時 彼処に一神有り 名は曰く事勝国勝長狭 故 天孫は其の神に問い曰く 国は在る耶 対し曰く 在る也 因て曰く 勅の随(まにま)に奉る矣 故 天孫は彼処に留まり住む 其の事勝国勝神なる者 是は伊弉諾尊の子也 亦の名は鹽土老翁
一書曰 天孫 幸大山祇神之女子吾田鹿葦津姫 則一夜有身 遂生四子 故 吾田鹿葦津姫 抱子而来進曰 天神之子 寧可以私養乎 故 告状知聞 是時 天孫見其子等嘲之曰 姸哉 吾皇子者 聞喜 而 生之歟 故 吾田鹿葦津姫 乃慍之曰 何為嘲妾乎 天孫曰 心疑之矣 故 嘲之 何則 雖復天神之子 豈能一夜之間 使人有身者哉 固非我子矣
一書に曰く 天孫 大山祇神の娘子の吾田鹿葦津姫を幸する 則ち一夜に身有り 遂に四子を生む 故 吾田鹿葦津姫 子を抱きて進み来て曰く 天神の子 寧(ねんご)ろに私を以て養うべし乎 故 告状(こくじょう、訴える)し知り聞く 是時 天孫は其子等を見て之を嘲い曰く 姸(うつく)しい哉 吾の皇子なる者 聞喜(キキヨクモ) 而 生む之歟 故 吾田鹿葦津姫 乃ち慍(怒)り之を曰く 何為(なにすれぞ)妾を嘲う乎 天孫は曰く 心は之を疑う矣 故 之を嘲う 何則(なんとなれば) 復た天神の子と雖も 豈(あに)能く一夜の間 人に身を有ら使む者哉 固く我が子に非ず矣
是以 吾田鹿葦津姫益恨 作無戸室 入居其内誓之曰 妾所娠 若非天神之胤者 必亡 是若天神之胤者 無所害 則放火焚室 其火初明時 躡誥出兒自言 吾是天神之子 名火明命 吾父何処坐耶 次火盛時 躡誥出兒亦言 吾是天神之子 名火進命 吾父及兄何処在耶 次火炎衰時 躡誥出兒亦言 吾是天神之子 名火折尊 吾父及兄等何処在耶 次避火熱時 躡誥出兒亦言 吾是天神之子 名彦火火出見尊 吾父及兄等何処在耶
是以 吾田鹿葦津姫は益(ま)して恨む 無戸室を作る 其の内に入り居り誓い之を曰く 妾の娠める所 若し天神の胤に非ざるなら 必ず亡くなる 是が若し天神の胤なら 所害無し 則ち火を放ち室を焚く 其の火の初明の時 躡誥(フミタケヒテ)出る兒は自ら言う 吾は是れ天神の子 名は火明命 吾が父は何処に坐す耶 次に火の盛る時 躡誥(フミタケヒテ)出る兒は亦た言う 吾は是れ天神の子 名は火進命 吾が父及び兄は何処に在る耶 次に火炎の衰える時 躡誥(フミタケヒテ)出る兒は亦た言う 吾は是れ天神の子 名は火折尊 吾が父及び兄等は何処に在る耶 次に火熱の避ける時 躡誥(フミタケヒテ)出る兒は亦た言う 吾は是れ天神の子 名は彦火火出見尊 吾が父及び兄等は何処に在る耶
然後 母吾田鹿葦津姫 自火燼中出来 就而称之曰 妾所生兒及妾身 自当火難 無所少損 天孫豈見之乎 報曰 我知本 是吾兒 但一夜而有身 慮有疑者 欲使衆人皆知是吾兒 幷亦 天神能令一夜有娠 亦欲明 汝有霊異之威 子等復有超倫之気 故 有前日之嘲辞也
梔 此云波茸 音之移反 頭槌 此云箇步豆智 老翁 此云烏膩
然後 母の吾田鹿葦津姫 自ら火の燼(もえさ)しの中より出て来る 就いて称(称)え之を曰く 妾の生む所の兒及び妾の身 自ら火難に当たる 少しも損なう所無し 天孫は豈(あに)之を見る乎 報せ曰く 我は本より知る 是れは吾が兒 但し一夜にて身に有り 疑う者の有るを慮る 衆人の皆に是れは吾の兒と知ら使めるを欲する 幷せて亦た 天神は能く一夜に有娠(はら)ませ令める 亦た明かすを欲する 汝に霊異の威有り 子等も復た超倫の気有り 故 前日に嘲ける辞有り也
梔 此れ云う波茸 音の移反 頭槌 此れ云う箇步豆智 老翁 此れ云う烏膩
一書曰 天忍穂根尊 娶高皇産霊尊女子𣑥幡千千姫万幡姫命 亦云高皇産霊尊兒火之戸幡姫兒千千姫命 而 生兒天火明命 次生天津彦根火瓊瓊杵根尊 其天火明命兒天香山 是尾張連等遠祖也 及至 奉降皇孫火瓊瓊杵尊於葦原中国也 高皇産霊尊 勅八十諸神曰 葦原中国者 磐根木株草葉 猶能言語 夜者若熛火而喧響之 晝者如五月蠅而沸騰之 云々
一書に曰く 天忍穂根尊 高皇産霊尊の娘子の𣑥幡千千姫万幡姫命を娶る 亦た云う高皇産霊尊の兒の火之戸幡姫の兒の千千姫命 而 生む兒は天火明命 次に天津彦根火瓊瓊杵根尊を生む 其の天火明命の兒は天香山 是は尾張連等の遠祖也 及至(ないし) 皇孫の火瓊瓊杵尊を葦原中国に降し奉る也 高皇産霊尊 八十諸神に勅し曰く 葦原中国は 磐根も木株も草葉も 猶も言語を能くする 夜は熛火(ほへ)の若くして喧しく響く之 昼は五月蠅の如くして沸き騰(あ)がる之 云々
時 高皇産霊尊勅曰 昔遣天稚彦於葦原中国 至今所以久不来者 蓋 是国神有強禦之者 乃遣無名雄雉 往候之 此雉降来 因見粟田豆田 則留而不返 此世所謂雉頓使 之縁也 故 復遣無名雌雉 此鳥下来 為天稚彦所射 中其矢而上報 云々
時 高皇産霊尊は勅し曰く 昔に天稚彦を葦原中国に遣わす 今所に至るも久しきを以て来ずは 蓋 是の国神に強禦(きょうぎょ、悪の強者)の者有り 乃ち無名雄雉を遣す 往き之を候(さぐ)る 此の雉は降り来る 因て粟田豆田を見る 則ち留まりて返らず 此世の所謂(いはゆる)雉の頓使(ひたづかい、帰らない使者) 之縁也 故 復た無名雌雉を遣わす 此の鳥は下り来る 天稚彦の射る所の為 其の矢が中りて上り報せる 云々
是時 高皇産霊尊 乃用真床覆衾 裹皇孫天津彦根火瓊瓊杵根尊 而 排披天八重雲 以奉降之 故 称此神曰天国饒石彦火瓊瓊杵尊 于時 降到之処者 呼曰日向襲之高千穂添山峯矣 及其遊行之時也 云々
是時 高皇産霊尊 乃ち真床覆衾(まとこおうふすま)を用い 皇孫の天津彦根火瓊瓊杵根尊を裹(くる)む 而 天八重雲を排し披(ひら)き 以て之に奉降する 故 此の神を称え曰く天国饒石彦火瓊瓊杵尊 于時 降り到る之の処は 日向襲の高千穂添山峯と呼び曰く 其の遊行の時に及ぶ也 云々
到于吾田笠狭之御碕 遂登長屋之竹嶋 乃巡覽其地者 彼有人焉 名曰事勝国勝長狭 天孫因問之曰 此誰国歟 対曰 是長狭所住之国也 然 今 乃奉上天孫矣 天孫又問曰 其 於秀起浪穂之上起八尋殿 而 手玉玲瓏 織紝之少女者 是誰之子女耶 答曰 大山祇神之女等 大號磐長姫 少號木花開耶姫 亦號豊吾田津姫 云々
吾田笠狭之御碕に到る 遂に長屋の竹嶋に登る 乃ち其の地を巡り覧じるは 彼(ソコ)に人有り焉 名は曰く事勝国勝長狭 天孫は因て問い之を曰く 此は誰の国歟 対し曰く 是は長狭が住む所の之国也 然 今 乃ち天孫に奉上する矣 天孫は又た問い曰く 其れ 秀(サキ)起てる浪穂の上に起つ八尋殿 而 手玉玲瓏(れいろう、玉のように輝く) 織紝(しょくじん、布を織る)の少女は 是れ誰の子女耶 答え曰く 大山祇神の女等 大(姉)の號は磐長姫 少(妹)の號は木花開耶姫 亦の號は豊吾田津姫 云々
皇孫因幸豊吾田津姫 則一夜而有身 皇孫疑之 云々 遂生火酢芹命 次生火折尊 亦號彦火火出見尊 母誓已験 方知 実是皇孫之胤 然 豊吾田津姫 恨皇孫不与共言 皇孫憂之 乃為歌之曰
皇孫は因て豊吾田津姫と幸する 則ち一夜にして身に有り 皇孫は之を疑う 云々 遂に生む火酢芹命 次に生む火折尊 亦の號は彦火火出見尊 母は誓い已に験(ため)す 方に知らす 実(真)に是は皇孫の胤 然 豊吾田津姫 皇孫を恨み与共(一緒)に言わず 皇孫は之を憂う 乃ち歌を為し之を曰く
憶企都茂播 陛爾播誉戻耐母 佐禰耐據茂 阿黨播怒介茂誉 播磨都智耐理誉 ――沖(おき)つ藻(も)は 辺(へ)には寄(よ)れども さ寝床(ねどこ)も 与(あた)はぬかもよ 浜(はま)つ千鳥(ちどり)よ
熛火 此云裒倍 喧響 此云淤等娜比 五月蠅 此云左魔倍 添山 此云曽褒里能耶麻 秀起 此云左岐陀豆屢
熛火 此れ云う裒倍 喧響 此れ云う淤等娜比 五月蠅 此れ云う左魔倍 添山 此れ云う曽褒里能耶麻 秀起 此れ云う左岐陀豆屢
一書曰 高皇産霊尊之女天万𣑥幡千幡姫
一云 高皇産霊尊兒万幡姫兒玉依姫命 此神為天忍骨命妃 生兒天之杵火火置瀬尊
一云 勝速日命兒天大耳尊 此神娶丹舄姫 生兒火瓊瓊杵尊
一云 神高皇産霊尊之女𣑥幡千幡姫 生兒火瓊瓊杵尊
一云 天杵瀬命 娶吾田津姫 生兒火明命 次火夜織命 次彦火火出見尊
一書に曰く 高皇産霊尊の女は天万𣑥幡千幡姫
一に云う 高皇産霊尊の兒の万幡姫の兒の玉依姫命 此の神は天忍骨命の妃と為る 生む兒は天之杵火火置瀬尊
一に云う 勝速日命の兒は天大耳尊 此の神は丹舄姫を娶る 生む兒は火瓊瓊杵尊
一に云う 神高皇産霊尊の女の𣑥幡千幡姫 生む兒は火瓊瓊杵尊
一に云う 天杵瀬命 吾田津姫を娶る 生む兒は火明命 次に火夜織命 次に彦火火出見尊
一書曰 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 娶高皇産霊尊之女天万𣑥幡千幡姫 為妃而生兒 號天照国照彦火明命 是尾張連等遠祖也 次天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊 此神娶大山祇神女子木花開耶姫命 為妃而生兒 號火酢芹命 次彦火火出見尊
一書に曰く 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 高皇産霊尊の娘の天万𣑥幡千幡姫を娶る 妃と為して生む兒 號は天照国照彦火明命 是は尾張連等の遠祖也 次に天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊 此の神は大山祇神の女子の木花開耶姫命を娶る 妃と為して生む兒 號は火酢芹命 次に彦火火出見尊
火闌降(海幸)と彦火火出見(山幸)の兄弟が試しに互いの幸を交換したところ失敗。兄は借りた弓矢を返したが、弟は釣針を失くし返せない。返却要求する兄に困っている弟を塩土老翁が助け、海神の宮へ行かせる。海神は客人の事情を聞き、鯛の口に釣針を見つける。彦火火出見は豊玉姫を娶り三年を海宮で過ごす。帰郷するとき海神は彦火火出見に釣針と潮満瓊と潮涸瓊を授け、兄を降伏させる方法を教える。また豊玉姫は妊娠を告げ、産屋を作り待てと言う。戻った彦火火出見は海神の教えに遵って兄を服させる。約束どおり豊玉姫が妹の玉依姫を伴い来る。見るなと告げて産屋に入るが、彦火火出見はこれを覗く。豊玉姫は龍(鰐)の姿だった。恥じて海の道を閉ざし帰ってしまう。久しくのち彦火火出見は崩じる。
兄火闌降命 自有海幸 幸 此云左知 弟彦火火出見尊 自有山幸 始兄弟二人相謂曰 試欲易幸 遂相易之 各不得其利 兄悔之 乃還弟弓箭而乞己釣鉤 弟 時既失兄鉤 無由訪覓
兄の火闌降命 自ずと海幸有り 幸 此れ云う左知 弟の彦火火出見尊 自ずと山幸有り 始め兄弟二人は相い謂い曰く 試しに幸を易(か)えるを欲する 遂に之を相い易える 各が其の利を得ず 兄は之を悔いる 乃ち弟に弓箭を還して己の釣鉤を乞う 弟 時既に兄の鉤を失う 訪れ覓(もと)める由(よし)無なし
故 別作新鉤与兄 兄不肯受 而 責其故鉤 弟患之 即以其横刀 鍛作新鉤 盛一箕而与之 兄忿之曰 非我故鉤 雖多不取 益復急責 故 彦火火出見尊 憂苦甚深 行吟海畔 時 逢鹽土老翁
故 別に新しく鉤を作り兄に与える 兄は肯きも受けもせず 而 其の故(もと)の鉤を責める 弟は之を患う 即ち其の横刀を以て 鍛え新しく鉤を作る 一箕に盛りて之を与える 兄は之に忿(いか)り曰く 我の故い鉤に非ず 多いと雖も取らず 益(ますます)復た急き責める 故 彦火火出見尊 憂い苦しみは甚だ深い 海畔を行き吟(うめ)く 時 塩土老翁に逢う
老翁問曰 何故在此愁乎 対以事之本末 老翁曰 勿復憂 吾当為汝計之 乃作無目籠 内彦火火出見尊於籠中 沈之于海 即自然有可怜小汀 可怜 此云于麻師 汀 此云波麻 於是 棄籠遊行 忽至海神之宮
老翁は問い曰く 何故に此の愁い在り乎 事の本末を以て対する 老翁は曰く 復た憂う勿れ 吾は当に汝に計を為さん之 乃ち無目籠(まなしかたみ、目の細かい竹籠)を作る 籠の中に彦火火出見尊を内する 之を海に沈める 即ち自然と可怜(ウマシ、美しい)小汀有り 可怜 此れ云う于麻師 汀 此れ云う波麻 於是 籠を棄て遊行する 忽ち海神の宮に至る
其宮也 雉堞整頓 臺宇玲瓏 門前有一井 井上有一湯津杜樹 枝葉扶疏 時 彦火火出見尊 就其樹下 徒倚彷徨 良久有一美人 排闥而出 遂以玉鋺来 当汲水 因挙目視之 乃驚而還入 白其父母曰 有一希客者 在門前樹下
其の宮也 雉堞(ちちょう、低い垣根)は整頓 台(うてな、物見台)宇(屋根)は玲瓏 門前は一つ井有り 井の上は一つ湯津杜(ゆつかつら)の樹有り 枝葉は扶疏(よく茂る) 時 彦火火出見尊 其の樹下に就き 徒倚(しい、歩きめぐる)彷徨 良(やや)久しく一り美人有り 闥(小門)を排して出る 遂に玉鋺を以て来 当に水を汲む 因て目視を之に挙げる 乃ち驚きて還り入る 其の父母に白し曰く 一り希な客者有り 門前の樹下に在り
海神 於是 鋪設八重席薦 以延内之 坐定 因問其来意 時 彦火火出見尊 対以情之委曲 海神 乃集大小之魚 逼問之 僉曰 不識 唯赤女 赤女 鯛魚名也 比有口疾而不来 固召之 探其口者 果得失鉤
海神 於是 八重の薦(こも、敷物)の席を鋪(し)き設ける 以て之を内に延べる(招く) 坐し定める 因て其の来る意を問う 時 彦火火出見尊 情の委曲を以て対する 海神 乃ち大小の魚を集める 之に逼問(自白を迫る)する 僉(みな)が曰く 識らず 唯だ赤女 赤女 鯛魚名也 比れは口に疾有りて来ず 之を固く召す 其の口を探るは 果たして失いし鉤を得る
已而 彦火火出見尊 因娶海神女豊玉姫 仍留住海宮 已経三年 彼処雖復安楽 猶有憶鄕之情 故時 復太息 豊玉姫聞之 謂其父曰 天孫悽然数歎 蓋 懐土之憂乎
已而 彦火火出見尊 因て海神の女の豊玉姫を娶る 仍て海宮に留まり住む 已に三年を経る 彼処は復た安楽と雖も 猶も憶鄕(おくきょう)の情有り 故時 太息を復(かえ)す 豊玉姫は之を聞き 其の父に謂い曰く 天孫は悽然(せいぜん、悲しみに沈む)数(しばしば)歎(なげ)く 蓋 懐土(かいど、望郷の念)の憂い乎
海神 乃延彦火火出見尊 従容語曰 天孫若欲還鄕者 吾当奉送 便授所得釣鉤 因誨之曰 以此鉤与汝兄 時 則陰呼此鉤曰 貧鉤 然後与之 復授潮満瓊及潮涸瓊 而 誨之曰 漬潮満瓊者則潮忽満 以此沒溺汝兄 若兄悔而祈者 還漬潮涸瓊 則潮自涸 以此救之 如此逼惱 則汝兄自伏
海神 乃ち彦火火出見尊を延べる 従容(しゅうよう、落ち着きある様子)に語り曰く 天孫が若し郷に還るを欲するなら 吾は当に送り奉らん 便ち得る所の釣鉤を授ける 因て之を誨え曰く 此鉤を以て汝の兄に与える 時 則ち陰に此鉤を呼び曰く 貧鉤(まじち) 然後に之を与える 復た潮満瓊(しおみつたま)及び潮涸瓊(しおひのたま)を授ける 而 之を誨え曰く 潮満瓊を漬けるなら 則ち潮は忽ち満ちる 此を以て汝の兄を溺れ没する 若し兄が悔いて祈るなら 還し潮涸瓊を漬ける 則ち潮は自ずと涸れる 此を以て之を救う 此の如く逼り悩ます 則ち汝の兄は自ずと伏せる
及将帰去 豊玉姫謂天孫曰 妾已娠矣 当産不久 妾必以風濤急峻之日 出到海浜 請為我作産室相待矣
将に帰り去るに及び 豊玉姫は天孫に謂い曰く 妾は已に娠む矣 将に久しからず産む 妾は必ず風涛急峻の日を以て 海浜に出て到る 我の為に産室を作り相待つを請う矣
彦火火出見尊 已還宮 一遵海神之教 時 兄火闌降命 既被厄困 乃自伏罪曰 従今以後 吾将為汝俳優之民 請施恩活 於是 随其所乞 遂赦之 其火闌降命 即吾田君小橋等之本祖也
彦火火出見尊 已に宮に還る 一つ海神の教えに遵(したが)う 時 兄の火闌降命 既に厄を被り困る 乃ち自ずと罪に伏せ曰く 今より以後 吾は将に汝の俳優の民と為る 施恩を請い活きる 於是 其の乞う所の随 遂に之を赦す 其の火闌降命 即ち吾田君小橋等の本祖也
後 豊玉姫 果如前期 将其女弟玉依姫 直冒風波 来到海辺 逮臨産 時 請曰 妾産時 幸 勿以看之 天孫猶不能忍 竊往覘之 豊玉姫方産 化為龍 而 甚慙之曰 如有不辱我者 則使海陸相通 永無隔絶 今 既辱之 将何以結親昵之情乎
後 豊玉姫 果たして前の期(約束)の如く 其の女弟の玉依姫を将(ひき)い 直ちに風波を冒し 海辺に来て到る 産むに臨むに逮(およ)ぶ 時 請い曰く 妾の産む時 幸 以て之を看る勿れ 天孫は猶も忍ぶに能わず 窃(ひそ)かに往き之を覘(のぞ)く 豊玉姫は方(まさ)に産まん 龍に化け為る 而 甚だ之を慙じ曰く 如し我を辱めず有らば 則ち海陸は相通ぜ使める 永く隔絶無し 今 既に之に辱める 将に何ぞ以て親昵(しんじつ、親しみ馴染む)の情を結ぶ乎
乃以草裹兒 棄之海辺 閉海途而俓去矣 故 因以名兒 曰彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 後久之 彦火火出見尊崩 葬日向高屋山上陵
乃ち草を以て兒を裹(つつ)む 之を海辺に棄てる 海の途(みち)を閉ざして俓(まっずぐに)去る矣 故 因て以て兒を名づく 曰く彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 之の久しく後 彦火火出見尊は崩じる 日向高屋山上陵に葬る
一書曰 兄火酢芹命能得海幸 弟彦火火出見尊能得山幸 時 兄弟欲互易其幸 故 兄持弟之幸弓 入山覓獣 終不見獣之乾迹 弟持兄之幸鉤 入海釣魚 殊無所獲 遂失其鉤
一書に曰く 兄の火酢芹命は能く海幸を得る 弟の彦火火出見尊は能く山幸を得る 時 兄弟は互いに其の幸を易(か)えるを欲する 故 兄は弟の幸弓を持ち 山に入り獣を覓(もと)める 終に獣の乾迹(からと、獣が通った痕跡)は見えず 弟は兄の幸鉤を持ち 海に入り魚を釣る 殊(こと)に獲る所無し 遂に其の鉤を失う
是時 兄還弟弓矢 而 責己鉤 弟患之 乃以所帯横刀作鉤 盛一箕与兄 兄不受曰 猶欲得吾之幸鉤 於是 彦火火出見尊 不知所求 但有憂吟 乃行至海辺 彷徨嗟嘆
是時 兄は弟に弓矢を還す 而 己の鉤を責める 弟は之を患う 乃ち所帯の横刀を以て鉤を作る 一つ箕に盛り兄に与える 兄は受けず曰く 猶も吾の幸鉤を得るを欲する 於是 彦火火出見尊 求める所を知らず 但(ただ)憂い有り吟(うめ)く 乃ち行き海辺に至る 彷徨嗟嘆(さまよい嘆く)
時 有一長老 忽然而至 自称鹽土老翁 乃問之曰 君 是誰者 何故患於此処乎 彦火火出見尊 具言其事 老翁 即取嚢中玄櫛投地 則化成五百箇竹林 因取其竹 作大目麁籠 内火火出見尊於籠中 投之于海 一云 以無目堅間為浮木 以細縄繋著火火出見尊 而 沈之 所謂堅間 是今之竹籠也
時 一り長老有り 忽然として至る 自ら塩土老翁と称する 乃ち之を問い曰く 君 是は誰者 何故に此処に患う乎 彦火火出見尊 具に其の事を言う 老翁 即ち嚢(ふくろ)の中の玄(くろ)い櫛を取り地に投げる 則ち五百箇竹林に化け成る 因て其の竹を取る 大目麁籠(おおまあらこ、目の荒い籠)を作る 籠中に火火出見尊を内する 之を海に投げる 一に云う 無目堅間(まなしかたま)を以て浮木と為す 細縄を以て火火出見尊を繋ぎ著(つ)く 而 之を沈める 所謂(いわゆる)堅間 是は今の竹籠也
于時 海底自有可怜小汀 乃尋汀而進 忽到海神豊玉彦之宮 其宮也 城闕崇華 樓臺壯麗 門外有井 井傍有杜樹 乃就樹下 立之良久 有一美人 容貌絶世 侍者群従 自内而出
于時 海底は自ずと可怜(ウマシ)小汀有り 乃ち汀を尋ねて進む 忽ち海神の豊玉彦の宮に到る 其の宮也 城闕(じょうけつ、城郭)崇華 楼台(うてな、たかどの)壮麗 門は外に井有り 井は傍に杜樹有り 乃ち樹下に就く 之に立ち良(やや)久しく 一り美人有り 容貌絶世 侍者群従 内よりて出る
将以玉壼汲玉水 仰見火火出見尊 便以驚還 而 白其父神曰 門前井辺樹下 有一貴客 骨法非常 若従天降者 当有天垢 従地来者当有地垢 実是妙美之 虚空彦者歟 一云 豊玉姫之侍者 以玉瓶汲水 終不能満 俯視井中 則倒映人 咲之顏 因以仰観 有一麗神 倚於杜樹 故 還入白其王。
将に玉壼を以て玉水を汲まん 火火出見尊を仰ぎ見る 便ち以て驚き還る 而 其の父神に白し曰く 門前の井辺の樹下 一り貴客有り 骨法は常に非ず 若し天より降るなら 当に天垢有り 地より来る者 当に地垢有り 実に是 之の妙美 虚空彦(そらつひこ)者歟 一に云う 豊玉姫の侍者 玉瓶を以て水を汲む 終に満たすに能わず 俯き井の中を覗く 則ち倒に映る人 咲(わら)う之顔 因て以て仰ぎ観る 一り麗神有り 杜樹に倚(よ)る 故 還り入り其の王に白す。
於是 豊玉彦遣人問曰 客 是誰者 何以至此 火火出見尊対曰 吾 是天神之孫也 乃遂言来意 時 海神迎拜延入 慇懃奉慰 因以女豊玉姫妻之 故 留住海宮 已経三載 是後 火火出見尊 数有歎息 豊玉姫問曰 天孫豈 欲還故鄕歟 対曰 然
於是 豊玉彦は人を遣わし問い曰く 客 是は誰者 何ぞ以て此に至る 火火出見尊は対し曰く 吾 是は天神の孫也 乃ち遂に来る意を言う 時 海神は迎え拜み延べ入れる 慇懃奉慰 因て以て女の豊玉姫は之に妻する 故 海宮に留まり住む 已に三載を経る 是後 火火出見尊 数(しばしば)歎息有り 豊玉姫は問い曰く 天孫は豈 故郷に還るを欲する歟 対し曰く 然
豊玉姫 即白父神曰 在此貴客意望 欲還上国 海神 於是 総集海魚 覓問其鉤 有一魚 対曰 赤女久有口疾 或云 赤鯛 疑是 之呑乎 故 即召赤女 見其口者 鉤猶在口 便得之 乃以授彦火火出見尊
豊玉姫 即ち父神に白し曰く 此に在る貴客の意望 上国に還るを欲する 海神 於是 総べて海魚を集める 其鉤を覓(もと)め問う 一魚有り 対し曰 赤女が久しく口に疾有り 或いは云う 赤鯛 是を疑う 之が呑む乎 故 即ち赤女を召す 其の口を見れば 鉤は猶も口に在り 便ち之を得る 乃ち以て彦火火出見尊に授ける
因教之曰 以鉤与汝兄 時 則可詛言 貧窮之本 飢饉之始 困苦之根 而後 与之 又 汝兄渉海時 吾必起迅風洪濤 令其沒溺辛苦矣 於是 乗火火出見尊於大鰐 以送致本鄕 先是 且別時 豊玉姫従容語曰 妾已有身矣 当以風濤壯日 出到海辺 請為我造産屋以待之
因て之を教え曰く 鉤を以て汝の兄に与える 時 則ち詛う可く言う 貧窮の本 飢饉の始め 困苦の根 而後 之を与える 又 汝の兄が海を渉る時 吾は必ず迅風洪涛を起こす 其を没し溺れ令め辛苦しめる矣 於是 火火出見尊を大鰐に乗せ 以て本郷に送り致る 先是 且つ別れる時 豊玉姫は従容(しゅうよう、落ち着いた様子)に語り曰く 妾は已に身に有り矣 当に風涛壮日を以て 出て海辺に到る 我の為に産屋を造り以て之を待つを請う
是後 豊玉姫 果如其言来至 謂火火出見尊曰 妾今夜当産 請 勿臨之 火火出見尊不聴 猶以櫛燃火視之 時 豊玉姫 化為八尋大熊鰐 匍匐逶虵 遂以見辱為恨 則俓帰海鄕 留其女弟玉依姫 持養兒焉
是後 豊玉姫 果たして其の言の如く来て至る 火火出見尊に謂い曰く 妾は今夜当に産まん 請う 之に臨む勿れ 火火出見尊は聴かず 猶も櫛を以て火を燃やし之を視る 時 豊玉姫 八尋大熊鰐に化け為る 匍匐(ほふく)し逶虵(もごよ、のたうつ)う 遂に見辱を以て恨みと為す 則ち俓(まっすぐ)に海郷に帰る 其の女弟(妹)の玉依姫は留まる 兒を持ち養う焉
所以兒名 称彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊者 以彼海浜産屋 全用鸕鷀羽為草葺之而甍未合時 兒即生焉 故 因以名焉 上国 此云羽播豆矩儞
兒の名の所以 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊と称するは 以て彼の海浜の産屋 全て鸕鷀(ろじ)の羽を用い之を草葺と為す 而 甍(いらか)は未だ合わず 時 兒は即ち生める焉 故 因て以て名づく焉 上国 此れ云う羽播豆矩儞
一書曰 門前有一好井 井上有百枝杜樹 故 彦火火出見尊 跳昇其樹而立之 于時 海神之女豊玉姫 手持玉鋺 来将汲水 正見人影在於井中 乃仰視之 驚而墜鋺 鋺既破碎 不顧而還入 謂父母曰 妾見一人於井辺樹上 顏色甚美 容貌且閑 殆非常之人者也 時 父神聞而奇之 乃設八重席迎入 坐定 因問来意 対以情之委曲
一書に曰く 門は前に一つ好井有り 井は上に百枝杜樹有り 故 彦火火出見尊 其の樹に跳び昇りて之に立つ 于時 海神の女の豊玉姫 手に玉鋺を持ち 来て将に水を汲まん 井中に人影が在るを正見する 乃ち之を仰ぎ視る 驚きて鋺を墜とす 鋺は既に破れ砕ける 顧ずして還り入る 父母に謂い曰く 妾は井辺の樹上に一人を見る 顏色は甚だ美し 容貌も且つ閑(しず)か 殆ど常人に非ざる者也 時 父神は聞きて之を奇しむ 乃ち八重席を設け迎え入れ 坐を定める 因て来る意を問う 情の委曲を以て対する
時 海神 便起憐心 盡 召鰭廣鰭狭而問之 皆曰 不知 但赤女有口疾不来 亦云 口女有口疾 即急召 至 探其口者 所失之針鉤立得 於是 海神制曰 儞 口女従今以往 不得呑餌 又 不得預天孫之饌 即以口女魚 所以不進御者 此其縁也
時 海神 便ち憐心を起こす 盡 鰭広鰭狭を召して之を問う 皆が曰く 知らず 但し赤女は口に疾有り来ず 亦云う 口女は口に疾有り 即ち急ぎ召す 至る 其の口を探らば 失う所の之針鉤を立得る 於是 海神は制し曰く 儞(なんじ) 口女は今より往くを以て 餌を呑み得ず 又 天孫の饌に預かるを得ず 即ち以て口女魚 進まず御せる所以 此は其の縁也
及至彦火火出見尊将帰 之時 海神白言 今者 天神之孫 辱臨吾処 中心欣慶 何日忘之 乃以思則潮溢之瓊 思則潮涸之瓊 副其鉤 而 奉進之曰 皇孫 雖隔八重之隈 冀 時復相憶 而 勿棄置也 因教之曰 以此鉤与汝兄 時 則称 貧鉤 滅鉤 落薄鉤 言訖以後 手投棄与之 勿以向授 若兄起忿怒 有賊害之心者 則出潮溢瓊 以漂溺之 若已至危苦求愍者 則出潮涸瓊以救之 如此逼惱 自当臣伏
彦火火出見尊が将に帰らんと及び至る 之時 海神は白し言う 今者 天神の孫 辱(かたじけな)くも吾の処に臨む 心の中は欣慶(きんけい、めでたい) 何日に之を忘れる 乃ち思うを以て則ち潮が溢れる之の瓊 思う則ち潮が涸れる之の瓊 其鉤に副える 而 之を奉り進み曰く 皇孫 八重の隈(奥まったところ)を隔てると雖も 冀(こいねが)う 時復 相い憶(おも)いて棄て置く勿れ也 因て之を教え曰く 此鉤を以て汝の兄に与える 時 則ち称する 貧鉤 滅鉤 落薄鉤 言い訖えて以後 手は之を投げ棄て与える 向うを以て授ける勿れ 若し兄が忿怒を起こし 賊害の心有るなら 則ち潮溢瓊を出す 以て之を漂い溺らす 若し已に危苦に至り愍(あわれみ)を求めるなら 則ち潮涸瓊を出す 以て之を救う 此の如く悩み逼る 自ずと当に臣伏せん
時 彦火火出見尊 受彼瓊鉤 帰来本宮 一依海神之教 先以其鉤与兄 兄怒不受 故 弟出潮溢瓊 則潮大溢 而 兄自沒溺 因請之曰 吾当事汝為奴僕 願垂救活 弟出潮涸瓊 則潮自涸 而 兄還平復
時 彦火火出見尊 彼の瓊と鉤を受ける 本宮に帰り来る 一に海神の教えに依る 先ず其の鉤を以て兄に与える 兄は怒り受けず 故 弟は潮溢瓊を出す 則ち潮が大いに溢れる 而 兄は自ら没し溺れる 因て之を請い曰く 吾は当に汝に事(つか)え奴僕と為らん 救いを垂れ活けるを願う 弟は潮涸瓊を出す 則ち潮は自ずと涸れる 而 兄は平復に還る
已而 兄改前言曰 吾 是汝兄 如何為人兄 而 事弟耶 弟 時 出潮溢瓊 兄見之走登高山 則潮亦沒山 兄縁高樹 則潮亦沒樹 兄既窮途 無所逃去 乃伏罪曰 吾已過矣 従今以往 吾子孫八十連屬 恒当為汝俳人 一云 狗人 請哀之
已而 兄は前言を改め曰く 吾 是は汝の兄 如何ぞ人の兄を為して弟に事(つか)える耶 弟 時 潮溢瓊を出す 兄は之を見て高山に走り登る 則ち潮は亦た山を没する 兄は高樹に縁(よ)る 則ち潮は亦た樹を没する 兄は既に途に窮する 逃げ去る所無し 乃ち罪に伏し曰く 吾は已に過(あやま)る矣 今より以て 往く吾の子孫の八十連属 恒(つね)に当に汝の俳人と為らん 一に云う 狗人 哀れを請う之
弟還出涸瓊 則潮自息 於是 兄知弟有神徳 遂以伏事其弟 是以 火酢芹命苗裔 諸隼人等 至今不離天皇宮墻之傍 代吠狗 而 奉事者矣 世人不債失針 此其縁也
弟は還り涸瓊を出す 則ち潮は自ずと息(やす)む 於是 兄は弟に神徳有るを知る 遂に伏せるを以て其の弟に事(つか)える 是以 火酢芹命の苗裔 諸隼人等 今に至るも天皇宮の墻(塀、垣)の傍を離れず 吠える狗に代わり 而 奉り事(つか)える者矣 世の人が針を失うも債(か)りず 此は其の縁也
一書曰 兄火酢芹命 能得海幸 故 號海幸彦 弟彦火火出見尊 能得山幸 故 號山幸彦 兄則毎有風雨 輙失其利 弟則雖逢風雨 其幸不忒 時 兄謂弟曰 吾試欲与汝換幸 弟許諾因易之 時 兄取弟弓失 入山猟獣 弟取兄釣鉤 入海釣魚 倶不得利 空手来帰 兄即還弟弓矢 而 責己釣鉤 時 弟已失鉤於海中 無因訪獲 故 別作新鉤数千与之 兄怒不受 急責故鉤 云々
一書に曰く 兄の火酢芹命 能く海幸を得る 故 號は海幸彦 弟の彦火火出見尊 能く山幸を得る 故 號は山幸彦 兄は則ち毎(つね)に風雨有り 輙ち其の利を失う 弟は則ち風雨に逢うと雖も 其の幸は忒(たが)わず 時 兄は弟に謂い曰く 吾は試す 汝と幸を換えるを欲する 弟は許諾する 因て之を易(か)える 時 兄は弟の弓失を取る 山に入り獣を猟(か)る 弟は兄の釣鉤を取る 海に入り魚を釣る 倶(とも)に利を得ず 手を空に帰り来る 兄は即ち弟に弓矢を還す 而 己の釣鉤を責める 時 弟は已に海中に鉤を失う 訪ね獲る因(よすが)無し 故 別けて新鉤数千を作り之を与える 兄は怒り受けず 故(ふる)い鉤を急き責める 云々
是時 弟往海浜 低徊愁吟 時 有川鴈 嬰羂困厄 即起憐心 解而放去 須臾有 鹽土老翁来 乃作無目堅間小船 載火火出見尊 推放於海中 則自然沈去 忽有可怜御路 故 尋路而往 自至海神之宮
是時 弟は海浜に往む 低く徊り愁い吟(うめ)く 時 川雁有り 嬰(あかご)羂(わな) 厄に困る 即ち憐心を起こす 解きて放ち去る 須臾(しばらく)有り 塩土老翁が来る 乃ち無目堅間(まなしかたま)の小船を作る 火火出見尊を載せ 海中に推し放つ 則り自然と沈み去る 忽ち可怜(ウマシ)御路有り 故 路を尋ねて往く 自ずと海海の宮に至る
是時 海神自迎延入 乃鋪設海驢皮八重 使坐其上 兼設饌百机 以盡主人之礼 因従容問曰 天神之孫 何以辱臨乎 一云 頃吾兒来語曰 天孫憂居海浜 未審虚実 蓋 有之乎 彦火火出見尊 具申事之本末 因留息焉 海神 則以其子豊玉姫妻之 遂纒綿篤愛 已経三年
是時 海神は自ら迎え延べ入れる 乃ち海驢(あしか)の皮を八重に鋪き設け 其の上に坐ら使める 兼ねて饌(せん、飲食の供物)百机を設け 以て主人の礼を尽くす礼 因て従容(しゅうよう、落ち着いた様子)に問い曰く 天神の孫 何ぞ以て辱(かたじけな)くも臨む乎 一に云う 頃 吾の兒が来て語り曰く 天孫は海浜に憂い居る 未だ虚実は審(つまび)らかならず 蓋 之有り乎 彦火火出見尊 具に事の本末を申す 因て留まり息(やす)む焉 海神 則ち其子の豊玉姫を以て之に妻する 遂に纏綿(てんめん、離れがたい)篤く愛する 已に三年を経る
及至将帰 海神 乃召鯛女 探其口者 即得鉤焉 於是 進此鉤于彦火火出見尊 因奉教之曰 以此与汝兄 時 乃可称曰 大鉤 踉䠙鉤 貧鉤 癡騃鉤 言訖 則可以後手投賜
将に帰らんと至り及ぶ 海神 乃ち鯛女を召す 其の口を探らば 即ち鉤を得る焉 於是 此の鉤を彦火火出見尊に進める 因て奉り之を教え曰く 此を以て汝の兄に与える 時 乃ち称す可く曰く 大鉤 踉䠙鉤 貧鉤 痴騃(ちがい、愚かな様子)鉤 言い訖える 則ち以て後手に投げ賜う可し
已而 召集鰐魚問之曰 天神之孫 今 当還去 儞等幾日之内 将作以奉致 時 諸鰐魚 各随其長短 定其日数 中有一尋鰐 自言 一日之内 則当致焉 故 即遣一尋鰐魚 以奉送焉
已而 鰐魚を召し集め之を問い曰く 天神の孫 今 当に還り去らん 儞(なんじ)等は幾日の内 将に奉り致すを以て作(な)さん 時 諸鰐魚 各が其の長短に随(したが)い 其の日数を定める 中に一尋鰐有り 自ら言う 一日の内 則と当に致す焉 故 即ち一尋鰐魚を遣わす 以て奉り送る焉
復進潮満瓊潮涸瓊二種宝物 仍教用瓊之法 又 教曰 兄作高田者 汝可作洿田 兄作洿田者 汝可作高田 海神 盡誠奉助如此矣
復た潮満瓊と潮涸瓊の二種の宝物を進める 仍ち瓊を用いる之法を教える 又 教え曰く 兄が高田を作るなら 汝は洿田を作る可し 兄が洿田を作るなら 汝は高田を作る可し 海神 誠の奉助を此の如く尽くす矣
時 彦火火出見尊 已帰来 一遵神教依 而 行之 其後 火酢芹命 日以襤褸 而 憂之曰 吾已貧矣 乃帰伏於弟 弟 時 出潮満瓊 即兄挙手溺困 還出潮涸瓊 則休而平復
時 彦火火出見尊 已に帰り来る 一に神の教に遵い依る 而 之を行う 其後 火酢芹命 日を以て 襤褸(ぼろ)ける 而 之を憂い曰く 吾は已に貧しい矣 乃ち帰り弟に伏する 弟 時 潮満瓊を出す 即ち兄は手を挙げ溺れ困る 還り潮涸瓊を出す 則ち休みて復た平らぐ
先是 豊玉姫謂天孫曰 妾已有娠也 天孫之胤 豈可産於海中乎 故 当産 時 必就君処 如為我造屋於海辺以相待者 是所望也 故 彦火火出見尊 已還鄕 即以鸕鷀之羽 葺為産屋 屋蓋未及合 豊玉姫 自馭大龜 将女弟玉依姫 光海来到 時 孕月已満 産期方急 由此 不待葺合 俓入居焉
先是 豊玉姫は天孫に謂い曰く 妾は已に娠める有り也 天孫の胤 豈(あに)海中に産む可し乎 故 当に産める 時 必ず君の処に就く 如(も)し我の為に海辺に屋を造り以て相い待つなら 是は望む所也 故 彦火火出見尊 已に郷に還る 即ち鸕鷀(ろじ)の羽を以て 産屋の為に葺く 屋蓋が未だ合うに及ばず 豊玉姫 自ら大亀に馭(の)る 女弟の玉依姫を将(ひき)いる 海を光らせ来て到る 時 孕む月は已に満ちる 産期は方に急ぐ 此の由 葺き合うを待たず 俓(まっすぐ)に入り居る焉
已而 従容謂天孫曰 妾方産 請 勿臨之 天孫 心怪其言竊覘之 則化為八尋大鰐 而 知天孫視其私屏 深懐慙恨 既兒生之後 天孫就而問曰 兒名何称者当可乎 対曰 宜號彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 言訖 乃渉海俓去 于時 彦火火出見尊 乃歌之曰
已而 従容に天孫に謂い曰く 妾は方に産まん 請う 之に臨む勿れ 天孫 心に其の言を怪しみ窃(ひそ)かに之を覘く 則ち八尋大鰐に化け為る 而 天孫が其の私屏を視くを知る 深く懐は慙恨 既に兒が生れる之後 天孫は就きて問い曰く 兒の名は何ぞ称するなら当に可ならん乎 対し曰く 號は彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊が宜しい 言い訖える 乃ち海を渉り俓(まっすぐ)に去る 于時 彦火火出見尊 乃ち之を歌い曰く
飫企都鄧利 軻茂豆勾志磨爾 和我謂禰志 伊茂播和素邏珥 誉能據鄧馭鄧母 ――沖(おき)つ鳥(とり) 鴨(かも)著(つ)く嶋(しま)に 我(わ)か率寝(いね)し 妹(いも)は忘(わす)らじ 世(よ)のことことも
亦云 彦火火出見尊 取婦人為乳母湯母及飯嚼湯坐 凡諸部備行 以奉養焉 于時 權用他婦 以乳養皇子焉 此世取乳母養兒之縁也 是後 豊玉姫 聞其兒端正 心甚憐重 欲復帰養 於義不可 故 遣女弟玉依姫 以来養者也 于時 豊玉姫命 寄玉依姫 而 奉報歌曰
亦た云う 彦火火出見尊 婦人を取り乳母と湯母及び飯嚼(いいかみ、飯を噛み赤子に与える役職)と湯坐(ゆえ、赤子を入浴させる役職)と為す 凡て諸部を備え行う 以て奉り養う焉 于時 権(かり、仮)に他婦を用いる 乳を以て皇子を養う焉 此の世の乳母を取り兒を養う之縁也 是後 豊玉姫 其の兒の端正なるを聞く 心は甚だ憐み重く 復た帰り養うを欲する 義に於いて可からず 故 女弟の玉依姫を遣わす 以て来て養う者也 于時 豊玉姫命 玉依姫を寄こす 而 奉り歌を報せ曰く
阿軻娜磨廼 比訶利播阿利登 比鄧播伊珮耐 企弭我誉贈比志 多輔妬勾阿利計利 ――赤玉(あかたま)の 光(ひかり)はありと 人(ひと)は言(い)へど 君(きみ)が装(よそ)ひし 貴(たふと)くありけり
凡此 贈答二首 號曰挙歌
海驢 此云美知 踉䠙鉤 此云須須能美膩 癡騃鉤 此云于樓該膩
凡て此れ 贈答二首 號は挙歌と曰く
海驢 此れ云う美知 踉䠙鉤 此れ云う須須能美膩(ススノミチ) 癡騃鉤 此れ云う于樓該膩(ウルケチ)
一書曰 兄火酢芹命 得山幸利 弟火折尊 得海幸利 云々 弟愁吟在海浜 時 遇鹽筒老翁 老翁問曰 何故愁若此乎 火折尊対曰 云々 老翁曰 勿復憂 吾将計之 計曰 海神所乗駿馬者 八尋鰐也 是竪其鰭背 而 在橘之小戸 吾当与彼者共策 乃将火折尊 共往而見之
一書に曰く 兄の火酢芹命 山幸の利を得る 弟の火折尊 海幸の利を得る 云々 弟は愁い吟(うめ)き海浜に在り 時 塩筒老翁に遇う 老翁は問い曰く 何故に此の若く愁う乎 火折尊は対し曰く 云々 老翁は曰く 復た憂う勿れ 吾は将に之を計る 計り曰く 海神が乗る所の駿馬は 八尋の鰐也 是は其の鰭背を竪(た)てる 而 橘の小戸に在り 吾は当に彼の者に与え共に策する 乃ち将に火折尊を共に往かん 而 之に見る
是時 鰐魚策之曰 吾者八日以後 方致天孫於海宮 唯 我王駿馬 一尋鰐魚 是当一日之内 必奉致焉 故 今 我帰 而 使彼出来 宜乗彼入海 入海之時 海中自有可怜小汀 随其汀而進者 必至我王之宮 宮門井上 当有湯津杜樹 宜就其樹上而居之 言訖即入海去矣
是時 鰐魚は之を策し曰く 吾は八日以後 方に天孫を海宮に致らす 唯 我が王の駿馬 一尋鰐魚 是は当に一日の内 必ず奉り致らす焉 故 今 我は帰る 而 彼を出て来さ使める 彼に乗り海に入るが宜しい 海に入る之時 海中は自ずと可怜(ウマシ)小汀有り 其の汀の随にて進むは 必ず我が王の宮に至る 宮門の井の上 当に湯津杜の樹有り 其の樹上に就きて之に居るが宜しい 言い訖え即ち海に入り去る矣
故 天孫随鰐所言留居 相待已八日矣 久之 方有一尋鰐来 因乗而入海 毎遵前鰐之教
故 天孫は鰐の言う所の随に留まり居る 相い待り已に八日矣 之に久しく 方に一つ尋鰐有り来る 因て乗りて海に入る 毎(つね)に前鰐の教えに遵(したが)う
時 有豊玉姫侍者 持玉鋺当汲井水 見人影在水底 酌取之不得 因以仰見天孫 即入告其王曰 吾謂我王獨能絶麗 今 有一客 弥復遠勝 海神聞之曰 試以察之 乃設三床請入 於是 天孫 於辺床則拭其両足 於中床則據其両手 於内床則寛坐於真床覆衾之上 海神見之 乃知是天神之孫 益加崇敬 云々 海神召赤女 口女問之 時 口女 自口出鉤 以奉焉 赤女即赤鯛也 口女即鯔魚也
時 豊玉姫の侍者有り 玉鋺を持ち当に井の水を汲まん 水底に人影の在るを見る 之を酌み取るは得ず 因て以て天孫を仰ぎ見る 即ち入り其の王に告げ曰く 吾は我が王獨り能く絶麗と謂(おも)う 今 一り客有り 弥(あまね)く復た遠く勝つ 海神は之を聞き曰く 試みに之を以て察する 乃ち三床を設け入るを請う 於是 天孫 辺床に於いて則ち其の両足を拭く 中床に於いて則ち其の両手を拠る 内床に於いて則ち真床覆衾の上に寛ぎ坐す 海神は之を見る 乃ち是は天神の孫と知る 益(ますます)崇敬を加える 云々 海神は赤女を召す 口女は之を問う 時 口女 口より鉤を出す 以て奉る焉 赤女は即ち赤鯛也 口女は即ち鰡魚(ボラ)也
時 海神 授鉤彦火火出見尊 因教之曰 還兄鉤 時 天孫則当言 汝生子八十連屬之裔 貧鉤 狭々貧鉤 言訖 三下唾 与之 又 兄入海釣 時 天孫宜在海浜 以作風招 風招即嘯也 如此則吾起瀛風辺風 以奔波溺惱
時 海神 鉤を彦火火出見尊に授ける 因て之を教え曰く 兄に鉤を還す 時 天孫は則ち当に言わん 汝の生む子の八十連属の裔 貧鉤 狭々貧鉤 言い訖え 三つ下に唾し 之を与える 又 兄が海に入り釣る 時 天孫は海浜に在るが宜しい 以て風招(かぜおき、風を招くまじない)を作る 風招は即ち嘯く也 此の如く則ち吾は瀛風辺風を起こす 以て波に奔(はし)り溺れ悩む
火折尊帰来 具遵神教 至及兄釣之日 弟居浜而嘯之 時 迅風忽起 兄則溺苦 無由可生 便遙請弟曰 汝久居海原 必有善術 願以救之 若活我者 吾生兒八十連屬 不離汝之垣辺 当為俳優之民也
火折尊は帰る来る 具に神の教えに遵(したが)う 兄の釣りの日に至るに及び 弟は浜に居て嘯く之 時 迅風が忽ち起こる 兄は則ち溺れ苦しむ 生ける可き由無し 便ち遥か弟に請い曰く 汝は久しく海原に居る 必ず善き術有り 救うを以て之を願う 若し我を活かすなら 吾の生む兒の八十連属 汝の垣辺を離れず 当に俳優の民と為る也
於是 弟嘯已停 而 風亦還息 故 兄知弟徳 欲自伏辜 而 弟有慍色 不与共言 於是 兄著犢鼻 以赭塗掌塗面 告其弟曰 吾汚身如此 永為汝俳優者 乃挙足踏行 學其溺苦之状 初潮漬足時則為足占 至膝時則挙足 至股時則走廻 至腰時則捫腰 至腋時則置手於胸 至頸時則挙手飄掌 自爾及今 曽無廃絶
於是 弟が嘯くは已に停まる 而 風も亦た還り息(やす)む 故 兄は弟の徳を知る 自ら伏し辜(つみ、重罪・磔)を欲する 而 弟は慍(うら)む色有り 共に言うを与えず 於是 兄は犢鼻を著し 赭を以て掌に塗り面に塗り 其の弟に告げ曰く 吾は此の如く身を汚す 永く汝の俳優者と為る 乃ち足を挙げ踏み行く 其の溺れ苦しみの状を学ぶ 初潮が足を漬ける 時 則ち足占を為す 膝に至る 時 則ち足を挙げる 股に至る 時 則ち走り廻る 腰に至る 時 則ち腰を捫(ひね)る 腋に至る 時 則ち手を胸に置く 頸に至る 時 則ち手を挙げ飄掌(たひろかす、手をひらひらさせる) 爾(それ)より今に及ぶ 曽(ま)して廃絶無し
先是 豊玉姫出来 当産 時 請皇孫曰 云々 皇孫不従 豊玉姫大恨之曰 不用吾言 令我屈辱 故 自今以往 妾奴婢至君処者 勿復放還 君奴婢至妾処者 亦勿復還 遂以真床覆衾及草 裹其兒置之波瀲 即入海去矣 此海陸不相通之縁也
先是 豊玉姫は出来る 当に産まん 時 皇孫に請い曰く 云々 皇孫は従わず 豊玉姫は大いに之を恨み曰く 吾の言を用いず 我に屈辱せ令める 故 今より以て往く 妾の奴婢が君の処に至るなら 勿ち復た放ち還る 君の奴婢が妾の処に至るなら 亦た勿ち復た還る 遂に真床覆衾及び草を以て 其の兒を裹(つつ)み之波の瀲(みぎわ)に置く 即ち海に入り去る矣 此は海陸が相通ぜぬ之縁也
一云 置兒於波瀲者非也 豊玉姫命 自抱而去 久之曰 天孫之胤 不宜置此海中 乃使玉依姫持之送出焉 初 豊玉姫別去 時 恨言既切 故 火折尊知其不可復会 乃有贈歌 已見上
八十連屬 此云野素豆豆企 飄掌 此云陀毗盧箇須
一に云う 波瀲に兒を置くは非ず也 豊玉姫命 自ら抱えて去る 之より久しく曰く 天孫の胤 此の海中に置くは宜しからず 乃ち玉依姫に之を持たせ送り出さ使める焉 初め 豊玉姫は別れ去る 時 恨み既に切るを言う 故 火折尊は其の復た会う可からずを知る 乃ち贈る歌有り 已に上に見る
八十連属 此れ云う野素豆豆企 飄掌 此れ云う陀毗盧箇須
鸕鶿草葺不合は母の妹の玉依姫を妃として五瀬、稲飯、三毛入野、神日本磐余彦ら四男を生む。
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 以其姨玉依姫為妃 生彦五瀬命 次稲飯命 次三毛入野命 次神日本磐余彦尊 凡生四男 久之 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊崩於西洲之宮 因葬日向吾平山上陵
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 其の姨(母方のおば)の玉依姫を以て妃と為す 生む 彦五瀬命 次に稲飯命 次に三毛入野命 次に神日本磐余彦尊 凡て四男を生む 之に久しく 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊は西洲の宮に崩じる 因て日向吾平山上陵に葬る
一書曰 先生彦五瀬命 次稲飯命 次三毛入野命 次狭野尊 亦號神日本磐余彦尊 所称狭野者 是年少時之號也 後撥平天下奄有八洲 故 復加號曰神日本磐余彦尊
一書に曰く 先ず彦五瀬命を生む 次に稲飯命 次に三毛入野命 次に狭野尊 亦の號は神日本磐余彦尊 狭野と称する所の者 是は年少時の號也 後の天下を平らぐを撥(かか)げ奄(たちま)ち八洲有り 故 復た號を加え曰く神日本磐余彦尊
一書曰 先生五瀬命 次三毛野命 次稲飯命 次磐余彦尊 亦號神日本磐余彦火火出見尊
一書に曰く 先ず五瀬命を生む 次に三毛野命 次に稲飯命 次に磐余彦尊 亦の號は神日本磐余彦火火出見尊
一書曰 先生彦五瀬命 次稲飯命 次神日本磐余彦火火出見尊 次稚三毛野命
一書に曰く 先ず彦五瀬命を生む 次に稲飯命 次に神日本磐余彦火火出見尊 次に稚三毛野命
国立国会図書館デジタルコレクション 日本書紀 : 国宝北野本. 巻第3
45才の神武は兄や子に、大業を成すために塩土老翁から聞いた東の美しい土地へ移住すると告げる。その地は国の中心で、すでに饒速日という者が降っているとも言う。子たちはこれに賛同する。
神日本磐余彦天皇 諱彦火火出見 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊第四子也 母曰玉依姫 海童之少女也 天皇生而明達 意礭如也 年十五 立為太子 長而娶日向国吾田邑吾平津媛為妃 生手硏耳命
神日本磐余彦天皇 諱は彦火火出見 彦波瀲武(ひこなぎさたけ)鸕鷀草葺不合尊の第四子也 母は曰く玉依姫 海童の少女也 天皇は生じて明達(めいたつ、聡明で道理をわきまえている) 意は礭(かく、水が激しく打ち叩く岩)の如く也 年は十五 立ちて太子と為る 長じて日向国吾田邑の吾平津媛を娶り妃と為す 手硏耳命を生む
及年卌五歲 謂諸兄及子等曰 昔 我天神 高皇産霊尊 大日孁尊 挙此豊葦原瑞穂国 而 授我天祖彦火瓊々杵尊 於是 火瓊々杵尊 闢天開披雲路 驅仙蹕 以戻止 是時 運屬鴻荒 時鍾草昧 故 蒙以養正治此西偏 皇祖皇考 乃神 乃聖 積慶重暉 多歷年所 自天祖降跡 以逮于今一百七十九万二千四百七十餘歲 而 遼邈之地 猶未霑於王澤 遂使 邑有君村 有長谷 自分疆用 相凌躒 抑又 聞於鹽土老翁 曰 東有美地 青山四周 其中亦 有乗天磐船而飛降者 余謂 彼地必当足以恢弘大業 光宅天下 蓋 六合之中心乎 厥飛降者 謂是饒速日歟 何不就而都之乎 諸皇子対曰 理実灼然 我亦恒以為念 宜早行之 是年也太歲甲寅
年は四十五歲に及び 諸兄及び子等に謂い曰く 昔 我が天神 高皇産霊尊 大日孁尊 此の豊葦原瑞穂国を挙げる 而 我の天祖の彦火瓊々杵尊に授ける 於是 火瓊々杵尊 天を闢(ひら)き雲路を開披(かいひ、封を開ける)し 仙蹕(せんぴつ、行幸の行列)を駆け 以て戻止(とど)まる 是時 運は鴻荒(こうこう、遥か昔)に属す 時は草昧(そうまい、未開で無秩序)に鍾(あつ)まる 故 蒙(もう、幼く道理に暗い)は養正(正道を養成する)を以て此の西に偏り治める 皇祖と皇考(亡父) 乃ち神 乃ち聖 慶を積み暉(輝き)を重ね 多く年所(年数)を歴る(へる、順に従い通る) 天より祖の降る跡 以て今一百七十九万二千四百七十余歲に逮(およ)ぶ 而 遼邈(遥かに遠い)の地 猶も未だ王沢(おうたく、帝王の恵み)に霑(うるお)わず 遂使(ツイセシメツ、自由にさせておく) 邑に君村(村君、むらぎみ、漁民の長)有り 長谷(ヒトコノカミ、首長)有り 自ら分ける疆(さかい、境界)を用い 相い(互いに)凌躒(りょうれき、踏みにじる)する 抑又(はたまた) 塩土老翁に聞く 曰く 東に美地有り 四周に青山 其の中に亦た 天磐船に乗りて飛び降りる者有り 余は謂(おも)う 彼の地は必ず当に大業を恢弘(かいこう、事業などを押し広める)するを以て足らん 天下光宅(天下は大きな家のように纏まる) 蓋 六合(くに、天地と四方で全世界)の中心乎 厥(その)飛び降りる者 是を饒速日と謂う歟 何ぞ就(むか)わずして都とする之乎 諸皇子は対し曰く 理実は灼然(イヤチコ、明らか) 我は亦た恒(つね)に為すを以て念(おも)う 早く行くが宜しい 是年也太歲甲寅
速吸之門で出会った珍彦に椎根津彦の名を与えて水先案内にする。筑紫国菟狭では一柱騰宮でもてなされ菟狭津媛を天種子命の妻にする。吉備国に高嶋宮を建て、ここで過ごす三年で舟と兵糧を整える。
其年冬十月丁巳朔辛酉 天皇親帥諸皇子 舟師東征 至速吸之門 時 有一漁人 乗艇而至 天皇招之 因問曰 汝誰也 対曰 臣是国神 名曰珍彦 釣魚於曲浦 聞天神子来 故 即奉迎 又問之曰 汝能為我導耶 対曰 導之矣 天皇 勅授漁人椎㰏末 令執而牽納於皇舟 以為海導者 乃特賜名 為椎根津彦 椎 此云辞毗 此即倭直部始祖也
其年冬十月丁巳朔辛酉 天皇は親(みずか)ら諸皇子を帥(ひき)いる 舟師(しゅうし、水軍)は東征 速吸之門に至る 時 一漁人有り 艇(小舟)に乗りて至る 天皇は之を招く 因て問い曰く 汝は誰也 対し曰く 臣は是れ国神 名は曰く珍彦 曲浦(きょくほ)に魚を釣る 天神の子が来ると聞く 故 即ち奉迎する 又た問い之を曰く 汝は我の導きと為るに能う耶 対し曰く 之を導く矣 天皇 勅し漁人に椎の㰏(竿)の末を授け 執ら令めて牽(引)き皇舟に納める 以て海の導者と為す 乃ち特に名を賜り 椎根津彦と為す 椎 此れ云う辞毗 此れ即ち倭直部の始祖也
行至筑紫国菟狭 菟狭者地名也 此云宇佐 時 有菟狭国造祖 号曰菟狭津彦菟狭津媛 乃於菟狭川上 造一柱騰宮而奉饗焉 一柱騰宮 此云阿斯毗苔徒鞅餓離能宮 是時 勅以菟狭津媛 賜妻之於侍臣天種子命 天種子命 是中臣氏之遠祖也
筑紫国菟狭に行き至る 菟狭は地名也 此れ云う宇佐 時 菟狭国造の祖有り 号は曰く菟狭津彦と菟狭津媛 乃ち菟狭川上に 一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)を造りて饗を奉る焉 一柱騰宮 此れ云う阿斯毗苔徒鞅餓離能宮 是時 勅し菟狭津媛を以て 侍臣の天種子命に於ける之の妻を賜る 天種子命 是は中臣氏の遠祖也
十有一月丙戌朔甲午 天皇至筑紫国岡水門 十有二月丙辰朔壬午 至安藝国居于埃宮
十有一月丙戌朔甲午 天皇は筑紫国岡水門に至る 十有二月丙辰朔壬午 安芸国に至り埃宮に居する
乙卯年春三月甲寅朔己未 徙入吉備国 起行宮以居之 是曰髙嶋宮 積三年間 脩舟檝 蓄兵食 将欲以一挙而平天下也
乙卯年春三月甲寅朔己未 吉備国に徙(うつ)り入る 行宮を起こし以て之に居する 是れ曰く高嶋宮 三年を積む間に 舟檝(しゅうしゅう、舟と舵)を修める 兵食を蓄える 将に一挙を以てして天下を平らぐを欲する也
難波の崎から奔潮に乗って浪速国の白肩之津に到る。龍田への道が険しいので、引き返して東の生駒山を越えていこうとしたところ、長髄彦の迎撃を受け、五瀬は流れ矢を受ける。神武は、日神の子孫が東へ向け進軍することが間違いだとして、兵を引き、日の方角から攻めることを決める。
戊午年春二月丁酉朔丁未 皇師遂東 舳艫相接 方到難波之碕 会有奔潮太急 因以名為浪速国 亦曰浪花 今謂難波訛也 訛此云与許奈磨盧 三月丁卯朔丙子 遡流而上 径至河内国草香邑青雲白肩之津
戊午年春二月丁酉朔丁未 皇師(こうし、皇軍)は遂に東 舳艫(じくろ、船首と船尾)相い接ぎ 方(まさ)に難波の崎(みさき)に到る 奔潮(はやしお)有り 太く急く会(あつま)る 因て以て名を浪速国と為す 亦た曰く浪花 今に謂う難波は訛也 訛 此れ云う与許奈磨盧 三月丁卯朔丙子 遡り流れて上る 径(まっすぐ)に河内国草香邑青雲の白肩之津に至る
夏四月丙申朔甲辰 皇師勒兵 步趣龍田 而 其路狭嶮 人不得並行 乃還更欲東踰膽駒山 而 入中洲 時 長髄彦聞之曰 夫天神子等所以来者 必将奪我国 則盡 起屬兵
夏四月丙申朔甲辰 皇師(皇軍)は兵を勒する(制御する) 步き龍田に趣(赴)く 而 其の路は狭く嶮(険)しい 人は並行し得ず 乃ち還り更に東の膽駒山(生駒山)を踰(越)えるを欲する 而 中洲に入る 時 長髄彦は之を聞き曰く 夫れ天神の子等の来る所以は 必ず将に我が国を奪わん 則ち盡(尽、ことごと)く 属兵(手下の兵)を起こす
徼之於孔舍衞坂 与之会戰 有流矢 中五瀬命肱脛 皇師不能進戰 天皇憂之 乃運神策於沖衿曰 今我 是日神子孫 而 向日征虜 此逆天道也 不若 退還示弱 礼祭神祇 背負日神之威 随影壓躡 如此 則曽不血刃 虜必自敗矣 僉曰 然
孔舍衞坂に於ける徼(国境)之 之と会戦する 流矢有り 五瀬命の肱脛(ひじはぎ)に中る 皇師(皇軍)は進み戦うは能わず 天皇は之を憂う 乃ち神策を沖衿(拘りない胸中)に運び曰く 今の我 是は日神の子孫 而 日に向かい虜(敵)を征す 此れは天道に逆らう也 不若(~のほうがよい) 退き還り弱く示す 神祇を礼祭する 日神の威を背負い 影の随に壓躡(オソヒフ、襲う) 如此 則ち刃に血を曽(かさ)ねず 虜(敵)は必ず自ずと敗れる矣 僉(みな)曰く 然り
於是 令軍中曰且停 勿須復進 乃引軍還 虜亦不敢逼 却至草香之津 植盾而為雄誥焉 雄誥 此云烏多鶏縻 因改号其津曰盾津 今云蓼津訛也
於是 軍中に曰く且つ停め令める 勿ち須(すべか)らく復(もど)り進む 乃ち軍を引き還(返)す 虜(敵)は亦た敢えて逼(せま)らず 却(かえ)り草香之津に至る 盾を植えて雄誥(おたけび)を為す焉 雄誥 此れ云う烏多鶏縻 因て其の津の号を改め曰く盾津 今に云う蓼津は訛也
初 孔舍衞之戰 有人隠於大樹而得兔難 仍指其樹曰 恩如母 時人 因号其地曰母木邑 今云飫悶廼奇訛也
初め 孔舍衞の戦 大樹に隠れて難を兔れ得た人有り 仍て其の樹を指して曰く 恩は母の如し 時の人 因み其の地を号し曰く母木邑 今に云う飫悶廼奇は訛也
五瀬は矢傷が悪く、悔しさに雄叫びして、竈山にて身罷る。名草戸畔を討ったのち暴風に遭い、稲飯は嘆いて海に入り鋤持神になる。三毛入野も恨みごとを言って常世鄕へ往く。
五月丙寅朔癸酉 軍至茅淳山城水門 亦名山井水門 茅淳 此云智怒 時 五瀬命矢瘡痛甚 乃撫剱而雄誥之曰 撫剱 此云都盧耆能多伽弥屠利辞魔屢 慨哉 大丈夫 慨哉 此云宇黎多棄伽夜 被傷於虜手 将不報而死耶 時人 因號其処曰雄水門 進到于紀伊国竈山 而 五瀬命薨于軍 因葬竈山
五月丙寅朔癸酉 軍は茅淳山の城水門に至る 亦の名は山井水門 茅淳 此れ云う智怒 時 五瀬命は矢瘡が甚だ痛く 乃ち剱を撫でて雄誥(おたけ)び之を曰く 撫剱 此れ云う都盧耆能多伽弥屠利辞魔屢 慨(憤り嘆く)哉 大丈夫(マスラオ)が 慨哉 此れ云う宇黎多棄伽夜 虜(敵)の手に於ける傷を被むる 将に報いずして死さん耶 時に人 因て其処の號は曰く雄水門 紀伊国竈山に進み到る 而 五瀬命は軍に薨る 因て竈山に葬る
六月乙未朔丁巳 軍至名草邑 則誅名草戸畔者 戸畔 此云妬鼙 遂越狭野而到熊野神邑 且登天磐盾 仍引軍漸進海中 卒遇暴風 皇舟漂蕩 時 稲飯命 乃歎曰 嗟乎 吾祖則天神 母則海神 如何厄我於陸 復厄我於海乎 言訖 乃抜剱入海 化為鋤持神 三毛入野命 亦恨之曰 我母及姨 並是海神 何為起波瀾 以灌溺乎 則踏浪秀而往乎 常世鄕矣
六月乙未朔丁巳 軍は名草邑に至る 則ち名草戸畔なる者を誅する 戸畔 此れ云う妬鼙 遂に狭野を越えて熊野神の邑に到る 且つ天磐盾に登る 仍て軍を引き漸(ようや)く海中を進む 卒(にわか)に暴風に遇(あ)う 皇舟は漂蕩する 時 稲飯命 乃ち歎(嘆)き曰く 嗟乎(ああ) 吾の祖は則ち天神 母は則ち海神 如何ぞ我を陸に厄す 復た我を海にも厄す乎 言い訖(お)え 乃ち剱を抜き海に入る 鋤持神(さいもちのかみ)に化け為る 三毛入野命 亦た恨み之を曰く 我の母及び姨(おば) 並べて是は海神 何為(なにすれぞ、どうして)波瀾を起こす 以て灌ぎ溺らす乎 則ち浪の秀(穂)を踏みて往く乎 常世鄕へ矣
神武と手研耳の率いる軍は丹敷戸畔を誅したとき神の毒気に中り昏倒する。高倉下の夢に現れた天照と武甕雷は相談して、韴霊剣を下ろし高倉下に託す。高倉下が剣を取り進むと、神武は眠りから目覚め、兵も起きる。
天皇獨与皇子手硏耳命 帥軍而進 至熊野荒坂津 亦名丹敷浦 因誅丹敷戸畔者 時 神吐毒気 人物咸瘁 由是 皇軍不能復振 時 彼処有人 号曰熊野高倉下 忽夜夢 天照大神謂武甕雷神曰 夫葦原中国猶聞喧擾之響焉 聞喧擾之響焉 此云左揶霓利奈離 宜汝更往而征之
天皇独りと皇子の手研耳命 軍を帥いて進む 熊野荒坂津に至る 亦の名を丹敷浦 因て丹敷戸畔なる者を誅する 時 神が毒気を吐く 人も物も咸(あまね)く瘁(やつ)れる 由是 皇軍も復た振るうに能わず 時 彼処に人有り 号は曰く熊野高倉下 忽ち夜の夢にて 天照大神は武甕雷神に謂い曰く 夫れ葦原中国に猶も喧擾(けんじょう、騒がしい)の響きを聞く焉 聞喧擾之響焉 此れ云う左揶霓利奈離 汝が更に往きて之を征するが宜しい
武甕雷神対曰 雖予不行 而 下予平国之剱 則国将自平矣 天照大神曰 諾 諾 此云宇毎那利 時 武甕雷神 登謂高倉下曰 予剱 号曰韴霊 韴霊 此云赴屠能瀰哆磨 今 当置汝庫裏 宜取而献之天孫 高倉下曰 唯々 而 寤之明旦 依夢中教 開庫視之 果有落剱倒立於庫底板 即取 以進之 于時 天皇適寐 忽然 而 寤之曰 予何長眠若此乎 尋 而 中毒士卒悉復醒起
武甕雷神は対し曰く 予が行かずと雖も 而 予が国を平らぐ之剱を下す 則ち国は将に自ずと平がん矣 天照大神は曰く 諾 諾 此れ云う宇毎那利 時 武甕雷神 登(スナワチ)高倉下に謂い曰く 予の剱 号は曰く韴霊 韴霊 此れ云う赴屠能瀰哆磨 今 当に汝の庫裏に置かん 取りて之を天孫に献ずるが宜しい 高倉下は曰く 唯々 而 之の明旦(みょうたん、明朝)に寤(さ)める 夢の中の教えに依り 庫を開け之を視る 果たして落ちた剱は庫の底板に倒立して有り 即ち取る 以て之を進める 于時 天皇は適(ヨク)寐(ね)る 忽然 而 寤(さ)め之を曰く 予は何ぞ此の若く長く眠る乎 尋ねる 而 中毒の士卒は悉く復た醒め起きる
険しい山道に立往生していたところ、神武の夢に現れた天照が、頭八咫烏を遣わすので導きにしろと言う。この祥しに従い山を抜ける。先導した日臣の名を道臣に改める。
既而 皇師欲趣中洲 而 山中嶮絶 無復可行之路 乃棲遑 不知其所跋渉 時 夜夢 天照大神訓于天皇曰 朕今 遣頭八咫烏 宜以為鄕導者 果有頭八咫烏 自空翔降 天皇曰 此烏之来 自叶祥夢 大哉 赫矣 我皇祖天照大神 欲以助成基業乎
既而 皇師(皇軍)は中洲に趣くを欲する 而 山中は嶮絶(けんぜつ) 復(かえ)り行ける之路は無し 乃ち棲遑(せいこう、落ち着かず慌ただしい) 其所の跋渉(ばっしょう、山を越え水を渡る)は知れず 時 夜の夢にて 天照大神は天皇に訓じ曰く 朕は今 頭八咫烏を遣わす 以て鄕導(きょうどう、先頭に立って導く)の者と為すが宜しい 果たして頭八咫烏有り 空より翔び降る 天皇は曰く 此烏の来る 自ずと夢の祥(きざ)しが叶う 大いなる哉 赫(さかん)なる矣 我が皇祖の天照大神 助けを以て基業(きぎょう、基礎になる業績)を成すを欲する乎
是時 大伴氏之遠祖日臣命 帥大来目 督将元戎 踏山啓行 乃尋烏所向 仰視而追之 遂達于菟田下縣 因号其所 至之処曰菟田穿邑 穿邑 此云于介知能務羅 于時 勅誉日臣命曰 汝忠而且勇 加 能有導之功 是以 改汝名為道臣
是時 大伴氏遠祖の日臣命 大来目を帥(ひき)いる 督将(イクサノキミ、戦の君、総司令官)の元戎(オホツワモノ) 山を踏み啓行(けいこう、先導する)する 乃ち烏の向かう所を尋ね 仰ぎ視て之を追う 遂に菟田下縣に達する 因て其所を号する 至る之処を曰く菟田穿邑 穿邑 此れ云う于介知能務羅 于時 勅し日臣命を誉め曰く 汝は忠にして且つ勇 加(マタ) 能く導きの功有り 是以 汝の名を改め道臣と為す
神武の招きに弟猾は参じたが兄猾は応じず、新宮に仕掛けた罠に嵌めようとした。弟猾の密告でこれを知り、遣わした道臣が、兄猾の罠に兄猾を追い込んで誅する。神武は近辺をまわり、地元の神に会って名を聞く。
秋八月甲午朔乙未 天皇使徴兄猾及弟猾者 猾 此云字介志 是両人 菟田縣之魁帥者也 魁帥 此云比鄧誤廼伽瀰 時 兄猾不来 弟猾即詣至 因拜軍門 而 告之曰 臣兄々猾 之為逆状也 聞天孫且到 即起兵 将襲望 見皇師之威 懼不敢敵 乃潜伏其兵 權作新宮 而 殿内施機 欲因請饗 以作難 願知此詐 善為之備
秋八月甲午朔乙未 天皇は兄猾及び弟猾なる者を徴(め)さ使める 猾 此れ云う字介志 是の両人 菟田縣の魁帥(ヒトコノカミ)なる者也 魁帥 此れ云う比鄧誤廼伽瀰 時 兄猾は来ず 弟猾は即ち詣で至る 因て軍門に拝する 而 之を告げ曰く 臣の兄の兄猾 之は逆状(さかしま)を為す也 天孫が且(まさ)に到るを聞く 即ち兵を起こし 将に襲わんと望む 皇師(皇軍)の威を見る 懼(おそ)れ敢えて敵せず 乃ち其の兵を潜伏する 權(はか)り新宮を作る 而 殿内に機を施す 因て饗を請うを欲する 以て難を作る 此の詐(いつわり)を知るを願う 善く之に備え為せ
天皇 即遣道臣命 察其逆状 時 道臣命 審知有賊害之心 而 大怒 誥嘖之曰 虜尒所 造屋 尒自居之 尒 此云飫例 因案剱 彎弓 逼令催入 兄猾獲罪於天 事無所辞 乃自踏機而壓死 時 陳其屍 而 斬之 流血沒踝 故 号其地曰菟田血原 已而 弟猾大設牛酒 以勞饗皇師焉 天皇以其酒宍 班賜軍卒 乃為御謠之曰 謠 此云宇哆預瀰
天皇 即ち道臣命を遣わす 其の逆状(さかしま)を察する 時 道臣命 審(つまびらか)に賊害の心有るを知る 而 大いに怒る 誥げ嘖(こ、叱責する)り之を曰く 虜尒所(イヤシキヤツコカ) 造れる屋 尒(なんじ)自ら之に居よ 尒 此れ云う飫例 因て案剱(ツルギノタカミトリシハリ) 弓を彎(ひ)き 令し催(うなが)し入るを逼(せま)る 兄猾は罪を天に獲(え)る 事無き所を辞す 乃ち自ら機を踏みて圧死する 時 其の屍を陳する 而 之を斬る 流血に踝が没する 故 其の地の号を曰く菟田血原 已而 弟猾は大いに牛酒を設ける 以て皇師(皇軍)を饗し労う焉 天皇は其の酒宍(酒と肉)を以て 軍卒に班(わか)ち賜う 乃ち御謠を為し之を曰く 謠 此れ云う宇哆預瀰
于儾能多伽機珥 辞藝和奈陂蘆 和餓末菟夜 辞藝破佐夜羅孺 伊殊區波辞 區旎羅佐夜離 固奈瀰餓 那居波佐麼 多智曽麼能 未廼那鶏句塢 居気辞被惠祢 宇破奈利餓 那居波佐麼 伊智佐介幾 未廼於朋鶏句塢 居気儾被惠祢 ――兎田の高城(たかき)に 鴫縄(しぎわな)張る 我(わ)が待つや 鴫は障(さや)らじ いすくはし 鷹等(くぢら)障(さや)り 古妻(こなみ)が 肴乞(なこ)はさば 立ち蕎麦の 実の無けくを 幾多(いけた)ひゑね 後妻(うはなり)が 肴乞はさば 斎(い)ち賢木(さかき) 実の多けくを 幾多ひゑね
是謂来目歌 今楽府奏此歌者 猶有手量大小及音聲巨細 此古之遺式也
是を来目歌と謂う 今の楽府の奏でる此の歌は 猶も手の量りの大小及び音声の巨細有り 此れは古の遺す式也
是後 天皇欲省吉野之地 乃従菟田穿邑 親率軽兵巡幸焉 至吉野 時 有人出自井中 光而有尾 天皇問之曰 汝何人 対曰 臣 是国神 名為井光 此則吉野首部始祖也 更少進 亦有尾而披磐石而出者 天皇問之曰 汝何人 対曰 臣 是磐排別之子 排別 此云飫時和句 此則吉野国樔部始祖也 及縁水西行 亦有作梁取魚者 梁 此云揶奈 天皇問之 対曰 臣 是苞苴擔之子 苞苴擔 此云珥倍毛菟 此則阿太養鸕部始祖也
是後 天皇は吉野の地を省るを欲する 乃ち菟田穿邑従(よ)り 親(みずか)ら軽兵を率い巡幸する焉 吉野に至る 時 井の中より出る人有り 光りて尾有り 天皇は之を問い曰く 汝は何人 対し曰く 臣は是れ国神 名は井光と為す 此れ則ち吉野首部の始祖也 更に少し進む 亦た尾有りて磐石を披りて出る者 天皇は之を問い曰く 汝は何人 対し曰く 臣は是れ磐排別の子 排別 此れ云う飫時和句 此れ則ち吉野国樔部の始祖也 及び水(川や湖や沼)の縁を西へ行く 亦た梁を作り魚を取る者有り 梁 此れ云う揶奈 天皇は之を問う 対し曰く 臣は是れ苞苴擔の子 苞苴擔 此れ云う珥倍毛菟 此れ則ち阿太養鸕部の始祖也
国見岳を八十梟帥、女坂を女軍、男坂を男軍、墨坂を焃炭、磐余邑を兄磯城に塞がれて通れず、神武は祈り、天神のお告げを夢に見る。また弟猾も、磯城八十梟帥と赤銅八十梟帥を名指ししてお告げに沿う発言をする。お告げに従い、椎根津彦を翁に、弟猾を婆に仮装させ、香久山の土を取りに行かせる。その土で平瓮や手抉を作り、天神地祇を祀る。己に高皇産霊を降ろした神武は、道臣を祭主に定め、厳媛の名を与える。そして八十梟帥を討ち、神武が歌う。
九月甲子朔戊辰 天皇陟彼菟田高倉山之巓 瞻望域中 時 国見岳上 則有八十梟帥 梟帥 此云多稽屢 又 於女坂置女軍 男坂置男軍 墨坂置焃炭 其女坂男坂墨坂之号 由此而起也 復 有兄磯城軍 布満於磐余邑 磯 此云志 賊虜所據 皆是要害之地 故 道路絶塞 無処可通 天皇悪之
九月甲子朔戊辰 天皇は彼の菟田の高倉山の巓(いただき)に陟(のぼ)る 域中を瞻望(せんぼう、遠く見渡す)する 時 国見岳の上 則ち八十梟帥有り 梟帥 此れ云う多稽屢 又 女坂に女軍を置く 男坂に男軍を置く 墨坂に焃炭(おこしずみ)を置く 其の女坂男坂墨坂の号 此の由にして起こる也 復た 兄磯城軍有り 磐余邑に布し満ちる 磯 此れ云う志 賊なる虜(敵)の拠る所 皆是れ要害の地 故 道路を絶に塞ぐ 通れる処無し 天皇は之を悪(にく)む
是夜 自祈而寝 夢有天神訓 之曰 宜取天香山社中土 香山 此云介遇夜摩 以造天平瓮八十枚 平瓮 此云毗邏介 幷造厳瓮 而 敬祭天神地祇 厳瓮 此云怡途背 亦為厳呪詛 如此 則虜自平伏 厳呪詛 此云怡途能伽辞離
是の夜 自ら祈りて寝る 夢に天神の訓有り 之を曰く 天香山社中の土を取るが宜しい 香山 此れ云う介遇夜摩 以て天平瓮八十枚を造る 平瓮 此れ云う毗邏介 幷せ厳瓮を造る 而 天神地祇を敬い祭る 厳瓮 此れ云う怡途背 亦た厳呪詛を為す 如此 則ち虜(敵)は自ずと平れ伏す 厳呪詛 此れ云う怡途能伽辞離
天皇 祗承夢訓 依以将行 時 弟猾又奏曰 倭国磯城邑 有磯城八十梟帥 又高尾張邑 或本云葛城邑也 有赤銅八十梟帥 此類皆欲与天皇距戰 臣 竊為天皇憂之 宜今当取天香山埴 以造天平瓮而祭天社国社之神 然後撃虜 則易除也
天皇 夢の訓を祗(つつし)み承ける 依(より)て以て将に行わん 時 弟猾が又奏し曰く 倭国磯城邑 磯城八十梟帥有り 又 高尾張邑 或る本に云う葛城邑也 に赤銅八十梟帥有り 此の類は皆が天皇と距(へだた)り戦を欲する 臣 窃(ひそ)かに天皇の為に之を憂う 今当に天香山の埴を取らんが宜しい 以て天平瓮を造りて天社国社の神を祭る 然る後に虜(敵)を撃つ 則ち易く除く也
天皇 既以夢辞為吉兆 及聞弟猾之言 益喜於懐 乃使椎根津彦着弊衣服及蓑笠 為老父貌 又 使弟猾被箕 為老嫗貌 而 勅之曰 宜汝二人到天香山潜取其巓土 而 可来旋矣 基業成否 当以汝為占 努力慎歟
天皇 既に夢の辞を以て吉兆と為す 弟猾の言を聞き及び 益(ますます)懐に喜ぶ 乃ち椎根津彦に弊衣服(ぼろぼろの衣服)及び蓑笠を着せ使む 老父の貌と為す 又 弟猾に箕を被せ使む 老嫗(おうな)の貌と為す 而 勅し之を曰く 汝二人は天香山に到り潜み其の嶺の土を取るが宜しい 而 旋(かえ)り来る可し矣 基業(基礎になる事業)の成否 当に汝を以て占と為さん 努力を慎む歟
是時 虜兵満路 難以往還 時 椎根津彦 乃祈之曰 我皇当能定此国者 行路自通 如不能者 賊必防禦 言訖径去 時 群虜見二人 大咲之曰 大醜乎 大醜 此云鞅奈瀰尒句 老父老嫗 則相与闢道使行 二人得至其山 取土来帰
是時 虜(敵)兵は路に満ちる 往き還りを以て難し 時 椎根津彦 乃ち祈り之を曰く 我の皇(すめらぎ)が当に此の国を定めるに能うなら 行く路は自ずと通じる 如(も)し能わざるなら 賊が必ず防御する 言い訖(お)え径(ただちに)去る 時 虜(敵)の群れは二人を見る 大いに咲(わら)い之を曰く 大いに醜し乎 大醜 此れ云う鞅奈瀰尒句 老父老嫗 則ち相い与(とも)に道を闢(ひら)き行かせ使む 二人は其の山へ至り得る 土を取り帰り来る
於是 天皇甚悦 乃以此埴造作 八十平瓮天手抉八十枚 手抉 此云多衢餌離 厳瓮 而 陟于丹生川上 用祭天神地祇 則於彼菟田川之朝原 譬 如水沫 而 有所呪着也 天皇 又 因祈之曰 吾今当以八十平瓮 無水造飴 飴成 則吾必不假鋒刃之威 坐平天下 乃造飴 飴即自成
於是 天皇は甚だ悦ぶ 乃ち此の埴を以て造作する 八十平瓮天手抉八十枚 手抉 此れ云う多衢餌離(たくじり) 厳瓮 而 丹生川上に陟(のぼ)る 用い天神地祇を祭る 則ち彼の菟田川の朝原に 譬(たと)えば 如(も)し水が沫(しぶ)く 而 呪いの着く所有り也 天皇 又 因て祈り之を曰く 吾は今当に八十平瓮を以て 水無く飴を造らん 飴が成る 則ち吾は必ず鋒刃(ほうじん)の威を假(仮)りず 天下に坐し平らぐ 乃ち飴を造る 飴は即ち自ずと成る
又 祈之曰 吾今 当以厳瓮 沈于丹生之川 如魚無大小悉酔而流 譬猶 柀葉之浮流者 柀 此云磨紀 吾必能定此国 如 其不尒 終無所成 乃沈瓮於川 其口向下 頃之 魚皆浮出 随水噞喁
又 祈り之を曰く 吾は今 当に厳瓮を以て 丹生の川に沈めん 如(も)し魚が大小無く悉く酔いて流れる 譬(たと)えば猶 柀(まき)の葉の浮き流れるは 柀 此れ云う磨紀 吾は必ず此の国を定めるに能う 如(もし) 其れ尒(しか)らず 成す所無く終わる 乃ち瓮を川に沈める 其の口は下を向く 頃之(これをしばらくして) 魚は皆浮き出る 水の随に噞喁(けんぐう、魚が呼吸のため水面に口を出す)する
時 椎根津彦 見而奏之 天皇大喜 乃抜取丹生川上之五百箇真坂樹 以祭諸神 自此始 有厳瓮之置也 時 勅道臣命 今 以高皇産霊尊 朕親作顕斎 顕斎 此云于図詩怡破毗 用汝為斎主 授以厳媛之号 而 名其所置埴瓮為厳瓮 又 火名為厳香来雷 水名為厳罔象女 罔象女 此云瀰菟破廼迷 糧名為厳稲魂女 稲魂女 此云于伽能迷 薪名為厳山雷 草名為厳野椎
時 椎根津彦 見て之を奏じる 天皇は大いに喜ぶ 乃ち丹生川上の五百箇(いおつ)真坂樹を抜き取る 以て諸神を祭る 此より始まる 之に置く厳瓮有り也 時 道臣命に勅する 今 高皇産霊尊を以て 朕は親(みずか)ら顕斎(うつしいわい、人間を神に見立てる)を作る 顕斎 此れ云う于図詩怡破毗 汝を用い斎主と為す 以て厳媛の号を授ける 而 埴瓮を置く其所の名を厳瓮と為す 又 火の名を厳香来雷と為す 水の名を厳罔象女と為す 罔象女 此れ云う瀰菟破廼迷(みつはのめ) 糧の名を厳稲魂女と為す 稲魂女 此れ云う于伽能迷 薪の名を厳山雷と為す 草の名を厳野椎と為す
冬十月癸巳朔 天皇嘗其厳瓮之粮 勒兵而出 先撃八十梟帥於国見丘 破斬之 是役也 天皇志存必克 乃為御謠之曰
冬十月癸巳朔 天皇は其の厳瓮の糧を嘗(な)める 兵を勒(ととの)えて出る 先(ま)ず国見丘に於いて八十梟帥を撃つ 之を破り斬る 是は役(えき、戦争)也 天皇の志は必ず克(か)つに存り 乃ち御謠を為し之を曰く
伽牟伽筮能 伊斉能于瀰能 於費異之珥夜 異波臂茂等倍屢 之多儾瀰能 之多儾瀰能 阿誤豫 阿誤豫 之多太瀰能 異波比茂等倍離 于智弖之夜莽務 于智弖之夜莽務 ――神風(かむかぜ)の 伊勢(いせ)の海(うみ)の 大石(おほいし)にや い這(は)ひ廻(もとほ)る 細螺(しただみ)の 細螺の 吾子(あご)よ 吾子よ 細螺の い這ひ廻り 撃(う)ちてし止(や)まむ 撃ちてし止まむ
謠意 以大石喩其国見丘也
謠の意 大石を以て其の国見丘に喩える也
道臣に、敵の残党を集めて酒宴を開き、酔ったところを始末するように指示する。その宴で道臣の歌を合図に残党を切る。上手くいって兵士が二首歌う。歌うところまでが指令だ。神武は敵襲を危惧して移動を決める。
既而 餘黨猶繁 其情難測 乃顧勅道臣命 汝 宜帥大来目部 作大室於忍坂邑 盛設宴饗 誘虜而取之 道臣命 於是 奉密旨 掘窨於忍坂 而 選我猛卒 与虜雜居 陰期之曰 酒酣之後 吾則起歌 汝等聞吾歌聲 則一時刺虜 已而 坐定酒行 虜不知我之有陰謀 任情径酔 時 道臣命 乃起而歌之曰
既而 余りの党(輩)は猶も繁る 其の情は測り難い 乃ち顧(ヒソカ)に道臣命に勅する 汝 大来目部を帥(ひき)いるが宜しい 大室を忍坂邑に作り 宴饗を盛んに設け 虜(敵)を誘いて之を取る 道臣命 於是 密旨を奉る 忍坂に窨(室、むろ)を掘る 而 我猛る卒を選ぶ 虜(敵)と雑居する 陰の期に之を曰く 酒の酣(たけなわ)の後 吾は則ち歌を起こす 汝等は吾の歌声を聞く 則ち一時に虜(敵)を刺す 已而 坐は定まり酒を行う 虜(敵)は我の陰謀有るを知らず 情に任せ径(まっすぐなみち)なりに酔う 時 道臣命 乃ち起(た)ちて歌い之を曰く
於佐箇廼 於朋務露夜珥 比苔瑳破而 異離烏利苔毛 比苔瑳破而 枳伊離烏利苔毛 瀰都瀰都志 倶梅能固邏餓 勾騖都都伊 異志都々伊毛智 于智弖之夜莽務 ――忍坂(おさか)の 大室屋(おほむろや)に 人多(ひとさは)に 入(い)り居(を)りとも 人多に 来入(きい)り居(を)りとも みつみつし 来目(くめ)の子達(こら)が 頭椎(くぶつつ)い 石椎(いしつつ)い持(も)ち 撃(う)ちてし止(や)まむ
時 我卒聞歌 倶抜其頭椎剱 一時殺虜 虜無復噍類者 皇軍大悦 仰天而咲 因歌之曰
時 我卒は歌を聞く 倶(とも)に其の頭椎剱(かぶつちのけん、柄頭が塊状の刀剣)を抜く 一時に虜(敵)を殺す 虜(敵)は復た噍類者(ノマルモノ)無し 皇軍は大いに悦ぶ 天を仰ぎて咲(わら)う 因て之を歌い曰く
伊莽波豫 伊莽波豫 阿阿時夜塢 伊莽儾而毛 阿誤豫 伊莽儾而毛 阿誤豫 ――今(いま)はよ 今はよ ああしやを 今だにも 吾子(あご)よ 今だにも 吾子よ
今 来目部歌而後大哂 是其縁也 又 歌之曰
今 来目部は歌いて後に大いに哂う 是は其の縁也 又 歌い之を曰く
愛瀰詩烏 毗儾利 毛々那比苔 比苔破易陪廼毛 多牟伽毗毛勢儒 ――夷(えみし)を 一人(ひだり) 百(もも)な人(ひと) 人は云(い)へども 抵抗(たむかひ)もせず
此皆 承密旨而歌之 非敢自專者也 時 天皇曰 戰勝而無驕者 良将之行也 今 魁賊已滅 而 同悪者 匈々十数群 其情不可知 如何久居一処 無 以制變 乃徙営於別処
此れ皆 密旨を承けて之を歌う 敢えて自専(じぜん、独断で処理する)する者に非ず也 時 天皇は曰く 戦に勝ちて驕る者無し 良将の行い也 今 魁賊は已に滅ぶ 而 同じく悪者 匈々(きょうきょう、さわがしい)十数群 其の情は知る可からず 如何(いかん)久しく一処に居る 無し 制を以て変える 乃ち別の処に徙(うつ)し営む
兄磯城は召されても応じず、使者の八咫烏を射ようとした。弟磯城は応じて、兄に戦う意思があると告げる。弟に兄を説得させたがこれにも応じない。椎根津彦の献策により女坂と墨坂を攻略して、神武は兵を労い歌う。墨坂を越えた男軍の梟帥と兄磯城を誅する。
十有一月癸亥朔巳己 皇師大挙将攻磯城彦 先遣使者 徴兄磯城 兄磯城不承命 更遺頭八咫烏召之 時 烏到其営 而 鳴之曰 天神子召汝 怡奘過 怡奘過 過 音倭 兄磯城忿之曰 聞天壓神至 而 吾為慨憤 時 奈何 烏鳥若此悪鳴耶 壓 此云飫蒭 乃彎弓射之 烏即避去
十有一月癸亥朔巳己 皇師(皇軍)は将に磯城彦を攻めんと大挙する 先ず使者を遣わし 兄磯城を徴(め)す 兄磯城は命を承けず 更に頭八咫烏を遺わし之を召す 時 烏は其の営に到る 而 之を鳴き曰く 天神の子が汝を召す 怡奘過(いざわ、人を誘う掛け声) 怡奘過 過 音倭 兄磯城は之に忿(いか)り曰く 天の壓(屈服させる)神が至るを聞く 而 吾は憤慨を為す 時 奈何(いかん) 烏鳥は此の若く悪しく鳴く耶 壓 此れ云う飫蒭 乃ち弓を彎(ひ)き之を射る 烏は即ち避け去る
次 到弟磯城宅 而 鳴之曰 天神子召汝 怡奘過 怡奘過 時 弟磯城惵然改容曰 臣聞天壓神至 旦夕畏懼 善乎 烏汝鳴之 若此者歟 即作葉盤八枚 盛食饗之 葉盤 此云毗羅耐 因以 随烏詣到 而 告之曰 吾兄々磯城 聞天神子来 則聚八十梟帥 具兵甲 将与決戰 可早図之
次 弟磯城の宅に到りる 而 鳴き之を曰く 天神の子が汝を召す 怡奘過(いざわ) 怡奘過 時 弟磯城は惵(オチ)然と容(かたち)を改め曰く 臣は天壓神が至るを聞く 旦(朝)に夕に畏み懼(おそ)れる 善し乎 烏の汝が之に鳴く 此の若く者歟 即ち葉盤(ひらで)を八枚作る 食を盛り之に饗する 葉盤 此れ云う毗羅耐 因以 烏の随に詣で到る 而 之を告げ曰く 吾が兄の兄磯城 天神の子が来るを聞く 則ち八十梟帥を聚(集)め 兵甲(兵器)を具(そな)え 将に決戦に与せん 早く之に図る可し
天皇 乃会諸将問之曰 今 兄磯城果有逆賊之意 召亦不来 為之奈何 諸将曰 兄磯城黠賊也 宜先遣弟磯城曉喩 之幷說兄倉下弟倉下 如遂不帰順 然後 挙兵臨之 亦 未晩也 倉下 此云衢羅餌
天皇 乃ち諸将を会し之を問い曰く 今 兄磯城は果たして逆賊の意有り 召すも亦た来ず 之に為すは奈何(いかん) 諸将は曰く 兄磯城は黠(悪賢い)賊也 先ず弟磯城を遣わし曉喩(ぎょうゆ、教え諭す)するが宜しい 之に幷せ兄倉下弟倉下に説く 如(も)し遂に帰順せず 然後 兵を挙げ之に臨む 亦 未だ晩(遅い)ならず也 倉下 此れ云う衢羅餌
乃使弟磯城開示利害 而 兄磯城等猶守愚謀 不肯承伏 時 椎根津彦 計之曰 今者宜先遣我女軍 出自忍坂 道虜見之 必盡鋭而赴 吾則駈馳勁卒 直指墨坂 取菟田川水 以灌其炭火 儵忽之間 出其不意 則破之必也 天皇善其策 乃出女軍 以臨之 虜謂大兵已至 畢力相待
乃ち弟磯城に利害を開示せ使める 而 兄磯城等は猶も愚謀を守る 肯(うなず)かず承伏せず 時 椎根津彦 之を計り曰く 今は先ず我を女軍に遣わすが宜しい 忍坂より出る 道の虜(敵)は之を見る 必ず盡(ことごと)く鋭くして赴く 吾は則ち勁(つよ)い卒で駆け馳せる 直ぐ墨坂を指す 菟田川の水を取る 以て其の炭火に灌ぐ 儵忽(しゅっこつ、短時間)の間 不意に其れへ出る 則ち之を破るは必ず也 天皇は其の策を善しとする 乃ち女軍に出る 以て之に臨む 虜(敵)は大兵が已に至ると謂(おも)う 畢力(全力)が相待する
先是 皇軍攻必取戰必勝 而 介冑之士 不無疲弊 故 聊為御謠 以慰将卒之心焉 謠曰
先是 皇軍の攻めは必ず戦いを取り必ず勝つ 而 介冑(甲冑)の士 疲弊は無からず 故 聊(かりそめ)に御謠を為す 以て将卒の心を慰める焉 謠い曰く
哆々奈梅弖 伊那瑳能椰摩能 虚能莽由毛 易喩耆摩毛羅毗 多多介陪麼 和例破椰隈怒 之摩途等利 宇介譬餓等茂 伊莽輸開珥虚祢 ――楯並(たたな)めて 伊那瑳山(いなさやま)の 木(こ)の間(ま)ゆも い行(ゆ)き瞻(まも)らひ 戦(たたか)へば 我(われ)はや飢(ゑ)ぬ 嶋(しま)つ鳥(とり) 鵜飼(うかひ)が従(とも) 今助(います)けに来(こ)ね
果 以男軍越墨坂 従後 夾撃破之 斬其梟帥兄磯城等
果たして 以て男軍が墨坂を越す 従後 夾(はさ)み之を撃破する 其の梟帥(たける、勇猛な族長)兄磯城等を斬る
長髄彦と連戦するも勝てないとき、曇り雨氷が降るなか金鵄が神武の弓に留まり、稲光のような光を放ち敵兵の目を眩ます。神武は兄の五瀬を殺された恨みをこめて二首歌う。使者が、義弟の饒速日も天神の子なのに別の天神の子が来て土地を奪われることに長髄彦は納得してないと言う。神武の提案で互いの表物を確認し合ったが、長髄彦は引くに引けず、帰順を決めた饒速日により殺される。神武は饒速日の手柄を褒める。
十有二月癸巳朔丙申 皇師遂撃長髄彦 連戰不能取勝 時 忽然天陰 而 雨氷 乃有金色霊鵄 飛来止于皇弓之弭 其鵄光曄煜状 如流電 由是 長髄彦軍卒皆迷眩 不復力戰 長髄 是邑之本号焉 因亦 以為人名 及皇軍之得鵄瑞也 時 人仍号鵄邑 今云鳥見是訛也 昔孔舍衞之戰 五瀬命中矢而薨 天皇銜之 常懐憤懟 至此役也 意欲窮誅 乃為御謠之曰
十有二月癸巳朔丙申 皇師(皇軍)は遂に長髄彦を撃つ 連戦も勝ちを取るは能わず 時 忽然と天が陰る 而 雨が氷る 乃ち金色の霊鵄(金鵄、きんし、金のトビ)有り 飛び来て皇弓の弭(弓の端)に止まる 其の鵄(とび)の光り曄煜(輝く)状(さま)は 流電(稲光)の如し 由是 長髄彦の軍卒は皆が迷眩する 力を復(もど)せず戦う 長髄 是は邑の本号焉 因亦 以て人名と為す 皇軍が鵄(とび)を得るに及ぶは瑞(目出度い徴)也 時 人は仍(しばしば)鵄邑と号する 今に云う鳥見は是の訛也 昔の孔舍衞(くのえ、地名)の戦 五瀬命は矢に中りて薨る 天皇は之を銜(ふく)む 常に懐に憤り懟(うら)む 此の役に至る也 意欲は窮(きわ)め誅する 乃ち御謠を為し之を曰く
瀰都瀰都志 倶梅能故邏餓 介耆茂等珥 阿波赴珥破 介瀰羅毗苔茂苔 曽廼餓毛苔 曽禰梅屠那藝弖 于笞弖之夜莽務 ――みつみつし 来目(くめ)の子等(こら)が 垣本(かきもと)に 粟生(あはふ)には 韮一本(かみらひともと) 其根(その)が本(もと) 其(そ)ね芽繫(めつな)ぎて 撃(う)ちてし止(や)まむ
又 謠之曰
又 謠い之を曰く
瀰都々々志 倶梅能故邏餓 介耆茂等珥 宇惠志破餌介瀰 句致弭比倶 和例破涴輸例儒 于智弖之夜莽務 ――みつみつし 来目(くめ)の子等(こら)が 垣本(かきもと)に 植(う)ゑし山椒(はじかみ) 口疼(くちびひ)く 我(われ)は忘(わす)れず 撃(う)ちてし止(や)まむ
因復 縱兵忽攻之 凡諸御謠 皆謂来目歌 此的取歌者而名之也 時 長髄彦乃遣行人 言於天皇曰 嘗有天神之子 乗天磐船 自天降止 号曰櫛玉饒速日命 饒速日 此云儞藝波揶卑 是娶吾妹三炊屋媛 亦名長髄媛 亦名鳥見屋媛 遂有兒息 名曰可美真手命 可美真手 此云于魔詩莽耐 故 吾以饒速日命為君而奉焉 夫天神之子 豈有両種乎 奈何更称天神子 以奪人地乎 吾心推之 未必為信 天皇曰 天神子亦多耳 汝所為君 是実天神之子者 必有表物 可相示之
因復 縱(はな)った兵が忽ち之を攻める 凡そ諸(もろもろ)の御謠 皆が来目歌と謂う 此れは的(あきらか)に歌う者を取りて之を名づく也 時 長髄彦は乃ち行人(こうじん、通行人)を遣わす 天皇に言い曰く 嘗つて天神の子有り 天磐船に乗り 天より降り止まる 号は曰く櫛玉饒速日命 饒速日 此れ云う儞藝波揶卑 是は吾の妹の三炊屋媛を娶る 亦の名は長髄媛 亦の名は鳥見屋媛 遂に兒息(子)有り 名は曰く可美真手命 可美真手 此れ云う于魔詩莽耐 故 吾は饒速日命を以て君と為して奉る焉 夫れ天神の子 豈(あに)両種有る乎 奈何(いかん)ぞ更に天神の子を称し 以て人の地を奪う乎 吾の心は之を推し 未だ必ず信を為さず 天皇は曰く 天神の子が亦た多いのみ 汝の所の君と為す 是が実の天神の子なら 必ず表物(しるしもの)有り 之を相い示す可し
長髄彦 即取饒速日命之天羽々矢一隻及步靫 以奉示天皇 天皇覽之曰 事不虚也 還 以所御天羽々矢一隻及步靫 賜示於長髄彦 長髄彦 見其天表 益懐踧踖 然而 凶器已構 其勢不得中休 而 猶守迷図 無復改意 饒速日命 本知天神慇懃 唯天孫 是与且見夫 長髄彦禀性愎佷 不可教以天人 之際 乃殺之 帥其衆而帰順焉 天皇素聞 鐃速日命 是自天降者 而 今 果立忠效 則褒而寵之 此物部氏之遠祖也
長髄彦 即ち饒速日命の天羽々矢一隻及び步靫(かちゆき)を取る 以て天皇に奉り示す 天皇は之を覧(み)て曰く 事は虚(嘘)ならず也 還り 御天羽々矢一隻及び步靫(かちゆき)の以所(ゆえん) 長髄彦に示し賜う 長髄彦 其の天の表(しるし)を見る 益(ますます)懐に踧踖(しゅくせき、慎む)する 然而 凶器は已に構える 其の勢いは中に休み得ず 而 猶も迷い図るを守る 復改の意無し 饒速日命 本より天神の慇懃を知る 唯(ただ)天孫のみ 是は夫れを与(あず)かり且つ見る 長髄彦の禀性(ひんせい、生来の気質)は愎佷(很愎、こんぷく、ひねくれる) 天人を以て教えるに不可 之際 乃ち之を殺す 其の衆を帥(ひき)いて帰順する焉 天皇は素聞(すぎき、ただ聞くだけ)する 鐃速日命 是は天より降りし者 而 今 忠と効(こう、手柄)を立て果たす 則ち褒めて之を寵する 此は物部氏の遠祖也
まだ帰順しない新城戸畔、居勢祝、猪祝らを誅し、高尾張邑の土蜘蛛は葛網で一網打尽にする。各地に、この行軍に因んだ地名がつく。
己未年春二月壬辰朔辛亥 命諸将練士卒 是時 層富縣波哆丘岬 有新城戸畔者 丘岬 此云塢介佐棄 又 和珥坂下 有居勢祝者 坂下 此云瑳伽梅苔 臍見長柄丘岬 有猪祝者 此三処土蜘蛛 並恃其勇力 不肯来庭
己未年春二月壬辰朔辛亥 諸将に士卒の練を命じる 是時 層富(そほ)の縣(あがた)の波哆の丘岬に 新城戸畔なる者有り 丘岬 此れ云う塢介佐棄 又 和珥坂下に 居勢祝なる者有り 坂下 此れ云う瑳伽梅苔 臍見長柄の丘岬に 猪祝なる者有り 此の三処の土蜘蛛 並び其の勇力を恃む(たのむ、自負する) 肯(うなず)かず庭に来ず
天皇 乃分遺偏師 皆誅之 又 高尾張邑 有土蜘蛛 其為人也 身短而手足長 与侏儒相類 皇軍結葛網而掩襲殺之 因改号其邑曰葛城 夫磐余之地 舊名片居 片居 此云伽哆韋 亦曰片立 片立 此云伽哆哆知 逮我皇師 之破虜也 大軍集 而 満於其地 因改号為磐余
天皇 乃ち偏師(へんし、僅かな軍勢)を分け遺す 皆が之を誅する 又 高尾張邑に 土蜘蛛有り 其の為人(ひととなり)也 身は短くて手足は長し 侏儒の与(仲間)に相い類する 皇軍は葛網を結びて掩い襲い之を殺す 因て其の邑の号を改め曰く葛城 夫れ磐余の地 舊名(きゅうめい、昔の名)は片居 片居 此れ云う伽哆韋 亦た曰く片立 片立 此れ云う伽哆哆知 我が皇師(皇軍)に逮(およ)ぶ 之は虜(敵)を破る也 大軍が集う 而 其の地に満ちる 因て号を改め磐余と為す
或曰 天皇 往嘗厳瓮粮 出軍西征 是時 磯城八十梟帥於彼処屯聚居之 屯聚居 此云怡波瀰萎 果与天皇大戰 遂為 皇師所滅 故 名之曰磐余邑 又 皇師立誥之処 是謂猛田 作城処 号曰城田 又 賊衆戰死 而 僵屍枕臂処 呼為頬枕田 天皇 以前年秋九月 潜取天香山之埴土 以造八十平瓮 躬自斎戒祭諸神 遂得安定區宇 故 号取土之処 曰埴安
或るいは曰く 天皇 往(むかし)は厳瓮の糧を嘗(な)め 出軍し西征する 是時 磯城八十梟帥が彼処に屯聚(屯集)して居る之 屯聚居 此れ云う怡波瀰萎 果たして天皇と大いに戦う 遂に為す 皇師(皇軍)は所滅(しょめつ)する 故 名之は曰く磐余邑 又 皇師(皇軍)が誥(雄誥、おたけび)を立てる之処 是れ謂う猛田 城を作る処 号は曰く城田 又 賊衆が戦死する 而 僵屍(キョンシー、硬直した死体)が枕肘する処 頬枕田と呼び為す 天皇 前年秋九月を以て 天香山の埴土を潜み取る 以て八十平瓮を造る 躬(み)は自(みずか)ら斎戒し諸神を祭る 遂に安定の区宇(くう、区域)を得る 故 土を取る之処の号 曰く埴安
神武は橿原を国の墺区と見て宮の造営を決断する。正妃にと高貴な女性を求め、進言があって媛踏韛五十鈴媛を迎える。
三月辛酉朔丁卯 下令曰 自我東征 於茲六年矣 頼以皇天之威 凶徒就戮 雖 辺土未清 餘妖尚梗 而 中洲之地無復風塵 誠宜恢廓皇都 規摹大壯 而 今運屬屯蒙 民心朴素 巣棲穴住 習俗惟常夫 大人立制 義必随時 苟有利民 何妨聖造 且 当披拂山林 経営宮室 而 恭臨宝位 以鎭元元 上則答乾霊授国之徳 下則弘皇孫養正之心 然後 兼六合以開都 掩八紘 而 為宇 不亦可乎 観夫畝傍山 畝傍山 此云宇禰縻夜摩 東南橿原地者 蓋国之墺區乎 可治之
三月辛酉朔丁卯 令を下し曰く 我の東征より 茲(ここ)に於いて六年矣 皇天の威を以て頼む 凶徒は戮(りく、殺す)に就く 雖 辺土(辺土、へんど、都から遠い地)は未だ清ならず 餘(余、のこ)る妖は尚も梗(つよ)い 而 中洲の地は風塵の復(もど)り無し 誠は皇都を恢(ひろ)く廓(かこ)うが宜しい 規摹(きぼ、規模)は大壮 而 今の運(時)は屯蒙(ちゅうもう、事のはじめ)に属する 民心は朴素 棲む巣は穴の住まい 習俗は惟(もっぱら)常夫(ツネトアリタリ) 大人の立てる制 義は必ず時の随に 苟(まこと)は民の利に有り 何ぞ聖造を妨げる 且 当に山林を披(開)き拂(払)わん 宮室を経営する 而 宝位(ほうい、天子の位)に恭(つつし)み臨む 以て元元(げんげん、人民)を鎮める 上は則ち乾霊(アメノカミ)の授ける国の徳を答える 下は則ち皇孫の養正の心を弘(ひろ)める 然後 開都を以て六合(くに、天地と四方で全世界)を兼(か)ね 八紘(はっこう、国の八方)を掩(おお)い 而 宇(う、屋根)と為す 不亦可乎(ヨカサラムヤ) 夫れ畝傍山を観る 畝傍山 此れ云う宇禰縻夜摩 東南の橿原の地は 蓋 国の墺(モナカ、人の住める地)区 之を治める可し
是月 即命 有司経始帝宅
庚申年秋八月癸丑朔戊辰 天皇 当立正妃 改廣求華胄 時 有人奏之曰 事代主神 共三嶋溝橛耳神之女玉櫛媛 所生兒 號曰媛踏韛五十鈴媛命 是国色之秀者 天皇悦之 九月壬午朔乙巳 納媛踏韛五十鈴媛命 以為正妃
是月 即ち命じる 経始(けいし、測量して着工する)帝宅の司有り
庚申年秋八月癸丑朔戊辰 天皇 当に正妃を立てん 改め廣(ひろ)く華胄(かちゅう、貴い家柄)を求める 時 有りし人は之を奏じ曰く 事代主神 三嶋溝橛耳神の娘の玉櫛媛と共に 生む所の兒 號は曰く媛踏韛五十鈴媛命 是は国色の秀でる者 天皇は之を悦ぶ 九月壬午朔乙巳 媛踏韛五十鈴媛命を納める 以て正妃と為す
辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮 是歲為天皇元年 尊正妃為皇后 生皇子 神八井命 神渟名川耳尊 故 古語称之曰 於畝傍之橿原也 太立宮柱於底磐之根 峻峙搏風於高天之原 而 始馭天下之天皇 號曰神日本磐余彦火々出見天皇焉 初 天皇草創天基之日也 大伴氏之遠祖道臣命 帥大来目部 奉承密策 能以諷歌倒語 掃蕩妖気 倒語之用 始起乎 茲
辛酉年春正月庚辰朔 天皇は橿原宮に即帝位する 是歲を天皇元年と為す 正妃を尊び皇后と為す 生む皇子 神八井命 神渟名川耳尊 故 古語は之を称え曰く 畝傍に於ける之は橿原也 底磐の根に宮柱を太く立てる 高天原に搏風(はふ、破風)を峻(けわ)しく峙(そばだ)てる 而 始馭天下(ハツクニシラス)之天皇(スメラミコト) 號は曰く神日本磐余彦火々出見天皇焉 初 天皇の草創(事業の初め)は天基(アマツヒツキ)の日也 大伴氏の遠祖の道臣命 大来目部を帥(率)いる 密策を奉承(謹み承ける)する 諷歌(そえうた、暗喩や比喩を含む歌)倒語(とうご、語順を逆にした語)を以て能う 妖気を掃蕩(そうとう、掃討)する 倒語の用いる 始めの起こり乎 茲(ここ)に
功行賞を定め、珍彦(椎根津彦)を倭国造に、弟猾を猛田県主に、弟磯城を磯城県主に、剱根を葛城国造に任じる。
治世七十六年、一百二十七歲崩御。翌年九月、畝傍山東北陵に葬る。
二年春二月甲辰朔乙巳 天皇定功行賞 賜道臣命宅地 居于築坂邑 以寵異之 亦 使大来目居于畝傍山以西川辺之地 今號来目邑 此其縁也 以珍彦為倭国造 珍彦 此云于砮毗故 又 給弟猾猛田邑 因為猛田縣主 是菟田主水部遠祖也 弟磯城 名黒速 為磯城縣主 復 以剱根者 為葛城国造 又 頭八咫烏亦入賞例 其苗裔即葛野主殿縣主部 是也
二年春二月甲辰朔乙巳 天皇は功行賞を定める 道臣命に宅地を賜わる 築坂邑に居る 以て寵異(ちょうい、特別な寵)之 亦 大来目に畝傍山以西川辺の地に居ら使める 今に號する来目邑 此は其の縁也 以て珍彦は倭国造と為す 珍彦 此れ云う于砮毗故 又 弟猾に猛田邑を給う 因て猛田縣主と為す 是は菟田主水部の遠祖也 弟磯城 名は黒速 磯城縣主と為す 復 以て剱根は 葛城国造と為す 又 頭八咫烏も亦た賞例に入る 其の苗裔は即ち葛野主殿縣主部 是也
四年春二月壬戌朔甲申 詔曰 我皇祖之霊也 自天降鑒 光助朕躬 今諸虜已平 海内無事 可以郊祀天神用申大孝者也 乃立霊畤於鳥見山中 其地號曰上小野榛原下小野榛原 用祭皇祖天神焉
四年春二月壬戌朔甲申 詔り曰く 我が皇祖の霊也 天より降る鏡 光は朕の躬(み、身)を助ける 今は諸の虜は已に平らぐ 海の内は事無し 天神を郊祀(こうし、天地を祀る大祭)するを以て用いて大孝者を申す可し也 乃ち霊畤(れいじ、まつりのにわ)を鳥見山中に立てる 其地の號は曰く上小野榛原と下小野榛原 用いて皇祖天神を祭る焉
卅有一年夏四月乙酉朔 皇輿巡幸 因登腋上嗛間丘 而 廻望国状曰 姸哉乎 国 之獲矣 姸哉 此云鞅奈珥夜 雖内木錦之真迮国 猶如蜻蛉之臀呫焉 由是 始有秋津洲之號也 昔 伊弉諾尊目此国曰 日本者浦安国 細戈千足国 磯輪上秀真国 秀真国 此云袍図莽句爾 復 大己貴大神目之曰 玉牆内国 及至 饒速日命乗天磐船而翔行太虚也 睨是鄕而降之 故 因目之曰 虚空見日本国矣
三十有一年夏四月乙酉朔 皇輿(こうよ)が巡幸する 因て腋上嗛間丘に登る 而 廻りて国の状を望み曰く 姸(うつくしい)哉乎 国 之は獲(え)る矣 姸哉 此れ云う鞅奈珥夜 内木錦(ウツユフ)の真迮国(マサキクニ)と雖も 猶も蜻蛉の臀呫(となめ、トンボの交尾)の如し焉 由是 秋津洲の號の有る始まり也 昔 伊弉諾尊は此国を目にして曰く 日本は浦安国 細戈千足国(ホソホコノチラルクニ) 磯輪上秀真国(シワカミノホツマクニ) 秀真国 此れ云う袍図莽句爾 復 大己貴大神は之を目にして曰く 玉牆内国(タマカキノウチツクニ) 及至(ないし)は 饒速日命は天磐船に乗りて太虚(たいきょ、虚空)を翔び行く也 是の郷を睨みて之に降る 故 因て之を目にして曰く 虚空見日本国(ソラミツヤマトクニ)矣
卌有二年春正月壬子朔甲寅 立皇子神渟名川耳尊 為皇太子
七十有六年春三月甲午朔甲辰 天皇崩于橿原宮 時 年一百廿七歲 明年秋九月乙卯朔丙寅 葬畝傍山東北陵
四十有二年春正月壬子朔甲寅 立ちて皇子の神渟名川耳尊 皇太子と為る
七十有六年春三月甲午朔甲辰 天皇は橿原宮に崩じる 時 年は一百二十七歲 明年秋九月乙卯朔丙寅 畝傍山東北陵に葬る
国立国会図書館デジタルコレクション 日本書紀 : 国宝北野本. 巻第4
初代神武天皇の第三子 /母は媛踏韛五十鈴媛(事代主の長女) /皇后は五十鈴依媛(事代主の娘) 一書に川派媛(磯城縣主の娘) 一書に糸織媛(春日縣主太日諸の娘) /皇太子は磯城津彦玉手看(皇后が生む) /ほかに子の記述なし /葛城 高丘宮
神渟名川耳天皇 神日本磐余彦天皇第三子也 母曰媛踏韛五十鈴媛命 事代主神之大女也 天皇風姿岐嶷 少有雄抜之気 及壯容貎魁偉 武藝過人 而 志尚沈毅
神渟名川耳天皇(綏靖[2]) 神日本磐余彦天皇(神武[1])の第三子也 母は曰く媛踏韛五十鈴媛命 事代主神の大女(長女)也 天皇の風姿は岐嶷(いこよか、背が高く堂々としている) 少(幼く)して雄抜(ゆうばつ、雄々しく卓越している)の気有り 壮に及んで容貌魁偉(姿かたちがたくましく立派) 武芸は人を過ぎる 而 志尚(こころざし)は沈毅(落ち着きがあり物事に動じない)
至卌八歲 神日本磐余彦天皇崩 時 神渟名川耳尊孝性純深 悲慕無已 特留心於喪葬之事焉 其庶兄手硏耳命行年已長 久歷朝機 故亦 委事而親之 然其王 立操厝懐 本乖仁義 遂以諒闇之際 威福自由 苞蔵禍心 図害二弟 于時也 太歲己卯冬十一月 神渟名川耳尊与兄神八井耳命 陰知其志 而 善防之
四十八歳に至り 神日本磐余彦天皇が崩じる 時 神渟名川耳尊は孝心が純深 悲慕已む無し 特に喪葬の事に心を留める焉 其の庶兄の手硏耳命の行年は已(すで)に長く 久しく朝機を歴する 故亦 事を委ねて之に親しむ 然るに其の王 立操(ココロバエ)厝懐(ミココロツキテ) 本(もと)は仁義に乖(もと)る 遂に以て諒闇(りょうあん、天皇が親の死にあたり喪に服する期間)の際 威福(いふく、威力と福徳により人を従わせること)自由 包蔵禍心(誰にも気付かれないように悪事を企むこと) 二弟を害するを図る 時に也 太歲己卯冬十一月 神渟名川耳尊と兄神八井耳命 陰に其の志を知る 而 善く之を防ぐ
至於山陵事畢 乃使 弓部稚彦造弓 倭鍛部天津真浦造真麛鏃 矢部作箭 及弓矢既成 神渟名川耳尊 欲以射殺手硏耳命 会有 手硏耳命 於片丘大窨中 獨臥于大牀 時 渟名川耳尊 謂神八井耳命曰 今適其時也 夫言貴 密事宜慎 故 我之陰謀 本無預者 今日之事 唯吾与尒 自行之耳 吾当先開窨戸 尒其射
山陵(さんりょう、陵墓)の事が畢(終)わるに至り 乃ちせ使める 弓部稚彦は弓を造る 倭の鍛部天津真浦は真鹿の鏃を造る 矢部は箭(矢)を造る 弓矢は既に成るに及び 神渟名川耳尊 以て手硏耳命の射殺を欲する 会(機会)あり 手硏耳命 片丘の大室の中に於いて 大牀(寝台)に独り臥せる 時 渟名川耳尊 神八井耳命に謂い曰く 今が其の時に適う也 夫の言は貴い 密事は慎むが宜しい 故 我の陰謀 本(もと)より預ける者無し 今日の事 唯だ吾と尒(なんじ) 自ら之を行うのみ 吾は当に先に室の戸を開けん 尒(なんじ)の其れが射る
之因相随進入 神渟名川耳尊 突開其戸 神八井耳命 則手脚戰慄 不能放矢 時 神渟名川耳尊 掣取其兄所持弓矢 而 射手硏耳命 一発中胸 再発中背 遂殺之 於是 神八井耳命 懣然自服 譲於神渟名川耳尊曰 吾是乃兄 而 懦弱 不能致果 今 汝特挺神武 自誅元悪 宜哉乎 汝之光臨天位 以承皇祖之業 吾当為汝輔之 奉典神祇者 是即 多臣之始祖也
之に因て相随し進入する 神渟名川耳尊 其戸を突き開く 神八井耳命 則ち手脚が戰慄する 矢を放つに能わず 時 神渟名川耳尊 其兄の所持する弓矢を掣(ひ)き取る 而 手硏耳命を射る 一発は胸に中る 再発は背に中る 遂に之を殺す 於是 神八井耳命 懣然(もんぜん、もだえるさま)して自ら服する 神渟名川耳尊に譲り曰く 吾は是れ乃(なんじ)の兄 而 懦弱(だじゃく、意気地がない) 果に到るは能わず 今 汝は特に挺(ぬき)んでて神武(アヤシタケシ) 自ずと元悪を誅する 宜哉乎(うべなるかな、もっともなことだ) 汝は之天位に光臨する 以て皇祖の業を承(う)ける 吾は当に汝の輔(たす)けと為らん之 神祇を奉典する者 是即 多臣の始祖也
元年春正月壬申朔己卯 神渟名川耳尊 即天皇位 都葛城 是謂高丘宮 尊皇后曰皇太后 是年也太歲庚辰
二年春正月 立五十鈴依媛為皇后 一書云磯城縣主女川派媛 一書云春日縣主太日諸女糸織媛也 即天皇之姨也 后生磯城津彦玉手看天皇
四年夏四月 神八井耳命薨 即葬于畝傍山北
廿五年春正月壬午朔戊子 立皇子磯城津彦玉手看尊為皇太子
卅三年夏五月 天皇不豫 癸酉 崩 時 年八十四
元年春正月壬申朔己卯 神渟名川耳尊 天皇に即位する 都は葛城 是を高丘宮と謂う 皇后を尊び曰く皇太后 是年也太歲庚辰
二年春正月 立ちて五十鈴依媛は皇后と為る 一書に云う磯城縣主の娘川派媛 一書に云う春日縣主太日諸の娘糸織媛也 即ち天皇の姨(おば)也 后は生む 磯城津彦玉手看天皇(安寧[3])
四年夏四月 神八井耳命は薨る 即ち畝傍山の北に葬る
二十五年春正月壬午朔戊子 立ちて皇子の磯城津彦玉手看尊は皇太子と為る
三十五年夏五月 天皇は不豫(ふよ、病気) 癸酉 崩じる 時 年は八十四
第二代綏靖天皇の皇太子 /母は五十鈴依媛(事代主神の娘) /皇后は渟名底仲媛(鴨王の娘) 一書に川津媛(磯城縣主葉江の娘) 一書に糸井媛(大間宿祢の娘) /皇太子は大日本彦耜友(皇后の第二子) /第一子は息石耳 /一伝に第一子は常津彦某兄 第三子は磯城津彦(猪使連の始祖) /片塩 浮孔宮
磯城津彦玉手看天皇 神渟名川耳天皇太子也 母曰五十鈴依媛命 事代主神之少女也 天皇 以神渟名川耳天皇廿五年 立為皇太子 年廿一 卅三年夏五月 神渟名川耳天皇崩 其年七月癸亥朔乙丑 太子即天皇位
元年冬十月丙戌朔丙申 葬神渟名川耳天皇於倭桃花鳥田丘上陵 尊皇后曰皇太后 是年也太歲癸丑
磯城津彦玉手看天皇(安寧[3]) 神渟名川耳天皇(綏靖[2])の太子也 母は曰く五十鈴依媛命 事代主神の少女(下の娘)也 天皇 神渟名川耳天皇二十五年を以て 立ちて皇太子と為る 年は二十一 三十三年夏五月 神渟名川耳天皇は崩じる 其の年七月癸亥朔乙丑 太子は天皇に即位
元年冬十月丙戌朔丙申 神渟名川耳天皇を倭桃花鳥田丘上陵に葬る 皇后を尊び曰く皇太后 是年也太歲癸丑
二年 遷都於片鹽 是謂浮孔宮
三年春正月戊寅朔壬午 立渟名底仲媛命 亦曰渟名襲媛 為皇后 一書云磯城縣主葉江女川津媛 一書云大間宿禰女糸井媛 先是 后生二皇子 第一曰息石耳命 第二曰大日本彦耜友天皇 一云 生三皇子 第一曰常津彦某兄 第二曰大日本彦耜友天皇 第三曰磯城津彦命
十一年春正月壬戌朔 立大日本彦耜友尊為皇太子也 弟磯城津彦命 是猪使連之始祖也
卅八年冬十二月庚戌朔乙卯 天皇崩 時 年五十七
二年 片塩に遷都 是れを浮孔宮と謂う
三年春正月戊寅朔壬午 立ちて渟名底仲媛命 亦た曰く渟名襲媛 皇后と為る 一書に云う磯城縣主葉江の娘川津媛 一書に云う大間宿禰の娘糸井媛 先是 后は二皇子を生む 第一は曰く息石耳命 第二は曰く大日本彦耜友天皇 一に云う 三皇子を生む 第一は曰く常津彦某兄 第二は曰く大日本彦耜友天皇 第三は曰く磯城津彦命
十一年春正月壬戌朔 立ちて大日本彦耜友尊は皇太子と為る也 弟の磯城津彦命 是れは猪使連の始祖也
三十八年冬十二月庚戌朔乙卯 天皇は崩じる 時 年は五十七
第三代安寧天皇の第二子 /母は渟名底仲媛(鴨王の娘) /皇后は天豊津媛(息石耳の娘) 一云に泉媛(磯城縣主葉江の弟猪手の娘) 一云に飯日媛(磯城縣主太真稚彦の娘) /皇太子は観松彦香殖稲(皇后の第一子) /一伝に同母弟は武石彦奇友背 /軽地 曲峽宮
大日本彦耜友天皇 磯城津彦玉手看天皇第二子也 母曰渟名底仲媛命 事代主神孫鴨王女也 磯城津彦玉手看天皇十一年正春正月壬戌 立為皇太子 年十六
卅八年冬十二月 磯城津彦玉手看天皇崩
元年春二月己酉朔壬子 皇太子即天皇位 秋八月丙午朔 葬磯城津彦玉手看天皇於畝傍山南御陰井上陵 九月丙子朔乙丑 尊皇后曰皇太后 是年也太歲辛卯
大日本彦耜友天皇(懿徳[4]) 磯城津彦玉手看天皇(安寧[3])の第二子也 母は曰く渟名底仲媛命 事代主神の孫の鴨王の女也 磯城津彦玉手看天皇十一年正春正月壬戌 立ちて皇太子と為る 年は十六
三十八年冬十二月 磯城津彦玉手看天皇が崩じる
元年春二月己酉朔壬子 皇太子は天皇に即位 秋八月丙午朔 磯城津彦玉手看天皇を畝傍山の南の御陰井上陵に葬る 九月丙子朔乙丑 皇后を尊び曰く皇太后 是年也太歲辛卯
二年春正月甲戌朔戊寅 遷都於軽地 是謂曲峽宮 二月癸卯朔癸丑 立天豊津媛命為皇后 一云磯城縣主葉江男弟猪手女泉媛 一云磯城縣主太真稚彦女飯日媛也 后生 観松彦香殖稲天皇 一云 天皇母弟武石彦奇友背命
廿二年春二月丁未朔戊午 立観松彦香殖稲尊為皇太子 年十八
卅四年秋九月甲子朔辛未 天皇崩
二年春正月甲戌朔戊寅 軽地に遷都 是れを曲峡宮と謂う 二月癸卯朔癸丑 立ちて天豊津媛命は皇后と為る 一に云う磯城縣主葉江の弟猪手の女の泉媛 一に云う磯城縣主太真稚彦の女の飯日媛也 后は生む 観松彦香殖稲天皇 一に云う 天皇母弟は武石彦奇友背命
二十二年春二月丁未朔戊午 立ちて観松彦香殖稲尊は皇太子と為る 年は十八
三十四年秋九月甲子朔辛未 天皇は崩じる
第四代懿徳天皇の皇太子 /母は天豊津媛(息石耳の娘) /皇后は世襲足媛(尾張連遠祖の瀛津世襲の妹) 一云に渟名城津媛(磯城縣主葉江の娘) 一云に大井媛(倭国の豊秋狭太媛の娘) /皇太子は日本足彦国押人(皇后の第二子) /第一子は天足彦国押人(和珥臣らの始祖) /掖上 池心宮
観松彦香殖稲天皇 大日本彦耜友天皇太子也 母皇后天豊津媛命 息石耳命之女也 天皇 以 大日本彦耜友天皇廿二年春二月丁未朔戊午 立為皇太子 卅四年秋九月 大日本彦耜友天皇崩 明年冬十月戊午庚午 葬大日本彦耜友天皇於畝傍山南纎沙谿上陵
元年春正月丙戌朔甲午 皇太子即天皇位 夏四月乙卯朔己未 尊皇后曰皇太后 秋七月 遷都於掖上 是謂池心宮 是年也太歲丙寅
観松彦香殖稲天皇(孝昭[5]) 大日本彦耜友天皇(懿徳[4])の太子也 母は皇后の天豊津媛命 息石耳命之の女也 天皇 以て 大日本彦耜友天皇二十二年春二月丁未朔戊午 立ちて皇太子と為る 三十四年秋九月 大日本彦耜友天皇は崩じる 明年冬十月戊午庚午 大日本彦耜友天皇を畝傍山の南の纎沙谿上陵に葬る
元年春正月丙戌朔甲午 皇太子は天皇に即位 夏四月乙卯朔己未 皇后を尊び曰く皇太后 秋七月 掖上に遷都 是れを池心宮と謂う 是年也太歲丙寅
廿九年春正月甲辰朔丙午 立世襲足媛為皇后 一云磯城縣主葉江女渟名城津媛 一云倭国豊秋狭太媛女大井媛也 后生 天足彦国押人命 日本足彦国押人天皇
六十八年春正月丁亥朔庚子 立日本足彦国押人尊為皇太子 年廿 天足彦国押人命 此和珥臣等始祖也
八十三年秋八月丁巳朔辛酉 天皇崩
二十九年春正月甲辰朔丙午 立ちて世襲足媛は皇后と為る 一に云う磯城縣主葉江の娘渟名城津媛 一に云う倭国の豊秋狭太媛の娘大井媛也 后は生む 天足彦国押人命 日本足彦国押人天皇
六十八年春正月丁亥朔庚子 立ちて日本足彦国押人尊は皇太子と為る 年は二十 天足彦国押人命 此れは和珥臣等の始祖也
八十三年秋八月丁巳朔辛酉 天皇は崩じる
第五代孝昭天皇の第二子 /母は世襲足媛(尾張連の遠祖瀛津世襲の妹) /皇后は押媛(天足彦国押人の娘) 一書に長媛(磯城縣主葉江の娘) 一書に五十坂媛(十市縣主五十坂彦の娘) /皇太子は大日本根子彦太瓊尊 /ほかに子の記述なし /室 秋津嶋宮
日本足彦国押人天皇 観松彦香殖稲天皇第二子也 母曰世襲足媛 尾張連遠祖瀛津世襲之妹也 天皇 以観松彦香殖稲天皇六十八年春正月 立為皇太子 八十三年秋八月 観松彦香殖稲天皇崩
元年春正月乙酉朔辛卯 皇太子即天皇位 秋八月辛巳朔 尊皇后曰皇太后 是年也太歲己丑
日本足彦国押人天皇(孝安[6]) 観松彦香殖稲天皇(孝昭[5])の第二子也 母は曰く世襲足媛 尾張連遠祖の瀛津世襲の妹也 天皇 以て観松彦香殖稲天皇六十八年春正月 立ちて皇太子と為る 八十三年秋八月 観松彦香殖稲天皇は崩じる
元年春正月乙酉朔辛卯 皇太子は天皇に即位 秋八月辛巳朔 皇后を尊び曰く皇太后 是年也太歲己丑
二年冬十月 遷都於室地 是謂秋津嶋宮
廿六年春二月己丑朔壬寅 立姪押媛為皇后 一云磯城縣主葉江女長媛 一云十市縣主五十坂彦女五十坂媛也 后生 大日本根子彦太瓊天皇
卅八年秋八月丙子朔己丑 葬観松彦香殖稲天皇于掖上博多山上陵
七十六年春正月己巳朔癸酉 立大日本根子彦太瓊尊為皇太子 年廿六
百二年春正月戊戌朔丙午 天皇崩
二年冬十月 室の地に遷都 是れを秋津嶋宮と謂う
二十六年春二月己丑朔壬寅 立ちて姪の押媛は皇后と為る 一に云う磯城縣主葉江の女の長媛 一に云う十市縣主五十坂彦の女の五十坂媛也 后は生む 大日本根子彦太瓊天皇
三十八年秋八月丙子朔己丑 観松彦香殖稲天皇を掖上博多山上陵に葬る
七十六年春正月己巳朔癸酉 立ちて大日本根子彦太瓊尊は皇太子と為る 年は二十六
百二年春正月戊戌朔丙午 天皇は崩じる
父は第六代孝安天皇の皇太子 /母は押媛(天足彦国押人の娘) /皇后は細媛(磯城縣主大目の娘) 一云に春日千乳早山香媛(春日県主の娘) 一云に女真舌媛(十市縣主らの祖) /皇太子は大日本根子彦国牽尊(皇后が生む、同母兄弟なし) /ほかに倭迹々日百襲姫と彦五十狭芹彦 亦名に吉備津彦 と倭迹々稚屋姫(倭国香媛が生む) 彦狭嶋と稚武彦(絚某弟が生む) /黒田 庵戸宮
大日本根子彦太瓊天皇 日本足彦国押人天皇太子也 母曰押媛 蓋 天足彦国押人命之女乎 天皇 以日本足彦国押人天皇七十六年春正月 立為皇太子 百二年春正月 日本足彦国押人天皇崩 秋九月甲午朔丙午 葬日本足彦国押人天皇于玉手丘上陵 冬十二月癸亥朔丙寅 皇太子 遷都於黒田 是謂廬戸宮
元年春正月壬辰朔癸卯 太子即天皇位 尊皇后曰皇太后 是年也太歲辛未
大日本根子彦太瓊天皇(孝霊[7]) 日本足彦国押人天皇(孝安[6])の太子也 母は曰く押媛 蓋 天足彦国押人命の女乎 天皇 以て日本足彦国押人天皇七十六年春正月 立ちて皇太子と為る 百二年春正月 日本足彦国押人天皇は崩じる 秋九月甲午朔丙午 日本足彦国押人天皇を玉手丘上陵に葬る 冬十二月癸亥朔丙寅 皇太子 黒田に遷都 是れを庵戸宮と謂う
元年春正月壬辰朔癸卯 太子は天皇に即位 皇后を尊び曰く皇太后 是年也太歲辛未
二年春二月丙辰朔丙寅 立細媛命為皇后 一云春日千乳早山香媛 一云十市縣主等祖女真舌媛也 后生 大日本根子彦国牽天皇 妃倭国香媛 亦名絚某姉 生 倭迹々日百襲姫命 彦五十狭芹彦命 亦名吉備津彦命 倭迹々稚屋姫命 亦 妃絚某弟生 彦狭嶋命 稚武彦命 弟稚武彦命 是吉備臣之始祖也
卅六年春正月己亥朔 立彦国牽尊為皇太子
七十六年春二月丙午朔癸丑 天皇崩
二年春二月丙辰朔丙寅 立ちて細媛命は皇后と為る 一に云う春日千乳早山香媛 一に云う十市縣主等の祖の女真舌媛也 后は生む 大日本根子彦国牽天皇 妃の倭国香媛 亦の名を絚某姉 は生む 倭迹々日百襲姫命 彦五十狭芹彦命 亦の名を吉備津彦命 倭迹々稚屋姫命 亦た 妃の絚某弟は生む 彦狭嶋命 稚武彦命 弟の稚武彦命 是れは吉備臣の始祖也
三十六年春正月己亥朔 立ちて彦国牽尊は皇太子と為る
七十六年春二月丙午朔癸丑 天皇は崩じる
第7代孝霊天皇の皇太子 /母は細媛(磯城縣主大目の娘) /皇后は欝色謎(穂積臣ら祖の欝色雄の妹) /皇太子は稚日本根子彦大日々(皇后が生む) /同腹に大彦と倭迹々姫(皇后が生む) 彦太忍信(伊香色謎が生む) 武埴安彦(埴安媛が生む) /軽地 境原宮
大日本根子彦国牽天皇 大日本根子彦太瓊天皇太子也 母曰細媛命 磯城縣主大目之女也 天皇 以大日本根子彦太瓊天皇卅六年春正月 立為皇太子 年十九
七十六年春二月 大日本根子彦太瓊天皇崩
元年春正月辛未朔甲申 太子即天皇位 尊皇后曰皇太后 是年也太歲丁亥
大日本根子彦国牽天皇(孝元[8]) 大日本根子彦太瓊天皇(孝霊[7])の太子也 母は曰く細媛命 磯城縣主大目の女也 天皇 以て大日本根子彦太瓊天皇三十六年春正月 立ちて皇太子と為る 年は十九
七十六年春二月 大日本根子彦太瓊天皇は崩じる
元年春正月辛未朔甲申 太子は天皇に即位 皇后を尊び曰く皇太后 是年也太歲丁亥
四年春三月甲申朔甲午 遷都於軽地 是謂境原宮
六年秋九月戊戌朔癸卯 葬大日本根子彦太瓊天皇于片丘馬坂陵
七年春二月丙寅朔丁卯 立欝色謎命為皇后 后生二男一女 第一曰大彦命 第二曰稚日本根子彦大日々天皇 第三曰倭迹々姫命 一云 天皇母弟少彦男心命也 妃伊香色謎命 生彦太忍信命 次妃河内青玉繋女埴安媛生 武埴安彦命 兄大彦命 是阿倍臣 膳臣 阿閉臣 狭々城山君 筑紫国造 越国造 伊賀臣 凡七族之始祖也 彦太忍信命 是武内宿禰之祖父也
廿二年春正月己巳朔壬午 立稚日本根子彦大日々尊為皇太子 年十六
五十七年秋九月壬申朔癸酉 大日本根子彦牽天皇崩
四年春三月甲申朔甲午 軽地に遷都 是れを境原宮と謂う
六年秋九月戊戌朔癸卯 大日本根子彦太瓊天皇を片丘馬坂陵に葬る
七年春二月丙寅朔丁卯 立ちて欝色謎命は皇后と為る 后は二男一女を生む 第一は曰く大彦命 第二は曰く稚日本根子彦大日々天皇 第三は曰く倭迹々姫命 一に云う 天皇母弟は少彦男心命也 妃の伊香色謎命は生む 彦太忍信命 次ぐ妃の河内青玉繋の女の埴安媛は生む 武埴安彦命 兄の大彦命 是れは阿倍臣 膳臣 阿閉臣 狭々城山君 筑紫国造 越国造 伊賀臣 凡そ七族の始祖也 彦太忍信命 是れは武内宿禰の祖父也
二十二年春正月己巳朔壬午 立ちて稚日本根子彦大日々尊は皇太子と為る 年は十六
五十七年秋九月壬申朔癸酉 大日本根子彦牽天皇は崩じる
第八代孝元天皇の第二子 /母は欝色謎(穂積臣ら祖の欝色雄の妹) /皇后は伊香色謎(庶母) /皇太子は御間城入彦五十瓊殖(皇后が生む) /ほかに彦湯産隅(丹波竹野媛が生む) 彦坐王(姥津媛が生む) /春日 率川宮
稚日本根子彦大日々天皇 大日本根子彦国牽天皇第二子也 母曰欝色謎命 穂積臣達祖欝色雄命之妹也 天皇 以大日本根子彦国牽天皇廿二年春正月 立為皇太子 年十六
五十七年秋九月 大日本根子彦国牽天皇崩 冬十一月辛未朔壬午 太子即天皇位
元年春正月庚午朔癸酉 尊皇后曰皇太后 冬十月丙申朔戊申 遷都于春日之地 春日 此云箇酒鵝 是謂率川宮 率川 此云伊社箇波 是年也太歲甲申
稚日本根子彦大日々天皇(開化[9]) 大日本根子彦国牽天皇(孝元[8])の第二子也 母は曰く欝色謎命 穂積臣等の祖の欝色雄命の妹也 天皇 以て大日本根子彦国牽天皇二十二年春正月 立ちて皇太子と為る 年は十六
五十七年秋九月 大日本根子彦国牽天皇は崩じる 冬十一月辛未朔壬午 太子は天皇に即位
元年春正月庚午朔癸酉 皇后を尊び曰く皇太后 冬十月丙申朔戊申 春日の地に遷都 春日 此れ云う箇酒鵝 是れを率川宮と謂う 率川 此れ云う伊社箇波 是年也太歲甲申
五年春二月丁未朔壬子 葬大日本根子彦国牽天皇于剱池嶋上陵
六年春正月辛丑朔甲寅 立伊香色謎命為皇后 是庶母也 后生 御間城入彦五十瓊殖天皇 先是 天皇 納丹波竹野媛為妃生 彦湯産隅命 亦名彦蔣簀命 次妃和珥臣遠祖姥津命之妹姥津媛生 彦坐王
廿八年春正月癸巳朔丁酉 立御間城入彦尊為皇太子 年十九
六十年夏四月丙辰朔甲子 天皇崩 冬十月癸丑朔乙卯 葬于春日率川坂本陵 一云坂上陵 時 年百十五
五年春二月丁未朔壬子 大日本根子彦国牽天皇を剱池嶋上陵に葬る
六年春正月辛丑朔甲寅 立ちて伊香色謎命は皇后と為る 是れは庶母也 后は生む 御間城入彦五十瓊殖天皇 先是 天皇 丹波竹野媛を納め妃と為し生む 彦湯産隅命 亦の名を彦蔣簀命 次ぐ妃の和珥臣遠祖の姥津命の妹姥津媛は生む 彦坐王
二十八年春正月癸巳朔丁酉 立ちて御間城入彦尊は皇太子と為る 年は十九
六十年夏四月丙辰朔甲子 天皇は崩じる 冬十月癸丑朔乙卯 春日率川坂本陵に葬る 一に云う坂上陵 時 年は百十五
国立国会図書館デジタルコレクション 日本書紀 : 国宝北野本. 巻第5
第九代開化天皇の第二子 /母は伊香色謎(開化天皇の庶母) /皇后は御間城姫(大彦命の娘) /皇太子は活目入彦五十狭茅(皇后が生む) /同腹に彦五十狭茅と国方姫と千々衝倭姫と倭彦 /ほかに豊城入彦と豊鍬入姫(遠津年魚眼眼妙媛が生む) 八坂入彦と淳名城入姫と十市瓊入姫(尾張大海媛が生む) /磯城 瑞籬宮
御間城入彦五十瓊殖天皇 稚日本根子彦大日々天皇第二子也 母曰伊香色謎命 物部氏遠祖大綜麻杵之女也 天皇 年十九歲 立為皇太子 識性聰敏 幼好雄略 既壯寛博謹慎 崇重神祇 恒有経綸天業之心焉 六十年夏四月 稚日本根子彦大日々天皇崩
御間城入彦五十瓊殖天皇(崇神[10]) 稚日本根子彦大日々天皇(開化[9])の第二子也 母は曰く伊香色謎命 物部氏遠祖の大綜麻杵の女也 天皇 年は十九歲 立ちて皇太子と為る 識性聡敏 幼にして雄略を好む 既壮して寛博(かんぱく、大まかな緩い仕立て)謹慎 崇重(すうちょう、尊び重んじる)神祇 恒に経綸(けいりん、国家を治め秩序を整える)天業(天子の事業)の心有り焉 六十年夏四月 稚日本根子彦大日々天皇は崩じる
元年春正月壬午朔甲午 皇太子即天皇位 尊皇后曰皇太后 二月辛亥朔丙寅 立御間城姫為皇后 先是 后生 活目入彦五十狭茅天皇 彦五十狭茅命 国方姫命 千々衝倭姫命 倭彦命 五十日鶴彦命 又 妃紀伊国荒河戸畔女遠津年魚眼眼妙媛 一云 大海宿祢女八坂振天某辺 生 豊城入彦命 豊鍬入姫命 次妃尾張大海媛生 八坂入彦命 淳名城入姫命 十市瓊入姫命 是年也太歲甲申
元年春正月壬午朔甲午 皇太子は天皇に即位 皇后を尊び曰く皇太后 二月辛亥朔丙寅 立ちて御間城姫は皇后と為る 先是 后は生む 活目入彦五十狭茅天皇 彦五十狭茅命 国方姫命 千々衝倭姫命 倭彦命 五十日鶴彦命 又 妃の紀伊国荒河戸畔の娘の遠津年魚眼眼妙媛 一に云う 大海宿祢の娘の八坂振天某辺 は生む 豊城入彦命 豊鍬入姫命 次ぐ妃の尾張大海媛は生む 八坂入彦命 淳名城入姫命 十市瓊入姫命 是年也太歲甲申
三年秋九月 遷都於磯城 是謂瑞籬宮
四年冬十月庚申朔壬午 詔曰 惟 我皇祖諸天皇等 光臨宸極者 豈 為一身乎 蓋 所以司牧人神 経綸天下 故 能世闡玄功 時 流至徳 今朕奉承大運 愛育黎元 何当聿遵皇祖之跡 永保無窮之祚 其群卿百僚 竭爾忠貞 共安天下 不亦可乎
三年秋九月 磯城に遷都 是れ謂う瑞籬宮
四年冬十月庚申朔壬午 詔り曰く 惟(おも)う 我が皇祖たる諸天皇等 宸極(しんきょく、皇位)に光臨する者 豈 一身に為す乎 蓋 人神を司り牧(やしな)う所以 天下を経綸(けいりん、統治)する 故 世に能うは玄(くら)きを闡(ひら)く功 時 徳に流れ至る 今の朕は大運を承け奉る 愛は黎元(れいげん、人民)を育む 何ぞ当に皇祖の跡を遵び聿(おさ)める 永く無窮(無限)の祚(天子の位)を保つ 其の群卿百僚 竭(ことごと)く忠貞のみ 共に天下を安らぐ 亦た可ならず乎
疫病で民の大半が死んだ。これ以前に崇神は、天照を豊鍬入姫命に、倭大国魂を渟名城入姫に託して殿外へ遷したが、渟名城入姫には障りがあって祀れなかった。占うと倭迹迹日百襲姫に憑いた大物主が自分を祀れと言うので祀ったが、疫病は止まない。崇神の夢に大物主が現れ、祭主に大田田根子を指名する。また大水口宿祢ら三名も同じ夢を見て、加えて倭大国魂の祭主に市磯長尾市を指名する。大田田根子を探し出して大物主を祀らせると疫病は止む。活日を掌酒に任じて崇神は歌う。宴終わりに臣下も歌うと、崇神はまた一首歌う。その後、墨坂神と大坂神を祀るよう夢のお告げがあり、実行する。
五年 国内多疾疫 民有死亡者 且大半矣
六年 百姓流離 或有背叛 其勢難以徳治之 是以 晨興夕惕 請罪神祇
五年 国内は疾疫が多い 民に死亡者有り 且つ大半矣
六年 百姓は流れ離れる 或いは背叛有り 其の勢いは徳を以て治め難い之 是以 晨(朝)に興(おこ)り夕に惕(おそ)れる 神祇に請罪する
先是 天照大神 倭大国魂 二神並祭於天皇大殿之内 然 畏其神勢 共住不安 故 以天照大神 託豊鍬入姫命 祭於倭笠縫邑 仍立磯堅城神籬 神籬 此云比莽呂岐 亦 以日本大国魂神 託渟名城入姫命令祭 然 渟名城入姫 髮落体痩 而 不能祭
先是 天照大神と倭大国魂 二神を天皇大殿の内に並べ祭る 然 其神の勢いを畏れる 共に住むは安からず 故 天照大神を以て 豊鍬入姫命に託す 倭笠縫邑に祭る 仍て磯堅城(しかたき)の神籬を立てる 神籬 此れ云う比莽呂岐 亦 日本大国魂神を以て 渟名城入姫命に託し祭ら令める 然 渟名城入姫 髮は落ち体(体)は痩せる 而 祭るに能わず
七年春二月丁丑朔辛卯 詔曰 昔我皇祖 大啓鴻基 其後 聖業逾高 王風轉盛 不意 今 当朕世数有災害 恐朝無善政 取咎於神祇耶 蓋 命神龜 以極致災之所由也
七年春二月丁丑朔辛卯 詔り曰く 昔に我が皇祖 大いに鴻基(こうき、大業の基盤)を啓(ひら)く 其後 聖業は逾(ますます)高まる 王風転盛 意せず 今 当に朕の世は数(しばしば)災害有り 朝に善政無しを恐れる 神祇に於ける咎を取る耶 蓋 神亀(ウラヘ)を命じる 以て致れる災の所由(ゆえん)を極(き)める也
於是 天皇乃幸于神淺茅原 而 会八十万神 以卜問之 是時 神明憑倭迹々日百襲姫命曰 天皇 何憂国之不治也 若能敬祭我者 必当自平矣 天皇問曰 教如此者 誰神也 答曰 我是 倭国域内所居神 名為大物主神
於是 天皇は乃ち神浅茅原に幸する 而 八十万神を会する 卜を以て之を問う 是時 神明は倭迹々日百襲姫命に憑き曰く 天皇 何ぞ国の治まらずを憂う也 若し能(よ)く我を敬い祭るなら 必ず当に自ら平らがん矣 天皇は問い曰く 如此(かくのごとく)教える者 誰神也 答え曰く 我は是 倭国域内に居る所の神 名は大物主神と為す
時 得神語随教祭祀 然猶 於事無験 天皇 乃沐浴斎戒 潔浄殿内 而 祈之曰 朕礼神 尚未盡耶 何不享之甚也 冀亦夢裏教之 以畢神恩 是夜夢 有一貴人 対立殿戸 自称大物主神曰 天皇 勿復為愁 国之不治 是吾意也 若以吾兒大田々根子令祭吾者 則立平矣 亦有海外之国 自当帰伏
時 神語を得て教えの随に祭祀する 然猶 事に験(しるし)無し 天皇 乃ち沐浴斎戒する 殿内を潔浄(きよ)める 而 祈り之を曰く 朕は神に礼する 尚も未だ盡(つく)せぬ耶 何ぞ享(もてな)せぬ之が甚しい也 亦た夢裏の教えを冀(こいねが)う之 以て神恩を畢(お)える 是夜の夢 一貴人有り 殿戸に立ち対する 自ら大物主神と称し曰く 天皇 復た愁い為す勿れ 国の治まらず 是は吾の意也 若し吾の兒の大田々根子を以て吾を祭ら令めるなら 則ち平らかに立つ矣 亦た海外の国有り 自ずと当に帰伏せん
秋八月癸卯朔己酉 倭迹速神淺茅原目妙姫 穂積臣遠祖大水口宿禰 伊勢麻績君 三人共同夢而奏言 昨夜夢之 有一貴人 誨曰 以大田々根子命為祭大物主大神之主 亦以市磯長尾市為祭倭大国魂神主 必天下太平矣
秋八月癸卯朔己酉 倭迹速神淺茅原目妙姫 穂積臣遠祖の大水口宿祢 伊勢麻績君 三人は共に夢を同じくして奏じ言う 昨夜の夢之 一貴人有り 誨(おし)え曰く 大田々根子命を以て大物主大神を祭る之主と為す 亦た市磯長尾市を以て倭大国魂神を祭る主と為す 必ず天下太平矣
天皇 得夢辞 益歡於心 布告天下 求大田々根子 即於茅渟縣陶邑得大田々根子 而 貢之 天皇 即親臨于神淺茅原 会諸王卿及八十諸部 而 問大田々根子曰 汝其誰子 対曰 父曰大物主大神 母曰活玉依媛 陶津耳之女 亦云 奇日方天日方武茅渟祇之女也 天皇曰 朕当榮楽 乃卜 使物部連祖伊香色雄為神班物者 吉之 又卜 便祭他神 不吉
天皇 夢の辞を得る 益(ますます)心に歡(歓)ぶ 天下に布告する 大田々根子を求める 即ち茅渟縣陶邑に大田々根子を得る 而 之を貢ぐ 天皇 即ち神淺茅原に親臨(しんりん、天皇自ら場に出る)する 諸王卿及び八十諸部を会する 而 大田々根子に問い曰く 汝は其誰の子 対し曰く 父は曰く大物主大神 母は曰く活玉依媛 陶津耳の女 亦た云う 奇日方天日方武茅渟祇の女也 天皇は曰く 朕は当に栄楽 乃ち卜う 物部連祖の伊香色雄を神班物者に為さ使める 吉之 又た卜う 便ち他神を祭る 不吉
十一月丁卯朔己卯 命伊香色雄 而 以物部八十平瓮作祭神之物 即以大田々根子為祭大物主大神之主 又 以長尾市為祭倭大国魂神之主 然後 卜祭他神 吉焉 便別祭八十万群神 仍定天社国社及神地神戸 於是 疫病始息 国内漸謐 五穀既成 百姓饒之
十一月丁卯朔己卯 伊香色雄に命じる 而 物部八十平瓮を以て祭神の物を作る 即ち大田々根子を以て大物主大神を祭る之主と為す 又 長尾市を以て倭大国魂神を祭る之主と為す 然後 他神を祭るを卜う 吉焉 便ち別けて八十万群神を祭る 仍て天社と国社及び神地と神戸を定める 於是 疫病は息(や)み始める 国内は漸く謐(しず)まる 五穀は既に成る 百姓は饒(ゆた)かになる之
八年夏四月庚子朔乙卯 以高橋邑人活日 為大神之掌酒 掌酒 此云佐介弭苔 冬十二月丙申朔乙卯 天皇 以大田々根子令祭大神 是日 活日 自挙神酒 献天皇 仍歌之曰
八年夏四月庚子朔乙卯 高橋邑の活日なる人を以て 大神の掌酒(さかびと、神酒を醸造する)と為す 掌酒 此れ云う佐介弭苔 冬十二月丙申朔乙卯 天皇 大田々根子を以て大神を祭ら令める 是日 活日 自ら神酒(みき)を挙げ 天皇に献じる 仍て歌い之を曰く
許能瀰枳破 和餓瀰枳那羅孺 椰磨等那殊 於朋望能農之能 介瀰之瀰枳 伊句臂佐 伊久臂佐 ――此(こ)の神酒(みき)は 我(わ)が神酒ならず 日本(やまと)成(な)す 大物主(おほものぬし)の 釀(か)みし神酒 幾久(いくひさ) 幾久
如此 歌之 宴于神宮 即宴竟之 諸大夫等歌之曰
如此 之を歌う 神宮に宴する 即ち宴の竟(おわり)之 諸大夫等は歌い之を曰く
宇磨佐開 瀰和能等能々 阿佐妬珥毛 伊弟氐由介那 瀰和能等能渡塢 ――味酒(うまさけ) 三輪(みわ)の殿(との)の 朝門(あさと)にも 出(い)でて行(ゆ)かな 三輪の殿門(とのと)を
於茲 天皇歌之曰
於茲(ここにおいて) 天皇は歌い之を曰く
宇磨佐階 瀰和能等能々 阿佐妬珥毛 於辞寐羅箇禰 瀰和能等能渡烏 ――味酒(うまさけ) 三輪(みわ)の殿(との)の 朝門(あさと)にも 押(お)し開(びら)かね 三輪の殿門(とのと)を
即開神宮門而幸行之 所謂大田々根子 今三輪君等之始祖也
即ち神宮の門を開いて幸行(みゆき)する之 所謂(いはゆる)大田々根子 今の三輪君等の始祖也
九年春三月甲子朔戊寅 天皇夢 有神人 誨之曰 以赤盾八枚赤矛八竿 祠墨坂神 亦以黒盾八枚黒矛八竿 祠大坂神 四月甲午朔己酉 依夢之教 祭墨坂神大坂神
九年春三月甲子朔戊寅 天皇の夢 神人有り 誨(おし)え之を曰く 赤盾八枚と赤矛八竿を以て 墨坂神を祠る 亦た黒盾八枚と黒矛八竿を以て 大坂神を祠る 四月甲午朔己酉 夢の教えに依り 墨坂神と大坂神を祭る
崇神は外征を志して四道将軍を任じ、大彦に北陸道、武渟川別に東海道、吉備津彦に西道、丹波道主に丹波道を任せる。出立して大彦は歌う怪しい少女に会い、引き返して上奏する。それを倭迹迹日百襲姫が、武埴安彦と吾田媛の反乱と読み解き、備えて謀反を防ぐ。その後、倭迹迹日百襲姫は大物主の妻になり、夜しか来ない夫に明るい中で姿を見たいと乞う。大物主は驚くなと念を押して蛇の姿を見せるが、姫が驚いたので、恥をかかされたと飛んでいく。悔いて座り込んだ姫は陰を箸で突いて死ぬ。姫の墓の箸墓は、昼は人が、夜は神が作る。崇神は四道将軍に出立を促す。将軍らは翌年に帰還する。
十年秋七月丙戌朔己酉 詔群卿曰 導民之本 在於教化也 今既礼神祇 災害皆耗 然 遠荒人等 猶不受正朔 是未習王化耳 其 選群卿 遣于四方 令知朕憲 九月丙戌朔甲午 以大彦命遣北陸 武渟川別遣東海 吉備津彦遣西道 丹波道主命遣丹波 因以 詔之曰 若有不受教者 乃挙兵伐之 既而 共授印綬為将軍
十年秋七月丙戌朔己酉 群卿に詔り曰く 民を導く之本 教化に在る也 今は既に神祇に礼する 災害は皆が耗(へ)る 然 遠くの荒人等 猶も正朔(せいさく、天子の統治)を受けず 是は未だ王化を習わぬのみ 其れ 群卿を選び 四方に遣わす 朕の憲を知ら令める 九月丙戌朔甲午 大彦命を以て北陸に遣わす 武渟川別を東海に遣わす 吉備津彦を西道に遣わす 丹波道主命を丹波に遣わす 因以 詔り之を曰く 若し教えを受けぬ者有るなら 乃ち挙兵し之を伐つ 既而 共に印綬を授け将軍と為す
壬子 大彦命 到於和珥坂上 時 有少女 歌之曰 一云 大彦命到山背平坂 時 道側有童女 歌之曰
壬子 大彦命 和珥坂上に到る 時 少女有り 歌い之を曰く 一に云う 大彦命は山背平坂に到る 時 道の側に童女有り 歌い之を曰く
瀰磨紀異利寐胡播揶 飫迺餓鳥塢 志斉務苔 農殊末句志羅珥 比賣那素寐殊望 一云 於朋耆妬庸利 于介伽卑氐 許呂佐務苔 須羅句塢志羅珥 比賣那素寐須望 ――御真木入日子(みまきいりびこ)はや 己(おの)が命(を)を 殺(し)せむと 竊(ぬす)まく知(し)らに 姫遊(ひめなそび)すも 一に云う 大城戸(おほきと)より 窺(うかか)ひて 殺(ころ)さむと すらくを知(し)らに 姫遊(ひめなそび)すも
於是 大彦命異之 問童女曰 汝言何辞 対曰 勿言也 唯歌耳 乃重詠先歌 忽不見矣 大彦乃還 而 具以状奏 於是 天皇姑倭迹々日百襲姫命 聰明叡智 能識未然 乃知其歌怪 言于天皇
於是 大彦命は之を異(あや)しむ 童女に問い曰く 汝は何の辞を言う 対し曰く 言に勿(な)し也 唯だ歌うのみ 乃ち先の歌を重ね詠む 忽ち見えず矣 大彦は乃ち還る 而 具に以て状奏する 於是 天皇の姑の倭迹々日百襲姫命 聰明叡智 能(よ)く未然を識る 乃ち其の歌の怪を知る 天皇に言う
是武埴安彦 将謀反 之表者也 吾聞 武埴安彦之妻吾田媛 密来 之取倭香山土 裹領巾頭而祈曰 是倭国之物実 乃反之 物実 此云望能志呂 是以 知有事焉 非早図 必後之
是は武埴安彦 謀反の将 之が表す者也 吾は聞く 武埴安彦の妻の吾田媛 密(ひそか)に来る 之は倭香山の土を取る 領巾(ひれ、女性が肩から垂らす細長い布)で頭を裹(果、つつ)みて祈り曰く 是は倭国の物実 乃ち之を反(かえ)す 物実 此れ云う望能志呂(ものしろ) 是以 有事を知る焉 図るに早いは非ず 必す後にある之
於是 更留諸将軍 而 議之 未幾 時 武埴安彦与妻吾田媛 謀反逆 興師忽至各分道 而 夫従山背 婦従大坂 共入欲襲帝京 時 天皇 遣五十狭芹彦命 撃吾田媛之師 即遮於大坂 皆大破之 殺吾田媛 悉斬其軍卒 復遣大彦与和珥臣遠祖彦国葺 向山背撃埴安彦
於是 更に諸将軍を留める 而 之を議(はか)る 未幾(いまだいくばくならず) 時 武埴安彦と妻の吾田媛 謀反し逆らう 師(いくさ、戦)を興し忽ち各分道に至る 而 夫は山背従(よ)り 婦は大坂従(よ)り 共に入り帝京を襲うを欲する 時 天皇 五十狭芹彦命を遣わす 吾田媛の師(軍)を撃つ 即ち大坂に遮る 皆は之を大破する 吾田媛を殺す 悉く其の軍卒を斬る 復た大彦と和珥臣遠祖の彦国葺を遣わす 埴安彦を撃ちに山背へ向かう
爰 以忌瓮 鎭坐於和珥武鐰坂上 則率精兵 進登那羅山 而 軍之 時 官軍屯聚 而 蹢跙草木 因以 号其山曰那羅山 蹢跙 此云布瀰那羅須 更避那羅山 而 進到輪韓河 与埴安彦 挾河屯之 各相挑焉 故 時人改号其河曰挑河 今謂泉河訛也
爰に 忌瓮(いわいべ、神へ供える忌み清めた器)を以て 和珥武鐰坂上に鎮坐する 則ち精兵を率い 那羅山に進み登る 而 之に軍(いくさ)する 時 官軍は屯(たむろ)し聚(あつま)る 而 草木を蹢跙(フミナラス) 因以 其山を号し曰く那羅山 蹢跙 此れ云う布瀰那羅須 更に那羅山を避ける 而 輪韓河(わからかわ)に進み到る 埴安彦と 河を挟み屯する之 各(おのおの)相い挑む焉 故 時の人は其河の号を改め曰く挑河 今に謂う泉河は訛也
埴安彦望之 問彦国葺曰 何由矣 汝興師来耶 対曰 汝逆天無道 欲傾王室 故 挙義兵 欲討汝逆 是天皇之命也 於是 各爭先射 武埴安彦 先射彦国葺 不得中 後彦国葺 射埴安彦 中胸而殺焉
埴安彦は之に望み 彦国葺に問い曰く 何の由矣 汝は師(軍)を興こし来る耶 対し曰く 汝は天に逆い道(理)無し 王室の傾くを欲する 故 義兵を挙げ 汝の逆を討つを欲する 是は天皇の命也 於是 各(それぞれ)先を争い射る 武埴安彦 先に彦国葺を射る 中りを得ず 後に彦国葺 埴安彦を射る 胸に中てて殺す焉
其軍衆脅退 則追破於河北 而 斬首過半 屍骨多溢 故 号其処曰羽振苑 亦 其卒怖走 屎漏于褌 乃脱甲而逃之 知不得免 叩頭曰 我君 故 時人号 其脱甲処曰伽和羅 褌屎処曰屎褌 今謂樟葉訛也 又 号叩頭之処曰我君 叩頭 此云迺務
其の軍衆は脅え退く 則ち河北に追い破る 而 過半の首を斬る 屍骨が多く溢れる 故 其処を号し曰く羽振苑 亦 其卒は怖れ走る 屎を褌に漏らす 乃ち甲を脱ぎて逃げる之 免れ得ずを知る 叩頭(額を地につける礼)し曰く 我君 故 時の人は号する 其の甲を脱ぐ処を曰く伽和羅 褌に屎する処を曰く屎褌 今に謂う樟葉は訛也 又 号し叩頭の処を曰く我君 叩頭 此れ云う迺務(ノム)
是後 倭迹々日百襲姫命 為大物主神之妻 然 其神常晝不見而夜来矣 倭迹々姫命語夫曰 君常晝不見者 分明不得視其尊顏 願暫留之 明旦仰 欲覲美麗之威儀 大神対曰 言理灼然 吾明旦 入汝櫛笥而居 願無驚吾形 爰 倭迹々姫命 心裏密異之
是後 倭迹々日百襲姫命 大物主神の妻と為る 然 其神は常に昼は見えずして夜に来る矣 倭迹々姫命は夫に語り曰く 君が常に昼に見えずは 分明(ふんめい、はっきり)に其の尊顏を視るを得ず 暫く之に留まるを願う 明くる旦(あさ)仰ぎ 美麗の威儀に覲(まみ)えるを欲する 大神は対し曰く 言の理は灼然 吾は明くる旦(あさ) 汝の櫛笥に入りて居る 吾の形に驚きの無しを願う 爰に 倭迹々姫命 心裏で密(ひそか)に之を異(あや)しむ
待明 以見櫛笥 遂有美麗小蛇 其長大如衣紐 則驚之叫啼 時 大神有恥 忽化人形 謂其妻曰 汝不忍 令羞吾 吾還令羞汝 仍踐大虚 登于御諸山 爰 倭迹々姫命 仰見而悔之 急居 急居 此云菟岐于 則箸撞陰而薨
待り明かす 以て櫛笥を見る 遂に美麗な小蛇有り 其の長大は衣紐の如し 則ち之に驚き叫び啼く 時 大神は恥有り 忽ち人形に化ける 其妻に謂い曰く 汝は忍ばず 吾を羞(恥)か令める 吾は還り汝を羞(恥)か令める 仍て大虚(宙空)を踐(ふ)み 御諸山に登る 爰に 倭迹々姫命 仰ぎ見て之を悔いる 急居(つきう、しゃがみこむ) 急居 此れ云う菟岐于 則ち箸が陰を撞(つ)きて薨る
乃葬於大市 故 時人号其墓謂箸墓也 是墓者 日也人作 夜也神作 故 運大坂山石而造 則自山至于墓 人民相踵 以手遞伝而運焉 時 人歌之曰
乃ち大市に葬る 故 時の人は其墓を号し箸墓と謂う也 是墓は 日や人が作る 夜や神が作る 故 大坂山の石を運びて造る 則ち山より墓に至る 人民は相い踵(つ)ぐ 手を以て遞伝(ていでん、中継して伝え送る)して運ぶ焉 時 人は之を歌い曰く
飫朋佐介珥 菟藝廼煩例屢 伊辞務邏塢 多誤辞珥固佐縻 固辞介氐務介茂 ――大坂(おほさか)に 継(つ)ぎ登(のぼ)れる 石群(いしむら)を たごしに越(こ)さば 越しがてむかも
冬十月乙卯朔 詔群臣曰 今 反者悉伏誅 畿内無事 唯海外荒俗 騷動未止 其 四道将軍等 今 急発之 丙子 将軍等共発路
十一年夏四月壬子朔己卯 四道将軍 以平戎夷之状奏焉 是歲 異俗多帰 国内安寧
冬十月乙卯朔 群臣に詔り曰く 今 反者は悉く伏誅(ふくちゅう、罪人が刑に服する)する 畿内は無事 唯だ海外は荒俗 騷動は未だ止まず 其れ 四道将軍等 今 急ぎ発(た)つ之 丙子 将軍等は共に路を発つ
十一年夏四月壬子朔己卯 四道将軍 以て戎夷を平らげる之状(さま)を奏じる焉 是歲 異俗は多く帰る 国内安寧
戸籍をつくり、国民に税を課し、御肇国天皇と称えられ、諸国に船を造らせる。
十二年春三月丁丑朔丁亥 詔 朕初承天位 獲保宗廟 明有所蔽 徳不能綏 是以 陰陽謬錯 寒暑失序 疫病多起 百姓蒙災 然 今解罪改過 敦礼神祇 亦 垂教而緩荒俗 挙兵以討不服 是以 官無廃事 下無逸民 教化流行 衆庶楽業 異俗重譯来 海外既帰化 宜当此時 更校人民 令知長幼之次第 及 課役之先後焉
十二年春三月丁丑朔丁亥 詔 天位を承ける朕の初め 宗廟を保ち獲る 明は蔽(くら)き所に有り 徳は綏(やす)んずるに能わず 是以 陰陽は謬錯(びゅうさく、間違い) 寒暑は序を失う 疫病は多く起こる 百姓は災いを蒙(こうむ)る 然 今は罪を解き過ちを改める 敦く神祇に礼する 亦 教えを垂れて俗の荒むを緩める 兵を挙げ以て服さずを討つ 是以 官は廃(すた)る事無し 下は逸(はや)る民無し 教化は流れ行く 衆庶は業を楽しむ 異俗は訳来を重ねる 海外は既に帰化 当に此時が宜しい 更に人民を校(くら)べる 長幼の次第を知ら令める 及び 之の先後に役を課す焉
秋九月甲辰朔己丑 始校人民 更科調役 此謂 男之弭調 女之手末調也 是以 天神地祇共和享 而 風雨順時 百穀用成 家給人足 天下大平矣 故 称謂御肇国天皇也
秋九月甲辰朔己丑 始めて人民を校べる 更に調役を科す 此れ謂う 男の弭(ユミハズ、主に弓矢で捕る獣鳥)の調(ミツギ) 女の手末(タナスエ、布帛)の調也 是以 天神地祇は共に和み享(う)ける 而 風雨は時に順(したが)う 百穀の用は成る 家は人足を給(たま)う 天下大平矣 故 称え謂う御肇国(ハツクニシラス)天皇(スメラミコト)也
十七年秋七月丙午朔 詔曰 船者天下之要用也 今海辺之民 由無船 以甚苦步運 其令諸国 俾造船舶 冬十月 始造船舶
十七年秋七月丙午朔 詔り曰く 船は天下の要用(ようよう、必要)也 今の海辺の民 船無きゆえ 以て甚だ苦しみ歩き運ぶ 其れ諸国に令する 船舶を造るを俾(たす)ける 冬十月 始めて船舶を造る
継嗣選びに迷った崇神は夢占いを試す。豊城入彦は御諸山に登り槍と刀を八廻しする夢を、活目入彦は御諸山頂上に縄張り雀を逐う夢を奏じる。崇神は活目入彦を皇太子に決め、豊城入彦に東国を治めさせた。
卌八年春正月己卯朔戊子 天皇 勅豊城命活目尊曰 汝等二子 慈愛共斉 不知曷為嗣 各宜夢 朕以夢占之 二皇子 於是 被命 浄沐而祈寐 各得夢也
四十八年春正月己卯朔戊子 天皇 豊城命と活目尊に勅し曰く 汝等二子 慈愛は共に斉(そろ)う 曷(いずくん)ぞ嗣と為すを知らず 各に夢みるが宜しい 朕は夢を以て之を占う 二皇子 於是 命を被る 浄く沐(あら)いて祈り寐(ね)る 各に夢を得る也
会明 兄豊城命 以夢辞 奏于天皇曰 自登御諸山 向東 而 八廻弄槍 八𢌞撃刀 弟活目尊 以夢辞奏言 自登御諸山之嶺 縄絚四方 逐食粟雀 則天皇相夢 謂二子曰 兄則一片 向東 当治東国 弟是 悉臨四方 宜繼朕位
会明 兄の豊城命 夢の辞を以て 天皇に奏じ曰く 自ら御諸山に登る 東に向かう 而 八廻し槍を弄び 八廻し刀を撃つ 弟の活目尊 夢の辞を以て 奏じ言う 自ら御諸山の嶺に登る 四方に縄絚(なわば)る 粟を食う雀を逐う 則ち天皇は夢を相(うらな)う 二子に謂い曰く 兄は則ち一片 東に向く 当に東国を治めん 弟は是 悉く四方を臨む 朕の位を継ぐが宜しい
四月戊申朔丙寅 立活目尊為皇太子 以豊城命令治東 是上毛野君下毛野君之始祖也
四月戊申朔丙寅 活目尊は立ちて皇太子と為る 豊城命を以て東を治め令める 是は上毛野君と下毛野君の始祖也
兄の出雲振根が留守中に、弟の飯入根は天皇の求めに応じ、武日照命が天より持参した神宝を献上する。帰還して神宝を手放したと知った出雲振根は怒り、謀略を用いて飯入根を殺す。飯入根の弟と子がこれを奏上して、天皇は吉備津彦と武渟川別を遣わし出雲振根を誅する。畏んだ出雲の臣は祭りを止める。のちに丹波の氷香戸辺の子に託宣があり、天皇は出雲に勅して祭祀を再開させる。
六十年秋七月丙申朔己酉 詔群臣曰 武日照命 一云武夷鳥 又云天夷鳥 従天将来神宝 蔵于出雲大神宮 是欲見焉 則遣矢田部造遠祖武諸隅 一書云 一名大母隅 而 使献 当是時 出雲臣之遠祖出雲振根 主于神宝 是往筑紫国而不遇矣 其弟飯入根 則被皇命 以神宝付弟甘美韓日狭与子鸕濡渟 而 貢上
六十年秋七月丙申朔己酉 群臣に詔り曰く 武日照命 一に云う武夷鳥 又云う天夷鳥 天将に従い来る神宝 出雲大神宮に蔵(おさ)まる 是を見るを欲する焉 則ち矢田部造遠祖の武諸隅を遣す 一書に云う 一名は大母隅 而 献じせ使む 当に是時 出雲臣の遠祖の出雲振根 神宝の主 是は筑紫国に往きて遇(あ)わず矣 其の弟の飯入根 則ち皇命を被る 以て神宝を弟の甘美韓日狭と子の鸕濡渟に付ける 而 貢上する
既而 出雲振根 従筑紫還来之 聞神宝献于朝廷 責其弟飯入根曰 数日当待 何恐之乎 輙許神宝 是以 既経年月 猶懐恨忿有 殺弟之志 仍欺弟曰 頃者 於止屋淵多生菨 願共行欲見 則随兄而往之
既而 出雲振根 筑紫より還り来る之 神宝の朝廷に献じるを聞く 其の弟の飯入根を責め曰く 数日は当に待らん 何を恐れる之乎 輙(すなわ)ち神宝を許す 是以 既に年月を経る 猶も懐に恨忿有り 弟を殺すを之志ざす 仍て弟を欺き曰く 頃者 止屋の淵に生える菨(も、植物)が多い 共に行くを願い見るを欲する 則ち兄に随して往く之
先是 兄竊作木刀 形似真刀 当時自佩之 弟佩真刀 共到淵頭 兄謂弟曰 淵水清冷 願欲共游沐 弟従兄言 各解佩刀 置淵辺 沐於水中 乃兄先上陸 取弟真刀自佩 後弟驚而取兄木刀 共相撃矣 弟不得抜木刀 兄撃弟飯入根而殺之 故 時人歌之曰
先是 兄は窃(ひそ)かに木刀を作る 形は真刀に似る 当時は自ら之を佩(は)く 弟は真刀を佩く 共に淵頭に到る 兄は弟に謂い曰く 淵の水は清冷 共に游沐するを欲し願う 弟は兄の言に従う 各(それぞれ)佩刀(はいとう)を解く 淵辺に置く 水中に沐する 乃ち兄が先に陸に上がる 弟の真刀を取り自ら佩く 後に弟は驚きて兄の木刀を取る 共に相撃つ矣 弟は木刀を抜き得ず 兄は弟の飯入根を撃ちて殺す之 故 時の人は之を歌い曰く
椰句毛多菟 伊頭毛多鶏流餓 波鶏流多知 菟頭邏佐波磨枳 佐微那辞珥 阿波礼 ――八雲立(やくもた)つ 出雲建(いづもたける)が 佩(は)ける太刀(たち) 黒葛多卷(つづらさはま)き さ身無(みな)しに あはれ
於是 甘美韓日狭鸕濡渟 参向朝廷 曲奏其状 則遣吉備津彦与武渟河別 以誅出雲振根 故 出雲臣等 畏是事 不祭大神 而 有間 時 丹波氷上人 名氷香戸辺 啓于皇太子活目尊曰
於是 甘美韓日狭と鸕濡渟 朝廷に参向する 其の状を曲奏する 則ち吉備津彦と武渟河別を遣わす 以て出雲振根を誅する 故 出雲臣等 是の事を畏む 大神を祭らず 而 間が有り 時 丹波の氷上の人 名は氷香戸辺 皇太子の活目尊に啓(もう)し曰く
己子有小兒 而 自然言之 玉菨鎭石 出雲人祭 真種之甘美鏡 押羽振 甘美御神 底宝御宝主 山河之水泳御魂 靜挂甘美御神 底宝御宝主也 菨 此云毛 是非似小兒之言 若有託言乎 於是 皇太子奏于天皇 則勅之使祭
己子(おのがこ)に小兒有り 而 自然に之を言う 玉菨(タマモ)の鎮石 出雲人が祭る 真種(マタネ)の甘美(ウマシ)鏡 押羽振(をしはふ)り 甘美御神 底宝御宝の主 山河の水に泳ぐ御魂 静かに挂(か)かる甘美御神 底宝御宝の主也 菨 此れ云う毛 是は小兒の言に似あわず 託言の有るが若(ごと)し乎 於是 皇太子は天皇に奏じる 則ち勅し之を祭ら使める
池を造り農業に役立てる。任那の蘇那曷叱知が朝貢。治世六十八年、百二十才で崩御。
六十二年秋七月乙卯朔丙辰 詔曰 農 天下之大本也 民所恃 以生也 今河内狭山埴田水少 是以 其国百姓怠於農於農事 其多開池溝 以寛民業 冬十月 造依網池 十一月 作苅坂池 反折池 一云 天皇居桑間宮 造是三池也
六十二年秋七月乙卯朔丙辰 詔り曰く 農 天下の大本也 民の恃(たの)む所 以て生きる也 今の河内狭山は埴田の水が少ない 是以 其の国の百姓は農に農事に怠る 其れ多く池溝を開く 以て民業を寛げる 冬十月 依網(ヨサミ)池を造る 十一月 苅坂(カリサカ)池と反折(サカオリ)池を作る 一云 天皇は桑間宮に居り 是の三池を造る也
六十五年秋七月 任那国 遣蘇那曷叱知 令朝貢也 任那者 去筑紫国二千餘里 北阻海以在鶏林之西南
六十五年秋七月 任那国 蘇那曷叱知(ソナカシチ)を遣わす 朝貢せ令める也 任那は 筑紫国を去り二千余里の北 海に阻(へだ)たれ以て鶏林(新羅)の西南に在り
天皇 踐祚六十八年冬十二月戊申朔壬子 崩 時 年百廿歲 明年秋八月甲辰朔甲寅 葬于山辺道上陵
天皇 践祚(せんそ、皇位継承)六十八年冬十二月戊申朔壬子 崩じる 時 年は百二十歲 明年秋八月甲辰朔甲寅 山辺道上陵に葬る
国立国会図書館デジタルコレクション 日本書紀 : 国宝北野本. 巻第6
第十代崇神天皇の第三子 /母は御間城姫(大彦の娘) /皇后は狭穂姫と日葉酢媛 /皇太子は大足彦忍代別(日葉酢媛が生む) /同腹に五十瓊敷入彦と大中姫と倭姫と稚城瓊入彦 /ほかに誉津別(狭穂姫が生む) 鐸石別と膽香足姫(渟葉田瓊入媛が生む) 池速別と稚淺津姫(薊瓊入媛が生む) 磐衝別(綺戸辺が生む) 祖別と五十日足彦と胆武別(苅幡戸辺が生む) /纏向 珠城宮
活目入彦五十狭茅天皇 御間城入彦五十瓊殖天皇第三子也 母皇后 曰御間城姫 大彦命之女也 天皇 以御間城天皇廿九年 歲次壬子春正月己亥朔 生於瑞籬宮 生而有岐㠜之姿 及壯倜儻大度 率性任真 無所矯飾 天皇愛之 引置左右 廿四歲 因夢祥 以立為皇太子 六十八年冬十二月 御間城入彦五十瓊殖天皇崩
活目入彦五十狭茅天皇 御間城入彦五十瓊殖天皇の第三子也 母は皇后 曰く御間城姫 大彦命の女也 天皇 以て御間城天皇二十九年歲次壬子春正月己亥朔 瑞籬宮に生まれる 生まれて岐㠜之姿(イコヨカナルミカタチ)有り 壮に及び大度(たいど、大きな度量)に倜儻(てきとう、優れる) 率性(ヒトトナリ)は真に任せる 矯り飾る所無し 天皇は之を愛する 左右に引き置く 二十四歲 因て夢の祥し 以て立ちて皇太子と為る 六十八年冬十二月 御間城入彦五十瓊殖天皇は崩じる
元年春正月丁丑朔戊寅 皇太子即天皇位 冬十月癸卯朔癸丑 葬御間城天皇於山辺道上陵 十一月壬申朔癸酉 尊皇后曰皇太后 是年也太歲壬辰
二年春二月辛未朔己卯 立狭穂姫為皇后 后生誉津別命 生而天皇愛之 常在左右 及壯而不言 冬十月 更都於纏向 是謂珠城宮也
元年春正月丁丑朔戊寅 皇太子は天皇位に即する 冬十月癸卯朔癸丑 御間城天皇を山辺道上陵に葬る 十一月壬申朔癸酉 皇后を尊び曰く皇太后 是年也太歲壬辰
二年春二月辛未朔己卯 立ちて狭穂姫は皇后と為る 后は生む誉津別命 生みて天皇は之を愛する 常に左右に在り 壮に及びて言わず 冬十月 更に纏向を都とする 是れ謂う珠城宮也
任那人の蘇那曷叱智が帰国を請うので赤絹一百匹を土産に返したところ、帰路の途中で新羅人に奪われる。ここに二国の対立が始まる。
一云では、崇神の御代に大加耶王子の都怒我阿羅斯等が聖王を求めて来日する。穴門の伊都々比古が王を名乗るが、為人を見て違うと思い、出雲を経て越国に来る。崇神が崩じ、垂仁に三年仕える。阿羅斯等の帰国に際して垂仁は、崇神の「御間城入彦」に肖る名を大伽耶に贈るほか、赤織絹を持たせる。この赤織絹を新羅に奪われ、二国は対立するようになる。
一云では、阿羅斯等は失せた黄牛を探しているとき老人に教えを受ける。教えに従い、黄牛を食べた村人から補償として村が祀る白石を貰う。寝屋に置いた神石は美しい童女に変化すると失せる。童女を追って日本まで来た阿羅斯等は、難波と豊国の比売語曽社に祀られる童女を見る。
是歲 任那人蘇那曷叱智請之 欲帰于国 蓋 先皇之世来朝未還歟 故 敦賞蘇那曷叱智 仍齎赤絹一百匹 賜任那王 然 新羅人遮之於道 而 奪焉 其二国之怨 始起於是時也
是歲 任那人の蘇那曷叱智は之を請う 国に帰るを欲する 蓋 先皇の世の来朝 未だ還らず歟 故 敦く蘇那曷叱智を賞する 仍て赤絹一百匹を齎し 任那王に賜わる 然 新羅人が道に於いて之を遮る 而 奪う焉 其の二国の怨む 始めに起こるは於是時也
一云 御間城天皇之世 額有角人 乗一船 泊于越国笥飯浦 故 號其処曰角鹿也 問之曰 何国人也 対曰 意富加羅国王之子 名都怒我阿羅斯等 亦名曰于斯岐阿利叱智于岐 伝聞 日本国有聖皇 以帰化之 到于穴門 時 其国有人 名伊都々比古 謂臣曰 吾則是国王也 除吾復無二王 故 勿往他処 然 臣究見其為人 必知非王也 即更還之 不知道路 留連嶋浦 自北海𢌞之 経出雲国至於此間也
一に云う 御間城天皇の世 額に角有る人 一船に乗り 越国の笥飯浦に泊まる 故 其処の號は曰く角鹿也 之を問い曰く 何れの国人也 対し曰く 意富加羅(大加耶)国王の子 名は都怒我阿羅斯等 亦の名は曰く于斯岐阿利叱智于岐 伝え聞く 日本国に聖皇有り 以て帰化する之 穴門に到る 時 其の国に人有り 名は伊都々比古 臣に謂い曰く 吾は則ち是の国の王也 吾を除き復た二王無し 故 他処へ往く勿れ 然 臣は究めて其の為人を見る 必ず王に非ずを知る也 即ち更に之に還る 道路を知らず 連嶋浦に留まり北海より之を廻る 出雲国を経て此の間に至る也
是時 遇天皇崩 便留之 仕活目天皇逮于三年 天皇 問都怒我阿羅斯等曰 欲帰汝国耶 対諮 甚望也 天皇詔阿羅斯等曰 汝不迷道必速詣之 遇先皇而仕歟 是以 改汝本国名 追負御間城天皇御名 便為汝国名 仍以赤織絹給阿羅斯等 返于本土 故 號其国謂弥摩那国 其是之縁也 於是 阿羅斯等 以所給赤絹 蔵于己国郡府 新羅人聞之 起兵至之 皆奪其赤絹 是二国相怨之始也
是時 天皇の崩ずるに遇う 便ち之に留まる 活目天皇に仕え三年に逮(およ)ぶ 天皇 都怒我阿羅斯等に問い曰く 汝の国に帰るを欲する耶 対し諮(はか)る 甚だ望む也 天皇は阿羅斯等に詔り曰く 汝が道に迷わず必ず速く之を詣で 先皇に遇う 而 仕える歟 是以 汝の本国の名を改め 追いて御間城天皇の御名を負い 便ち汝の国の名と為す 仍て以て赤織絹を阿羅斯等に給い 本土に返す 故 其の国の號を弥摩那国と謂う 其れは是の縁也 於是 阿羅斯等 以て給わる所の赤絹 己の国郡府に蔵する 新羅人は之を聞く 起兵し之に至る 皆が其の赤絹を奪う 是の二国が相い怨むの始め也
一云 初 都怒我阿羅斯等 有国之時 黃牛負田器 将往田舍 黃牛忽失 則尋迹覓之 跡留一郡家中 時 有一老夫曰 汝所求牛者 於此郡家中 然郡公等曰 由牛所負物 而 推之 必設殺食 若其主覓至 則以物償耳 即殺食也 若問牛直欲得何物 莫望財物 便欲得郡内祭神云爾
一に云う 初め 都怒我阿羅斯等 国に有る之時 黄牛(あめうし)が田器を負い 将に田舍を往く 黄牛が忽ち失せる 則ち迹(あと)を尋ね之を覓(さが)す 跡は一郡の家中に留まる 時 一老夫有りて曰く 汝が求める所の牛は 此の郡の家中に於いて 然 郡公等の曰く 牛が負う所の物の由し 而 之に推す(おしはかる ) 必ず殺し食うを設ける 若し其の主が覓(さが)し至らば 則ち物を以て償うのみ 即ち殺し食う也 若し牛の直(あたい、値打ち)に何れの物を得るを欲するか問うなら 財物を望む莫(なかれ) 便ち郡内の祭神を得るを欲すると云う尓(のみ)
俄而 郡公等到之曰 牛直欲得何物 対如老父之教 其所祭神 是白石也 乃以白石授牛直 因以 将来 置于寝中其神石 化美麗童女 於是 阿羅斯等大歡之欲合 然 阿羅斯等去他処之間 童女忽失也 阿羅斯等大驚之 問己婦曰 童女何処去矣 対曰 向東方 則尋追求 遂遠浮海 以入日本国 所求童女者 詣于難波 為比賣語曽社神 且至豊国々前郡 復為比賣語曽社神 並二処見祭焉
俄而(にわかに) 郡公等が之を到り曰く 牛の直は何れの物を得るを欲する 対し老父の教えの如くする 其所の祭神 是は白石也 乃ち以て白石を牛の直に授ける 因以 将に来たる 寝(ネヤ)の中に置く其の神石 美麗な童女に化ける 於是 阿羅斯等は大いに之を歓び合(性交)を欲する 然 阿羅斯等の他処に去る之間 童女は忽ち失せる也 阿羅斯等は之に大いに驚く 己の婦(妻)に問い曰く 童女は何処に去る矣 対し曰く 東方へ向かう 則ち尋ね追い求める 遂に遠く海に浮がぶ 以て日本国に入る 求める所の童女は 難波に詣でる 比売語曽社神と為る 且つ豊国の国前郡に至る 復た比売語曽社神と為る 並び二処に祭るを見る焉
新羅王子の天日槍が来日して七つ(八つ)の宝を貢ぐ。一云では、但馬国に定住する。
三年春三月 新羅王子天日槍 来帰焉 将来物 羽太玉一箇 足高玉一箇 鵜鹿々赤石玉一箇 出石小刀一口 出石桙一枝 日鏡一面 熊神籬一具 幷七物 則蔵于但馬国 常為神物也
三年春三月 新羅王子の天日槍 来て帰る焉 将(ひき)い来る物 羽太玉を一箇 足高玉を一箇 鵜鹿々赤石玉を一箇 出石(いづし、但馬国出石)小刀を一口 出石桙(ほこ、矛)を一枝 日鏡を一面 熊の神籬(ひもろぎ)を一具 幷せて七物 則ち但馬国に蔵する 常に神物と為す也
一云 初 天日槍乗艇 泊于播磨国 在於宍粟邑 時 天皇 遣三輪君祖大友主与倭直祖長尾市於播磨 而 問天日槍曰 汝也誰人 且何国人也 天日槍対曰 僕 新羅国主之子也 然 聞日本国有聖皇 則以己国授弟知古 而 化帰之 仍貢献物 葉細珠 足高珠 鵜鹿々赤石珠 出石刀子 出石槍 日鏡 熊神籬 膽狭淺大刀 幷八物
一に云う 初め 天日槍は艇(はしけ、小舟)に乗る 播磨国に泊まり 宍粟邑に在る 時 天皇 三輪君祖の大友主と倭直祖の長尾市を播磨に遣わす 而 天日槍に問い曰く 汝也誰人 且つ何れの国の人也 天日槍は対し曰く 僕 新羅国主の子也 然 日本国に聖皇有りと聞く 則ち以て己の国は弟の知古に授ける 而 化帰之 仍て献物を貢ぐ 葉細珠 足高珠 鵜鹿々赤石珠 出石刀子 出石槍 日鏡 熊神籬 胆狭浅大刀 幷せて八物
仍詔天日槍曰 播磨国宍粟邑 淡路島出淺邑 是二邑 汝任意居之 時 天日槍啓之曰 臣将住処 若垂天恩聴臣情 願地者 臣親歷視諸国 則合于臣心欲被給 乃聴之 於是 天日槍 自菟道河泝之 北入近江国吾名邑 而 暫住 復更 自近江経若狭国 西到但馬国 則定住処也 是以 近江国鏡村谷陶人 則天日槍之従人也
仍て天日槍に詔り曰く 播磨国宍粟邑 淡路島出浅邑 是の二邑 汝は意に任せ之に居よ 時 天日槍は之を啓(もう)し曰く 臣が将に住まん処 若し天恩を垂れ臣の情けを聴き 地を願うなら 臣が親ら諸国を視るを歴(へ)て 則ち臣の心に合うを給わり被(こうむ)るを欲する 乃ち之を聴く 於是 天日槍 菟道河より之を泝(さかのぼ)る 北は近江国吾名邑に入る 而 暫く住む 復た更に 近江より若狭国を経る 西は但馬国に到る 則ち住処にめる也 是以 近江国鏡村谷の陶人 則ち天日槍の従人也
故 天日槍 娶但馬国出嶋人太耳女麻多烏 生但馬諸助也 諸助生但馬日楢杵 日楢杵生清彦 清彦 生田道間守也
故 天日槍 但馬国出嶋の人である太耳の女の麻多烏を娶る 但馬諸助を生む也 諸助は但馬日楢杵を生む 日楢杵は清彦を生む 清彦は田道間守を生む也
謀反を企てた狭穂彦は、垂仁[11]皇后である妹の狭穂姫に匕首を渡し、夫である垂仁の殺害を依頼する。狭穂姫は垂仁に膝枕する好機を得たが情が湧いて実行できずに涙する。目覚めた垂仁が大雨の夢を見たと言うので狭穂姫は、それは自分の涙だと告げて白状する。垂仁は八綱田に狭穂彦討伐を命じ、狭穂彦は稲城を造って狭穂姫と皇子の誉津別と共に立てこもる。稲城に火が放たれ、垂仁は説得するが狭穂姫は応じず、兄と死ぬ。
四年秋九月丙戌朔戊申 皇后母兄狭穂彦王 謀反 欲危社稷 因伺皇后之燕居 而 語之曰 汝孰愛兄与夫焉 於是 皇后不知所問之意趣 輙対曰 愛兄也
四年秋九月丙戌朔戊申 皇后の母兄の狭穂彦王 謀反して 社稷(しゃしょく、国家)を危うくするを欲する 因て燕居(えんきょ、寛いで過ごす)する皇后を伺う之 而 之を語り曰く 汝は兄と夫の孰(いず)れを愛する焉 於是 皇后は之を問う所の意趣を知らず 輙(たやすく)対し曰く 愛(い)としきは兄也
則誂皇后曰 夫 以色事人 色衰寵緩 今天下多佳人 各遞進求寵 豈永得恃色乎 是以 冀 吾登鴻祚 必与汝照臨天下 則高枕而永終百年 亦不快乎 願為我弑天皇 仍取匕首 授皇后曰 是匕首佩于裀中 当天皇之寝 廼刺頸而弑焉
則ち誂え皇后に曰く 夫 以て色事の人 色は衰え寵は緩む 今の天下は佳人多く 各(おのおの)は逓(たがい、次々)に寵を求め進む 豈(あに)永く色を恃(たの)み得る乎 是以 冀(こいねが)う 吾は鴻(大きい)祚(天子の位)に登る 必ず汝と天下に照臨(人々を見守る)する 則ち高枕して永く百年を終える 亦不快乎(亦た快からず乎) 我の為に天皇を弑するを願う 仍て匕首(あいくち、鍔のない短刀)を取る 皇后に授け曰く 是の匕首は裀(しとね、衣服の身頃部分)の中に佩く 当に天皇の寝むらん 廼ち首を刺して弑する焉
皇后 於是 心裏兢戰 不知所如 然 視兄王之志 便不可得諫 故 受其匕首獨 無所蔵 以著衣中 遂有諫兄之情歟
皇后 於是 心裏は兢戦(戦戦兢兢、恐れ慎しむ) 不知所如 然 兄王の志を視る 便ち諫め得るは不可 故 其の匕首独(ひと)つを受ける 蔵する所無し 以て衣中に著(着)る 遂に兄の情を諫めるは有る歟
五年冬十月己卯朔 天皇 幸来目居於高宮 時 天皇枕皇后膝而晝寝 於是 皇后既无成事 而 空思之 兄王所謀 適是時也 即眼涙流 之落帝面 天皇則寤之 語皇后曰 朕 今日夢矣 錦色小蛇 繞于朕頸 復 大雨従狭穂発 而 来之濡面 是何祥也
五年冬十月己卯朔 天皇 来目に幸(みゆき)して高宮に居る 時 天皇は皇后の膝に枕して昼寝する 於是 皇后は既に成事が无(無い) 而 空(うつ)ろに之を思う 兄王が謀る所 是時が適する也 即ち眼涙が流れ 之は帝の面に落ちる 天皇は則ち之に寤(さ)める 皇后に語り曰く 朕 今の日(ひる)の夢矣 錦色の小蛇 朕の首に繞(まと)う 復た 大雨が狭穂従(よ)り発する 而 来て之は面を濡らす 是は何の祥し也
皇后 則知不得匿謀 而 悚恐伏地 曲上兄王之反状 因以 奏曰 妾 不能違兄王之志 亦 不得背天皇之恩 告言則亡兄王 不言則傾社稷 是以 一則以懼 一則以悲 俯仰喉咽 進退 而 血泣 日夜懐悒 無所訴言
皇后 則ち謀を匿(かく)し得ずを知る 而 悚恐(恐悚、恐縮(きょうしゅく))して地に伏す 兄王の反する状を曲(つぶさ)に上げる 因以 奏し曰く 妾 兄王の志を違えるに能わず 亦 天皇の恩に背き得ず 告げ言うは則ち兄王を亡くす 言わずは則ち社稷(しゃしょく、国家)を傾ける 是以 一つは則ち以て懼(おそ)れ 一つは則ち以て悲しみ 俯き仰ぎ喉咽(嗚咽)して進み退き 而 血泣(涙) 日も夜も懐に悒(うれ)える 訴え言う所無し
唯今日也 天皇枕妾膝而寝之 於是 妾一思矣 若有狂婦 成兄志者 適遇是時 不勞以成功乎 茲意未竟 眼涕自流 則挙袖拭涕 従袖溢之沾帝面 故 今日夢也 必是事應焉 錦色小蛇則授妾匕首也 大雨忽発則妾眼涙也
唯だ今日也 天皇は妾の膝に枕して寝る之 於是 妾は一つ思う矣 若し狂婦有り 兄の志を成すなら 適遇は是時 労せず以て成功乎 茲(ここ)に意は未竟(おわらず) 眼涕は自ずと流れる 則ち袖を挙げ涕を拭く 袖従り溢れる之が帝の面を沾(うるお)す 故 今の日(ひる)の夢也 必ず是事の応え焉 錦色の小蛇は則ち妾の授かる匕首也 大雨が忽ち発するは則ち妾の眼涙也
天皇謂皇后曰 是非汝罪也 即発近縣卒 命上毛野君遠祖八綱田 令撃狭穂彦 時 狭穂彦 興師距之 忽積稲作城 其堅不可破 此謂稲城也 踰月不降 於是 皇后悲之曰 吾雖皇后 既亡兄王 何以面目 莅天下耶 則抱王子誉津別命 而 入之於兄王稲城
天皇は皇后に謂い曰く 是は汝の罪に非ず也 即ち近くの縣卒に発し 上毛野君遠祖の八綱田に命じ 狭穂彦を撃たせ令める 時 狭穂彦 師(軍)を興し之を距(ふせ)ぐ 忽ち稲を積み城を作る 其れは堅く破るは不可 此れ謂う稲城也 月を踰(こ)すも降らず 於是 皇后は之を悲しみ曰く 吾は皇后と雖も 既に兄王を亡くす 何ぞ面目を以て 天下に莅(のぞ)む耶 則ち王子の誉津別命を抱える 而 之兄王の稲城に入る
天皇更益軍衆 悉圍其城 即勅城中曰 急出皇后与皇子 然 不出矣 則将軍八綱田 放火焚其城 於焉 皇后令懐抱皇子 踰城上而出之 因以 奏請曰
天皇は更に軍衆を益(ま)し 悉く其城を囲む 即ち城中に勅し曰く 急ぎ皇后と皇子を出せ 然 出ず矣 則ち将軍の八綱田 其の城に火を放ち焚く 於焉 皇后は懐に皇子を抱え令める 城上を踰(こ)えて出る之 因以 奏請(許しを請う)して曰く
妾始 所以逃入兄城 若有因妾子 免兄罪乎 今 不得免 乃知妾有罪 何得面縛 自経而死耳 唯 妾雖死之 敢勿忘天皇之恩 願 妾所掌后宮之事 宜授好仇 其丹波国有五婦人 志並貞潔 是丹波道主王之女也 道主王者 稚日本根子太日々天皇之孫 彦坐王子也 一云 彦湯産隅王之子也 当納掖庭 以盈后宮之数
妾が始め 兄の城に逃げ入る所以は 若し妾と子の因(よすが)が有るなら 兄の罪を免じる乎 今 免じ得ず 乃ち妾の有罪を知る 何ぞ面縛(めんばく、手を縛り顔を晒す)を得る 自経(首吊自殺)して死ぬのみ 唯だ 妾は之に死ぬと雖も 敢えて天皇の恩を忘れるは勿(な)し 願う 妾の所掌する后宮の事 好仇(こうきゅう、よい相手)に授けるが宜しい 其れ丹波国に五婦人有り 志は並べて貞潔 是は丹波道主王の女也 道主王なる者 稚日本根子太日々天皇(開化[9])の孫 彦坐王の子也 一云 彦湯産隅王の子也 当に掖庭(えきてい、後宮)に納め 以て后宮(こうぐう、後宮)の数に盈(あふ)れん
天皇聴矣 時 火興城崩 軍衆悉走 狭穂彦与妹 共死于城中 天皇 於是 美将軍八綱田之功 號其名謂倭日向武日向彦八綱田也
天皇は聴く矣 時 火は興(おこ)り城は崩れる 軍衆は悉く走る 狭穂彦と妹 共に城中に死ぬ 天皇 於是 将軍八綱田の功を美(ほ)める 其名を號して倭日向武日向彦(やまとひむかたけひむかひこ)八綱田と謂う也
力自慢の当麻蹶速が生死を問わず強者との対戦を望んでいると聞き、勇士と評判の野見宿祢と角力で対戦させる。結果、野見が蹶速の骨を折って殺し、蹶速の土地を得た。
七年秋七月己巳朔乙亥 左右奏言 当麻邑 有勇悍士 曰当摩蹶速 其為人也 強力以能毀角申鉤 恒語衆中曰 於四方求之 豈 有比我力者乎 何遇強力者 而 不期死生 頓得爭力焉 天皇聞之 詔群卿曰 朕聞 当摩蹶速者天下之力士也 若有比此人耶 一臣進言 臣聞 出雲国有勇士 曰野見宿禰 試召是人 欲当于蹶速
七年秋七月己巳朔乙亥 左右が奏し言う 当麻邑 勇悍(ようかん)の士有り 曰く当摩蹶速 其の為人也 力強く以て角を毀(やぶ)り鉤を申(かさ)ねるに能う 恒(つね)に衆中(しゅちゅう)に語り曰く 四方に之を求める 豈 我力に比する者有る乎 何れ強力な者に遇う 而 死生を期せず 頓(とみ、にわか)に力を争うを得る焉 天皇は之を聞く 群卿に詔り曰く 朕は聞く 当摩蹶速は天下の力士也 若し此れに比する人有る耶 一臣が進み言う 臣は聞く 出雲国に勇士有り 曰く野見宿祢 試しに是の人を召す 蹶速に当てるを欲する
即日 遣倭直祖長尾市 喚野見宿禰 於是 野見宿禰 自出雲至 則当摩蹶速与野見宿禰令捔力 二人相対立 各挙足相蹶 則蹶折当摩蹶速之脇骨 亦 踏折其腰 而 殺之 故 奪当摩蹶速之地 悉賜野見宿禰 是以 其邑有腰折田 之縁也 野見宿禰 乃留仕焉
即日 倭直祖の長尾市を遣わす 野見宿祢を喚ぶ 於是 野見宿祢 出雲より至る 則ち当摩蹶速と野見宿祢が捔力せ令める 二人は相対し立つ 各が足を挙げ相い蹶(たお)す 則ち当摩蹶速の脇骨を蹶(た)ち折る 亦 踏みて其の腰を折る 而 之を殺す 故 当摩蹶速の地を奪う 悉く野見宿祢に賜わる 是以 其の邑に腰折田有る 之の縁也 野見宿祢 乃ち留まり仕える焉
垂仁は狭穂姫の進言どおり丹波から召した五女から皇后と妃三名を選び、竹野媛のみを帰す。竹野媛は恥じ、輿から落下して亡くなる。
十五年春二月乙卯朔甲子 喚丹波五女 納於掖庭 第一曰日葉酢媛 第二曰渟葉田瓊入媛 第三曰真砥野媛 第四曰薊瓊入媛 第五曰竹野媛 秋八月壬午朔 立日葉酢媛命為皇后 以皇后弟之三女為妃 唯 竹野媛者 因形姿醜 返於本土 則羞其 見返葛野自堕輿 而 死之 故 號其地謂堕国 今謂弟国訛也
十五年春二月乙卯朔甲子 丹波の五女を喚ぶ 掖庭に納める 第一は曰く日葉酢媛 第二は曰く渟葉田瓊入媛 第三は曰く真砥野媛 第四は曰く薊瓊入媛 第五は曰く竹野媛 秋八月壬午朔 日葉酢媛命は立ちて皇后と為る 以て皇后の弟の三女を妃と為す 唯 竹野媛は 形姿の醜さに因り 本土に返す 則ち其れを羞じる 葛野を見返し自ら輿を堕ちる 而 之に死ぬ 故 其地の號は堕国と謂う 今に謂う弟国は訛也
皇后日葉酢媛命 生三男二女 第一曰五十瓊敷入彦命 第二曰大足彦尊 第三曰大中姫命 第四曰倭姫命 第五曰稚城瓊入彦命 妃渟葉田瓊入媛 生鐸石別命与膽香足姫命 次妃薊瓊入媛 生池速別命 稚淺津姫命
皇后の日葉酢媛命 生む三男二女 第一は曰く五十瓊敷入彦命 第二は曰く大足彦尊 第三は曰く大中姫命 第四は曰く倭姫命 第五は曰く稚城瓊入彦命 妃の渟葉田瓊入媛 生む鐸石別命と膽香足姫命 次の妃の薊瓊入媛 生む池速別命 稚淺津姫命
狭穂姫が生んだ誉津別は齢三十になっても言葉を発さなかったが、空飛ぶ鵠(くぐい、くび、白鳥)をみて「是何物耶」と言う。垂仁が鵠の捕獲を命じ、天湯河板挙が名乗り出て鵠を追い、出雲か但馬で捉えて献じる。誉津別が喋れるようになり、天湯河板挙は姓を賜り鳥取部と鳥養部と誉津部に定められる。
廿三年秋九月丙寅朔丁卯 詔群卿曰 誉津別王 是生年既卅 髯鬚八掬 猶泣如兒 常不言 何由矣 因有司而議之
二十三年秋九月丙寅朔丁卯 群卿に詔り曰く 誉津別王 是の生年は既に三十 髯鬚は八掬 猶も兒の如く泣く 常に言わず 何の由矣 因て司有りて之を議る
冬十月乙丑朔壬申 天皇立於大殿前 誉津別皇子侍之 時 有鳴鵠 度大虚 皇子仰観鵠 曰 是何物耶 天皇則知皇子見鵠得言 而 喜之 詔左右曰 誰能捕是鳥献之 於是 鳥取造祖天湯河板挙奏言 臣必捕而献 即天皇勅湯河板挙 板挙 此云拕儺 曰 汝献是鳥 必敦賞矣 時 湯河板挙 遠望鵠飛之方 追尋詣出雲 而 捕獲 或曰 得于但馬国
冬十月乙丑朔壬申 天皇は大殿前に立つ 誉津別皇子は之に侍る 時 鳴鵠有り 大虚(空)を度(渡)る 皇子は鵠を仰ぎ観る 曰く 是は何物耶 天皇は則ち皇子が鵠を見て言を得るを知る 而 之を喜ぶ 左右に詔り曰く 誰ぞ能く是の鳥を捕え之に献ぜよ 於是 鳥取造祖の天湯河板挙は奏じ言う 臣は必ず捕えて献じる 即ち天皇は湯河板挙に勅する 板挙 此れ云う拕儺 曰く 汝が是の鳥を献じる 必ず敦く賞する矣 時 湯河板挙 遠く鵠が飛ぶ之方を望む 追い尋ね出雲を詣でる 而 捕獲する 或いは曰く 但馬国に得る
十一月甲午朔乙未 湯河板挙 献鵠也 誉津別命 弄是鵠 遂得言語 由是 以敦賞湯河板挙 則賜姓 而 曰鳥取造 因亦定鳥取部鳥養部誉津部
十一月甲午朔乙未 湯河板挙 鵠を献じる也 誉津別命 是の鵠を弄ぶ 遂に言語を得る 是の由 以て湯河板挙を敦く賞する 則ち姓を賜る 而 鳥取造と曰く 因て亦た鳥取部と鳥養部と誉津部に定める
垂仁は五大夫の武渟川別と彦国葺と大鹿嶋と十千根と武日に、崇神の善政を引き継ぐ決意を語る。翌月、大水口宿祢が夢に現れた倭大国魂神から「天照大神が天原を、皇孫が葦原中国の八十魂神を、我は大地官の者を治めると太初に決めた」と教え諭されたことを、垂仁天皇に上奏する。先帝(崇神)は根源を知ろうとせず、その祭祀は枝葉に留まったので短命だった、とも告げる。垂仁天皇は探湯主に占わせ、大倭大神を渟名城稚姫に託す。しかし障りがあったので、長尾市宿祢に祀らせる。
廿五年春二月丁巳朔甲子 詔 阿倍臣遠祖武渟川別 和珥臣遠祖彦国葺 中臣連遠祖大鹿嶋 物部連遠祖十千根 大伴連遠祖武日 五大夫曰 我先皇 御間城入彦五十瓊殖天皇 惟叡作聖 欽明聰達 深執謙損 志懐沖退 綢繆機衡 礼祭神祇 剋己勤躬 日慎一日 是以 人民富足 天下太平也 今当朕世 祭祀神祇 豈 得有怠乎
二十五年春二月丁巳朔甲子 阿倍臣遠祖の武渟川別と和珥臣遠祖の彦国葺と中臣連遠祖の大鹿嶋と物部連遠祖の十千根と大伴連遠祖の武日の五大夫に詔り曰く 我が先皇 御間城入彦五十瓊殖天皇 惟叡作聖(惟睿作聖(孔子)) 欽明聡達 深執謙損 志懐沖退 綢繆(ちゅうびゅう、慣れ親しむ)機衡 礼祭神祇 剋己勤躬 日慎一日 是以 人民の富は足る 天下太平也 今は当に朕世 祭祀神祇 豈 怠り有るを得る乎
三月丁亥朔丙申 離天照大神於豊耜入姫命 託于倭姫命 爰 倭姫命 求鎭坐大神之処 而 詣菟田筱幡筱 此云佐佐 更還之入近江国 東 廻美濃 到伊勢国 時 天照大神 誨倭姫命曰 是神風伊勢国 則常世之浪重浪帰国也 傍国可怜国也 欲居是国 故 随大神教 其祠立於伊勢国 因興斎宮于五十鈴川上 是謂磯宮 則天照大神始自天降之処也
三月丁亥朔丙申 豊耜入姫命に於ける天照大神を離す 倭姫命に託す 爰に 倭姫命 大神の鎮まり坐す之処を求める 而 菟田筱幡筱を詣でる 此れ云う佐佐 更に之を還り近江国に入る 東 美濃を廻る 伊勢国に到る 時 天照大神 倭姫命に誨え曰く 是は神風伊勢国 則ち常世の浪は浪を重ね帰る国也 傍国(かたくに)の可怜(ウマシ)国也 是国に居るを欲する 故 大神の教えの随に 其の祠を伊勢国に立てる 因て五十鈴川上に斎宮を興す 是れ謂う磯宮 則ち天照大神は始め天より降る之処也
一云 天皇 以倭姫命為御杖 貢奉於天照大神 是 以倭姫命 以天照大神鎮坐於磯城厳橿之本 而 祠之 然後 随神誨 取丁巳年冬十月甲子 遷于伊勢国渡遇宮 是時 倭大神 著穂積臣遠祖大水口宿祢 而 誨之曰
一に云う 天皇 倭姫命を以て御杖と為す 天照大神に貢ぎ奉る 是 倭姫命を以て 以て天照大神は磯城の厳橿(いつかし、神聖な樫(かし)の木)の本に鎮座する 而 之を祠とする 然後 神の誨(おしえ)の随に 丁巳年冬十月甲子(の日)を取り 伊勢国の渡遇宮に遷る 是時 倭大神 穂積臣遠祖の大水口宿祢に著(あらわ)れる 而 之を誨(おし)え曰く
太初之時期 曰 天照大神悉治天原 皇御孫尊專治葦原中国之八十魂神 我親治大地官者 言已訖焉 然 先皇御間城天皇 雖祭祀神祇微細 未探其源根 以粗留於枝葉 故 其天皇短命也 是以 今 汝御孫尊 悔先皇之不及而慎祭 則汝尊壽命延長 復天下太平矣
太初(たいしょ、天地の開けはじめた時)の時期 曰く 天照大神は悉く天原を治める 皇御孫尊は葦原中国の八十魂神を治める 我は親(みずか)ら大地官の者を治める 言は已訖(終わる)焉 然 先皇の御間城天皇(崇神[10]) 神祇を祭祀すると雖も微細 未だ其の根源を探らず 粗を以て枝葉に留まる 故 其の天皇は短命也 是以 今 汝こと御孫尊 先皇の及ばざるを悔いて慎み祭る 則ち汝の尊寿命は長く延びる 復た天下太平矣
時 天皇聞是言 則仰中臣連祖探湯主而卜之 誰人以令祭大倭大神 即渟名城稚姫命 食卜焉 因以 命渟名城稚姫命 定神地於穴磯邑 祠於大市長岡岬 然 是渟名城稚姫命 既身体悉痩弱 以不能祭 是以 命大倭直祖長尾市宿禰令祭矣
時 天皇はこの言を聞く 則ち中臣連の祖の探湯主に仰せて卜う之 誰人を以て大倭大神を祭ら令める 即ち渟名城稚姫命 食卜(卜食、うらはみ、亀の甲を焼いて生じる縦横のひび)焉 因以 渟名城稚姫命に命じる 穴磯邑に神地を定める 大市長岡岬に祠する 然 是の渟名城稚姫命 既に身体は悉く痩せ弱る 以て祭るは能わず 是以 大倭直の祖の長尾市宿祢に命じ祭ら令める矣
廿六年秋八月戊寅朔庚辰 天皇 勅物部十千根大連曰 屢遣使者於出雲国 雖 檢校其国之神宝 無分明申言者 汝親行于出雲 宜檢校定 則十千根大連 校定神宝 而 分明奏言之 仍令掌神宝也
二十六年秋八月戊寅朔庚辰 天皇 物部十千根大連に勅し曰く 屢(しばしば)使者を出雲国に遣わす 雖 其国の神宝を検校(けんぎょう、調べ正す)する 分明に言を申す者無し 汝が親(みずか)ら出雲に行き 検校し定めるが宜しい 則ち十千根大連 神宝を校定する 而 分明に之を奏し言う 仍て神宝を掌(つかさ)どら令める也
廿七年秋八月癸酉朔己卯 令祠官卜兵器為神幣 吉之 故 弓矢及横刀納諸神之社 仍更定神地神戸 以時祠之 蓋 兵器祭神祇 始興於是時也 是歲 興屯倉于来目邑 屯倉 此云弥夜気
二十七年秋八月癸酉朔己卯 祠官(しかん、神官)に令し兵器が神幣と為るか卜う 吉之 故 弓矢及び横刀は諸の神の社に納まる 仍て更に神地神戸を定める 時を以て之に祠る 蓋 兵器が神祇を祭る 始めて是時に興る也 是歲 屯倉が来目邑に興る 屯倉 此れ云う弥夜気
同母弟・倭彦の埋葬に際して生き埋めにした殉死者の呻き声は数日聞こえ、のちには犬や烏に遺体を食われた。これを憂えた天皇は殉死の廃止を決める。
垂仁が五十瓊敷と大足彦に欲しいものを問うと、五十瓊敷は弓矢と、大足彦は皇位と答えた。垂仁は思うままにせよと言う。
皇后・日葉酢媛が亡くなり、垂仁は殉死のない葬送をどうするか群臣に問う。野見宿祢が献じて、百人の土部に人馬など様々な埴輪を作らせ、陵墓に立てた。
廿八年冬十月丙寅朔庚午 天皇母弟倭彦命薨 十一月丙申朔丁酉 葬倭彦命于身狭桃花鳥坂 於是 集近習者 悉生而埋立於陵域 数日不死 晝夜泣吟 遂死而爛臰之 犬烏聚噉焉 天皇 聞此泣吟之聲 心有悲傷 詔群卿曰 夫 以生所愛令殉亡者 是甚傷矣 其雖古風之 非良何従 自今以後 議之止殉
二十八年冬十月丙寅朔庚午 天皇母弟の倭彦命が薨(みまか)る 十一月丙申朔丁酉 倭彦命を身狭桃花鳥坂に葬る 於是 近習の者を集める 悉く生きて陵域に埋め立てる 数日死なず 昼夜泣き吟(うめ)く 遂に死にて爛臰(クサリス)之 犬烏が聚まり噉(く)らう焉 天皇 此の泣き吟ぶ之聲を聞く 心に悲傷有り 群卿に詔り曰く 夫 生ける所の愛を以て殉亡(殉死)せ令めるは 是は甚だ傷ましい矣 其れは古風を雖も之 良に非ずは何ぞ従う 今より以後 之を議りて殉ずるを止める
卅年春正月己未朔甲子 天皇 詔五十瓊敷命 大足彦尊曰 汝等 各言情願之物也 兄王諮 欲得弓矢 弟王諮 欲得皇位 於是 天皇詔之曰 各宜随情 則弓矢賜五十瓊敷命 仍詔大足彦尊曰 汝必繼朕位
三十年春正月己未朔甲子 天皇 五十瓊敷命と大足彦尊に詔り曰く 汝等 各が情にて願う之物を言う也 兄王が諮(はか)る 弓矢を得るを欲する 弟王が諮る 皇位を得るを欲する 於是 天皇は之を詔り曰く 各が情の随にして宜しい 則ち弓矢は五十瓊敷命に賜わる 仍て大足彦尊に詔り曰く 汝は必ず朕の位を継ぐ
卅二年秋七月甲戌朔己卯 皇后日葉酢媛命 一云 日葉酢根命也 薨 臨葬有日焉 天皇 詔群卿曰 従死之道 前知不可 今 此行之葬 奈之為何 於是 野見宿禰進曰 夫君王陵墓 埋立生人 是不良也 豈 得伝後葉乎 願今 将議便事而奏之
三十二年秋七月甲戌朔己卯 皇后の日葉酢媛命 一に云う 日葉酢根命也 薨る 葬に臨むは日有り焉 天皇 群卿に詔り曰く 従死(じゅうし)の道 前に可ならずを知る 今 此に行う之葬 奈之為何(イカガセム) 於是 野見宿祢が進み曰く 夫君の王陵墓 生人を埋め立てる 是は良からず也 豈 後葉(こうよう、後世)に伝え得る乎 願うは今 将に便りなる事を議りて之を奏じる
則遣使者 喚上出雲国之土部壱佰人 自領土部等 取埴以造作人馬及種種物形 献于天皇曰 自今以後 以是土物 更易生人 樹於陵墓 為後葉之法則 天皇 於是 大喜之 詔野見宿禰曰 汝之便議 寔洽朕心
則ち使者を遣わす 出雲国の土部壱佰人を喚び上げる 自ら土部等を領する 埴(はに、目の細かい土)を取り以て人馬及び種種の物形を造作る 天皇に献じ曰く 今より以後 是の土物を以て 生ける人に更易(カヘテ) 陵墓に樹(た)てる 後葉の法則と為す 天皇 於是 大いに之を喜ぶ 野見宿祢に詔り曰く 汝の便りなる議 寔(まこと)に朕の心を洽(うるお)す
則其土物 始立于日葉酢媛命之墓 仍號是土物謂埴輪 亦名立物也 仍下令曰 自今以後 陵墓必樹是土物 無傷人焉 天皇 厚賞野見宿禰之功 亦 賜鍛地 即任土部職 因改本姓謂土部臣 是土部連等 主天皇喪葬 之縁也 所謂 野見宿禰 是土部連等之始祖也
則ち其の土物 始め日葉酢媛命の墓に立つ 仍て是の土物の號は埴輪と謂う 亦の名は立物也 仍て令を下し曰く 今より以後 陵墓に必ず是の土物を樹(た)てる 傷む人無し焉 天皇 厚く野見宿祢の功を賞する 亦 鍛(カタシ)地を賜わる 即ち土部職に任じる 因て本姓を改め土部臣を謂う 是の土部連等 天皇の喪葬を主(つかさど)る 之の縁也 所謂 野見宿禰 是は土部連等の始祖也
山背にて、佳人ありと聞いた垂仁が瑞があれば会えると願掛けして、亀を見つけ矛で刺す。亀が白石になったので験と解釈して佳人・綺戸辺を妃にする。綺戸辺は磐衝別(三尾君の祖)を生む。妃の苅幡戸辺は祖別と五十日足彦(石田君の祖)と胆武別を生む。
河内の五十瓊敷など、各地に池溝を造る。大足彦が皇太子に就く。
卅四年春三月乙丑朔丙寅 天皇 幸山背 時 左右奏言之 此国有佳人曰綺戸辺 姿形美麗 山背大国不避之女也 天皇 於茲 執矛祈之曰 必遇其佳人 道路見瑞 比至于行宮 大龜出河中 天皇 挙矛剌龜 忽化為白石 謂左右曰 因此物而推之 必有験乎 仍喚綺戸辺納于後宮 生磐衝別命 是三尾君之始祖也
三十四年春三月乙丑朔丙寅 天皇 山背に幸する 時 左右が奏し之を言う 此国に佳人有り曰く綺戸辺 姿形は美麗 山背大国不避の女也 天皇 於茲(ここに) 矛を執り之を祈り曰く 必ず其の佳人に遇う 道路に瑞(ミツ、めでたい)を見る 比が行宮に至る 大亀が河中に出る 天皇 矛を挙げ亀を刺す 忽ち白石に化け為る 左右に謂い曰く 因て此物 而 之を推(オシハカル) 必ず験(しる)し有る乎 仍て綺戸辺を喚び後宮に納める 生む磐衝別命 是は三尾君の始祖也
先是 娶山背苅幡戸辺 生三男 第一曰祖別命 第二曰五十日足彦命 第三曰膽武別命 五十日足彦命 是子石田君之始祖也
先是 山背苅幡戸辺を娶る 生三男 第一は曰く祖別命 第二は曰く五十日足彦命 第三は曰く胆武別命 五十日足彦命 是の子は石田君の始祖也
卅五年秋九月 遣五十瓊敷命于河内国 作高石池 茅渟池 冬十月 作倭狭城池及迹見池 是歲 令諸国多開池溝 数八百之 以農為事 因是 百姓富寛 天下大平也
卅七年春正月戊寅朔 立大足彦尊 為皇太子
三十五年秋九月 五十瓊敷命を河内国に遣わす 高石池と茅渟池を作る 冬十月 倭狭城池及び迹見池を作る 是歲 諸国に令し多く池溝を開く 数八百之 以て農が事を為す 因是 百姓は富に寛ぐ 天下大平也
三十七年春正月戊寅朔 立ちて大足彦尊は皇太子と為る
五十瓊敷は一千の剣を作り石上神宮に収める。のちに石上神宮の神宝の管理を任される。高齢になった五十瓊敷は神庫の管理を妹の大中姫に託そうとするが、神庫が高いと断られたので、梯子を使えばよいと説得する。大中姫は石上の神庫の管理を物部連に任せる。丹波から犬が捕えたムジナの腹から出た八尺瓊勾玉が献上され、これも石上に収める。
卅九年冬十月 五十瓊敷命 居於茅渟菟砥川上宮 作剱一千口 因名其剱謂川上部 亦名曰裸伴 裸伴 此云阿箇播娜我等母 蔵于石上神宮也 是後 命五十瓊敷命 俾主石上神宮之神宝
三十九年冬十月 五十瓊敷命 茅渟菟砥川上宮に居る 剱一千口を作る 因て其剱の名を川上部と謂う 亦の名は曰く裸伴(アカハダカモト) 裸伴 此れ云う阿箇播娜我等母 石上神宮に蔵する也 是後 五十瓊敷命に命じる 石上神宮の神宝を主(つかさど)ら俾(し)む
一云 五十瓊敷皇子 居于茅渟菟砥河上 而 喚鍛名河上 作大刀一千口 是時 楯部 倭文部 神弓削部 神矢作部 大穴磯部 泊橿部 玉作部 神刑部 日置部 大刀佩部 幷十箇品部 賜五十瓊敷皇子 其一千口大刀者 蔵于忍坂邑 然後 従忍坂移之 蔵于石上神宮 是時 神乞之言 春日臣族 名市河 令治 因以 命市河令治 是今物部首之始祖也
一に云う 五十瓊敷皇子 茅渟菟砥河上に居る 而 鍛名(カナ)を河上に喚ぶ 大刀一千口を作る 是時 楯部と倭文部と神弓削部と神矢作部と大穴磯部と泊橿部と玉作部と神刑部と日置部と大刀佩部 幷せて十箇品部 五十瓊敷皇子に賜わる 其の一千口大刀は 忍坂邑に蔵する 然後 忍坂より之に移す 石上神宮に蔵する 是時 神が之を乞言う 春日臣の族(ヤカラ) 名は市河 治め令める 因以 市河に命じ治め令める 是は今の物部首の始祖也
八十七年春二月丁亥朔辛卯 五十瓊敷命 謂妹大中姫曰 我老也 不能掌神宝 自今以後 必汝主焉 大中姫命辞曰 吾手弱女人也 何能登天神庫耶 神庫 此云保玖羅 五十瓊敷命曰 神庫雖高 我能為神庫造梯 豈煩登庫乎
八十七年春二月丁亥朔辛卯 五十瓊敷命 妹の大中姫に謂い曰く 我は老いる也 神宝を掌(つかさど)るに能わず 今より以後 必ず汝が主焉 大中姫命は辞し曰く 吾は手弱女の人也 何ぞ天神の庫へ登るに能う耶 神庫 此れ云う保玖羅 五十瓊敷命は曰く 神庫は高いと雖も 我は能く神庫に梯を造り為す 豈(あに)庫に登るを煩う乎
故 諺曰 天之神庫随樹梯之 此其縁也 然 遂大中姫命 授物部十千根大連而令治 故 物部連等 至于今治石上神宝 是其縁也
故 諺に曰く 天の神庫も樹梯の随に之 此は其縁也 然 遂に大中姫命 物部十千根大連に授けて治め令める 故 物部連等 今に至り石上神宝を治める 是は其縁也
昔 丹波国桑田村有人 名曰甕襲 則甕襲家有犬 名曰足往 是犬 咋山獣名牟士那 而 殺之 則獣腹有八尺瓊勾玉 因以献之 是玉 今有石上神宮也
昔 丹波国桑田村に人有り 名は曰く甕襲 則ち甕襲家に犬有り 名は曰く足往 是犬 牟士那なる名の山獣に咋える 而 之を殺す 則ち獣の腹に八尺瓊勾玉有り 因て以て之を献じる 是玉 今は石上神宮に有る也
垂仁は天日槍が持ち込んだ神宝を欲し、天日槍の孫の清彦に献上させる。清彦が七つの宝のうち刀子だけは衣服に隠して献じなかったところ、褒美の酒宴にて刀子を見かけた垂仁が問うたので、刀子も献じられ、神府に収められた。のちに宝府を見ると刀子が失せており、清彦に問えば、刀子は昨夕来たが今朝失せたと言う。垂仁は畏れて探さなかった。この刀子は淡路島に現れ、島の人が祠をつくり崇めている。
八十八年秋七月己酉朔戊午 詔群卿曰 朕聞 新羅王子天日槍 初来之時 将来宝物 今有但馬 元為国人見貴 則為神宝也 朕欲見其宝物 即日 遣使者 詔天日槍之曽孫清彦 而 令献 於是 清彦被勅 乃自捧神宝 而 献之 羽太玉一箇 足高玉一箇 鵜鹿鹿赤石玉一箇 日鏡一面 熊神籬一具 唯 有小刀一 名曰出石 則清彦忽以為非献刀子 仍匿袍中 而 自佩之
八十八年秋七月己酉朔戊午 群卿に詔り曰く 朕は聞く 新羅王子の天日槍 初め来る之時 宝物を将(ひき)い来る 今は但馬に有る 元(はじ)め国人の為に貴く見る 則ち神宝と為す也 朕は其の宝物を見るを欲する 即日 使者を遣す 天日槍の曽孫清彦に詔る 而 献じ令める 於是 清彦は勅を被る 乃ち自ら神宝を捧げる 而 之を献じる 羽太玉一箇 足高玉一箇 鵜鹿鹿赤石玉一箇 日鏡一面 熊神籬一具 唯 小刀一が有り 名は曰く出石 則ち清彦は忽ち以て刀子の献じるに非ずと為す 仍て袍中に匿す 而 自ら之を佩(は)く
天皇 未知匿小刀之情 欲寵清彦 而 召之賜酒於御所 時 刀子従袍中出而顕之 天皇見之 親問清彦曰 爾袍中刀子者 何刀子也 爰 清彦 知不得匿刀子 而 呈言 所献神宝之類也 則天皇謂清彦曰 其神宝之 豈 得離類乎 乃出而献焉 皆蔵於神府
天皇 未小刀を匿す之情を知らず 清彦を寵するを欲する 而 之を召し御所にて酒を賜る 時 刀子が袍中より出る 而 之に顕(あらわ)る 天皇は之を見る 親ら清彦に問い曰く 尓(なんじ)の袍中の刀子は 何れの刀子也 爰に 清彦 刀子を匿し得ずを知る 而 呈(しめ)し言う 献じる所の神宝の類也 則ち天皇は清彦に謂い曰く 其の神宝之 豈 類を離し得る乎 乃ち出して献じる焉 皆が神府に蔵する
然後 開宝府而視之 小刀自失 則使問清彦曰 爾所献刀子忽失矣 若至汝所乎 清彦答曰 昨夕 刀子自然至於臣家 乃明旦失焉 天皇則惶之 且更勿覓 是後 出石刀子 自然至于淡路嶋 其嶋人 謂神 而 為刀子立祠 是於今所祠也
然後 宝府を開きて之を視る 小刀が自ら失せる 則ち清彦を問わ使め曰く 尓の献じる所の刀子が忽ち失せる矣 若し汝の所に至る乎 清彦は答え曰く 昨夕 刀子が自然に臣の家に至る 乃ち明くる旦(あさ)に失せる焉 天皇は則ち之を惶(おそ)れる 且つ更に覓(さが)す勿れ 是後 出石刀子 自然に淡路嶋に至る 其の嶋人 神と謂う 而 刀子の為に祠を立てる 是於 今に祠る所也
昔 有一人乗艇 而 泊于但馬国 因問曰 汝何国人也 対曰 新羅王子 名曰天日槍 則留于但馬 娶其国前津耳 一云前津見 一云太耳 女麻拕能烏 生但馬諸助 是清彦之祖父也
昔 艇に乗る一人有り 而 但馬国に泊まる 因て問い曰く 汝は何れの国人也 対し曰く 新羅王子 名は曰く天日槍 則ち但馬に留まる 其の国の前津耳 一に云う前津見 一に云う太耳 の女の麻拕能烏を娶る 生む但馬諸助 是は清彦の祖父也
垂仁は橘を求め田道間守を常世国へ遣わした九年後に崩じる。翌年、橘を携え帰還した田道間守は、垂仁の死を激しく嘆いた末に自ずと死去する。
九十年春二月庚子朔 天皇命田道間守 遣常世国 令求非時香菓 香菓 此云箇倶能未 今謂橘 是也
九十九年秋七月戊午朔 天皇崩於纏向宮 時 年百卌歲 冬十二月癸卯朔壬子 葬於菅原伏見陵
九十年春二月庚子朔 天皇は田道間守に命じ 常世国に遣わす 非時香菓(トキシクノカグノミ)を求め令める 香菓 此れ云う箇倶能未 今に謂う橘 是也
九十九年秋七月戊午朔 天皇は纏向宮に崩じる 時 年は百四十歲 冬十二月癸卯朔壬子 菅原伏見陵に葬る
明年春三月辛未朔壬午 田道間守 至自常世国 則齎物也 非時香菓八竿八縵焉 田道間守 於是 泣悲歎之曰 受命天朝 遠往絶域 万里踏浪 遙度弱水 是常世国 則神仙秘區 俗非所臻 是以 往来之間 自経十年 豈 期獨 凌峻瀾 更向本土乎 然 頼聖帝之神霊 僅得還来 今天皇既崩 不得復命 臣雖生之 亦何益矣 乃向天皇之陵 叫哭而自死之 群臣聞 皆流涙也 田道間守 是三宅連之始祖也
明年春三月辛未朔壬午 田道間守 常世国より至る 則ち物を齎す也 非時香菓(トキシクノカグノミ)が八竿八縵(かげ、実と葉の付くままの枝)焉 田道間守 於是 泣き悲しみ之を嘆き曰く 天朝の命を受け 遠く絶域を往く 万里の浪を踏む 遙か弱水(ヨワノミチ)を度(わた)る 是の常世国 則ち神仙秘区 俗が臻(いた)る所に非ず 是以 往き来る之間 自ずと十年を経る 豈 独りの期 峻(けわ)しい瀾(なみ、波)を凌ぎ 更に本土に向かん乎 然 聖帝の神霊を頼る 僅かに還り来るを得る 今は天皇が既に崩じる 復命を得ず 臣は之に生けると雖も 亦た何れの益矣 乃ち天皇の陵に向く 叫び哭く 而 自ずと之に死す 群臣が聞き 皆が涙を流す也 田道間守 是は三宅連の始祖也